春雨の降る中、ガシ釣りに出かけた。例の穴場である。一時間ほど遊ぼうと思い、スーパーでカツオの切り身を貝、包丁で切って餌にしてから、いざ出陣した。雨の中でも向かい側の堤防では釣り人が二人いる。静かそうに集中している。俗世間のことなど忘れているだろう。
僕の場所には船が一艘ついていたので、攻めるのは三面のみである。一投目からガシが釣れた。おお、これは今日もか、と独り言をいいながら、ワクワクと七匹までいった。大きな一匹は穴に逃げ込まれ、さらにもう一匹は途中で落としてしましった。雨粒が大きくなったのか、海上に雨の波紋ができて見にくくなってきた。今晩のおかずに7匹もあれば上等だろうと、竿をおさめて、例の丸太の私を慎重に渡った。ここは荷物をもっているだけに緊張する。出かけたのが1時半だったから、まだ三時である。雨も激しくならない。今日の潮は小潮である。干潮は4時過ぎ。ムラムラとチャンポコをとろうと思った。今晩の晩酌の分だけでよい。
ここの磯はひじき、ほんだわら、スギ藻が生えているから、貝類も磯魚も美味しいのだろう。岩と岩の間に溝がある。その溝が砂地のほうに続く溝にはヤドカリが多い。シリタカは波というか、海の水が干潮でも満潮でもあるところにいる。さざえのフツのようなチャンポコはそれより磯上や溝脇にいる。だいたいこれはかたまっている。それを見つけて指でとりながらすでに目は別の場所を探している。
誇らしくオレは縄文人か、と思ったりする。この小さな磯で人が何人も生きられるわけではない。やはり外へ漁にいかないと。タカノツメがおおく岩間にいるので、点検する。小さい過ぎる。ナザレで食べたタカノツメは大きかった。大きいタカノツメがあるところをいずれ探すつもりだ。
磯のむこうは大きな砂粒の浜である。もしかして掘ってみたらアサリがいるかもしれないと一瞬思うがアサリは河口付近の砂浜に多いから、ここは生息地ではないだろうと思いながらもひとかきふたかき手で掘ってみる。砂に貝の破片がいっぱいある。三回ほど掘って、やっぱり一粒もでなかったので止めた。普段着る薄手のジャンパーを着ていたが、雨水が次のシャツにも沁みてくる。ジャンパーのポケットのスマホも濡れているかもしれない。シューズは磯靴ではなくふつうのテニスシューズだ。磯でなんどかすべっていて、都度怪我をしているので、用心に用心してあちこちと歩く。今度きたときはどの辺を狙うか、見当をつけておくのである。
夜は半藤一利の「戦争と日本人」を読んでいる。日露戦争の新たな、細部にわたった150ページもの記録が出てきたらしい。桂内閣は戦争をさけることに一生懸命で、外交でなんとか切り抜けようとするが、東大の教授7人がロシアと戦争をやれ、と進言する。大衆もそんなおえらさんが言うことなのだから、と、新聞も含めて「やれやれ」となる。やがてロシアは朝鮮半島も満州も自分たちものにすると進軍する。日清戦争で勝ったものの、三国干渉でイギリス、ドイツ、ロシアに戦利を横取りされ、さんざんだった日本は国家予算の半分まであて、国民は耐え忍ぶが、やがって「やってしまえ」と興奮してくる。それでも桂内閣は万が一戦争になっても終結のしかただけは探る。昭和の15年戦争とはえらく違っている。なぜ、日中戦争、太平洋戦争で日本の軍部はだめだったのか。それは日露戦争がどれほどのすさまじく、悲惨で、なぜあれほどまでに屍を築いたものか、その検証が隠されたからだと半藤は言う。軍部は150ページの詳細な記録を3冊作った。宮内庁に1冊。あとの2冊は戦争中に消失した。その宮内庁にあったものが出てきたというわけである。
二百三高地での乃木将軍の戦い方などは司馬遼太郎の「坂の上の雲」とは違ってくる。
