25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

村上春樹とマラソン

2015年05月31日 | 文学 思想
村上春樹は長編小説をかくためには体力が必要だと考え、自分の体に適した(と思われる)マラソンをすることにきめたらしい。朝の4時頃に起きて、午前中は仕事に集中する。それからの時間は自由に過ごすという習慣なのだそうだ。
彼は書くことで不特定多数の人々と繋がって、自分の存在感を確認している。決して羽目をはずして飲んだり、食べたり、人とギャーギャー騒ぐ、論じ合うようなことはしないタイプのようだ。
バーを夫婦でやっていて、やりながら小説を書き、「風の歌を聴け」で新人賞をとった。そしてバーを閉じて、作家生活に入った。
彼の小説は文壇では酷評された。上野千鶴子や富岡多恵子などの座談会も読んだが、主人公像についてはぼろかすの批評である。
しかし、若い読者はついてきてくれた。日本にいられなくなった気持ちもわかる。彼はギリシャやイタリアに住み、「ノルウェーの森」を書き、これが大ベストセラーとなった。彼の出す小説を待つ人々が世界中で増えていった。
年代順を追って彼の小説を読んでいると、1997年の阪神淡路大地震とオウム真理教事件が彼の小説を大きく変えたことがわかる。これらの事件がなかったら、もう書くネタは あさそうだった。失礼かもしれないが、そう思う。時代のなかにひそむ第二の鉱脈を当てた、といってもいいし、彼の能力が感知し、小説として作り上げていった、t言ってもよい。とにかく読者をわくわくさせた。「神のこどもたちはみな踊る」には圧倒された。「1Q84」も発売前から大ヒットとなった。掛け値なしにおもしろかった。
批評家は黙ってしまったように見える。やがて彼はノーベル賞の候補に例年あがるようになってきた。冷ややかに見ているような人もいるだろう。

彼の小説をほとんど読んでしまったので、旅行記のようなものを読んでいるが、さすがに、時代の無意識のようなものが書かれていない。かれの書くべき材料は1968年から1973年ぐらいのところで、止まっているように思えた。しかしながら、彼の井戸掘り性格と、1997年の事件が、彼の井戸掘りに、大きな刺激(ショックという意味での)となったようである。
 彼の文学が深まったことは確かである、しかもエンタテーメント性、ファンタジー性、ストリーテラー性、漫画性、純文学性を合わせもった稀有な作家であることがわかる。
 地震やオウムがこのような作家をつうくるというのも人間社会というのは奇妙なものだ。