磯遊びとは全く違う話だが、人の時間の流れとはそんなものだ。僕はこれを書きながらヴェートーヴェンのの「弦楽四重奏15番と16番」を聞いている。頭の中というのは自由自在、混合乱雑だ。娘と孫に「今日も釣ったぞ」と写真メールを送った。
僕の場所には船が一艘ついていたので、攻めるのは三面のみである。一投目からガシが釣れた。おお、これは今日もか、と独り言をいいながら、ワクワクと七匹までいった。大きな一匹は穴に逃げ込まれ、さらにもう一匹は途中で落としてしましった。雨粒が大きくなったのか、海上に雨の波紋ができて見にくくなってきた。今晩のおかずに7匹もあれば上等だろうと、竿をおさめて、例の丸太の私を慎重に渡った。ここは荷物をもっているだけに緊張する。出かけたのが1時半だったから、まだ三時である。雨も激しくならない。今日の潮は小潮である。干潮は4時過ぎ。ムラムラとチャンポコをとろうと思った。今晩の晩酌の分だけでよい。
ここの磯はひじき、ほんだわら、スギ藻が生えているから、貝類も磯魚も美味しいのだろう。岩と岩の間に溝がある。その溝が砂地のほうに続く溝にはヤドカリが多い。シリタカは波というか、海の水が干潮でも満潮でもあるところにいる。さざえのフツのようなチャンポコはそれより磯上や溝脇にいる。だいたいこれはかたまっている。それを見つけて指でとりながらすでに目は別の場所を探している。
誇らしくオレは縄文人か、と思ったりする。この小さな磯で人が何人も生きられるわけではない。やはり外へ漁にいかないと。タカノツメがおおく岩間にいるので、点検する。小さい過ぎる。ナザレで食べたタカノツメは大きかった。大きいタカノツメがあるところをいずれ探すつもりだ。
磯のむこうは大きな砂粒の浜である。もしかして掘ってみたらアサリがいるかもしれないと一瞬思うがアサリは河口付近の砂浜に多いから、ここは生息地ではないだろうと思いながらもひとかきふたかき手で掘ってみる。砂に貝の破片がいっぱいある。三回ほど掘って、やっぱり一粒もでなかったので止めた。普段着る薄手のジャンパーを着ていたが、雨水が次のシャツにも沁みてくる。ジャンパーのポケットのスマホも濡れているかもしれない。シューズは磯靴ではなくふつうのテニスシューズだ。磯でなんどかすべっていて、都度怪我をしているので、用心に用心してあちこちと歩く。今度きたときはどの辺を狙うか、見当をつけておくのである。
夜は半藤一利の「戦争と日本人」を読んでいる。日露戦争の新たな、細部にわたった150ページもの記録が出てきたらしい。桂内閣は戦争をさけることに一生懸命で、外交でなんとか切り抜けようとするが、東大の教授7人がロシアと戦争をやれ、と進言する。大衆もそんなおえらさんが言うことなのだから、と、新聞も含めて「やれやれ」となる。やがてロシアは朝鮮半島も満州も自分たちものにすると進軍する。日清戦争で勝ったものの、三国干渉でイギリス、ドイツ、ロシアに戦利を横取りされ、さんざんだった日本は国家予算の半分まであて、国民は耐え忍ぶが、やがって「やってしまえ」と興奮してくる。それでも桂内閣は万が一戦争になっても終結のしかただけは探る。昭和の15年戦争とはえらく違っている。なぜ、日中戦争、太平洋戦争で日本の軍部はだめだったのか。それは日露戦争がどれほどのすさまじく、悲惨で、なぜあれほどまでに屍を築いたものか、その検証が隠されたからだと半藤は言う。軍部は150ページの詳細な記録を3冊作った。宮内庁に1冊。あとの2冊は戦争中に消失した。その宮内庁にあったものが出てきたというわけである。
二百三高地での乃木将軍の戦い方などは司馬遼太郎の「坂の上の雲」とは違ってくる。
磯遊びとは全く違う話だが、人の時間の流れとはそんなものだ。僕はこれを書きながらヴェートーヴェンのの「弦楽四重奏15番と16番」を聞いている。頭の中というのは自由自在、混合乱雑だ。娘と孫に「今日も釣ったぞ」と写真メールを送った。