今から30年ほど前、僕はふと喫茶店で読んだ雑誌の記事で愕然とし、人生がそれで変わったことがある。目からウロコが落ちたのだ。それは片岡義男の「デキゴトロジー」という毎週のエッセイであった。彼は教育の携わる人間ではないから、英語の教授法を言っているのではなかった。アメリカに音素を元にした絵本があるよ、というものだった。
当時の僕らはアルファベットと言えば、「エイ・ビー・シー・・・」というものだった。このエイビーシーから教えていたのが生徒の英語学習を躓かせる一番の原因だと思った。僕はこの時、英語の教授法の世界で井戸の穴を掘ったのだった。
それを掘って、掘ってほりまくっていった。エイビーシーが当たり前の世界が間違っていると思い、考えなおし、日本人にどのようにして「エイビーシー・・・」をやめさせていくか。Aは「ェア」と教える。Bは「ブ」と教える。Cは「ク・ス」と教える。こんな風に、表音文字に慣れ親しんでいる日本の子どもに「音が文字」になっていることをまず教える。つまり、アルファベットの音素を教えるのである。tap は トゥ と ェア と プからなっている。続けて言えば「タップ」となる。こうすれば「あいうえお。かきくけこ、・・・」と同じ感覚で子供は理解するのである。このことをつきつめていった。
井戸を掘りまくったところに普遍性のようなものが見えてきた。しかしそこには「壁」があった。壁を抜けることが必要だった。この壁をすり抜けるのに、調査し、考えていたら、ニューヨークのロングアイランドにもう70歳を過ぎた女性に7ついて知った。どうやって知ったのか、僕は今残念ながら覚えていない。
すぐに会いに行った。彼女は歓迎してくれた。それは壁を突き抜ける理論だった。たとえば、book の oo と boot の oo は音が違う。だから彼女は英単語の表記法を変えるべきだと言った。book の場合だと oo の上に印をつける。パソコンで表すことができないから ^ の反対マークだと思ってもらえればいい。food の oo のように音が伸びる場合にはーを oo の上につける。
これで参ったと思った。これは英語表記の究極であった。100年、200年経ったら、新聞などはそうなっているかもしれない、と思うほどだったが、それは一番実際的で真実に近い表記法だと思った。
僕は壁をすり抜けたのだった。「井戸を掘って壁をすり抜ける」これは村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の象徴的な言い方だ。
僕はきっと彼が言う、井戸掘りと壁抜けを経験しているように思う。
大きな勘違いかもしれない。しかし、それは壁を越えたのでもない。壁の外側に違う世界があり、その世界は真実であるものの認められない世界だった。ほとんどの人にとってわからない世界だった。日本の権威あるっぽい英語教育雑誌など話にもならなかった。
僕は、まず、アルファベットの音素を教え、3文字単語でそれを組み合わせ、次に2文字子音(sh,ch, th, wh, ph, ck, ng )の音を教え、それをまた組み合わせる。すると、benchや lunch やship elephant などと辞書がなくても読むことができる。
そうして、次の段階で初めて「名前読み、つまり a i u e o が エイ・アイ・ユー・イー・オウ」と読むこと」を実例を示して納得させるのである。
この辺で「おおい。Aくん、tap ってどう書くの?」と尋ねてみる。Aくんは 「トゥ ェア プ」 というしかない。先生は離れてみる。「聞こえない」という。 英語の音素で人に文字を伝える場合には トゥや プは遠くからでは聞こえるはずがない。
そのために、それまでに習った文字の音素には名前があるんだと初めておなじみに「エイ・ビー・シー・・・」を伝えるのである。
そして、 tap に e がつくとTa は 「ェア」ではなく、「エイ」と変わる。つまり「タップ」が「テイプ」になることを教えるのである。 pin に e がつくと i は「アイ」とかわる。u は 「ユー」に、e は「イー」に。 o は「オウ」と変わるのである。
このように英語の単語というものの読み方・書き方のルールを教えていくべきなのである。
こんなことは僕にとっては井戸を掘ることであった。しかしどこまで掘っても壁はある。今更穴の上まで戻っていくわけにもいかない。そこから壁を抜けるにはたいへんなことがいっぱい起こった。その意味がわからないこともあったろうし、まだ知られていないことに挑戦していくことに抵抗する人たちもいた。
しかし、僕は壁を抜けて、ニューヨークまで行ってしまった。それはたった個人の世界であった。
なぜ、こんな話をするかというと、「リトルピープルの時代」という1978年生まれの宇野常寛という新進の評論家の村上春樹解釈が全く違うからだ。彼は壁をビッグブラザーの象徴だと考え、井戸掘りを壁の前に佇む個人のようなものと考えている。
おそらく、宇野常寛という人はまだ井戸を掘った経験がないように思える。
僕の友人も剣道という井戸を掘っている。壁はある。八段までは最高位という壁がある。そうすることで、彼は壁を抜けていくことだろう。そう思う。
当時の僕らはアルファベットと言えば、「エイ・ビー・シー・・・」というものだった。このエイビーシーから教えていたのが生徒の英語学習を躓かせる一番の原因だと思った。僕はこの時、英語の教授法の世界で井戸の穴を掘ったのだった。
それを掘って、掘ってほりまくっていった。エイビーシーが当たり前の世界が間違っていると思い、考えなおし、日本人にどのようにして「エイビーシー・・・」をやめさせていくか。Aは「ェア」と教える。Bは「ブ」と教える。Cは「ク・ス」と教える。こんな風に、表音文字に慣れ親しんでいる日本の子どもに「音が文字」になっていることをまず教える。つまり、アルファベットの音素を教えるのである。tap は トゥ と ェア と プからなっている。続けて言えば「タップ」となる。こうすれば「あいうえお。かきくけこ、・・・」と同じ感覚で子供は理解するのである。このことをつきつめていった。
井戸を掘りまくったところに普遍性のようなものが見えてきた。しかしそこには「壁」があった。壁を抜けることが必要だった。この壁をすり抜けるのに、調査し、考えていたら、ニューヨークのロングアイランドにもう70歳を過ぎた女性に7ついて知った。どうやって知ったのか、僕は今残念ながら覚えていない。
すぐに会いに行った。彼女は歓迎してくれた。それは壁を突き抜ける理論だった。たとえば、book の oo と boot の oo は音が違う。だから彼女は英単語の表記法を変えるべきだと言った。book の場合だと oo の上に印をつける。パソコンで表すことができないから ^ の反対マークだと思ってもらえればいい。food の oo のように音が伸びる場合にはーを oo の上につける。
これで参ったと思った。これは英語表記の究極であった。100年、200年経ったら、新聞などはそうなっているかもしれない、と思うほどだったが、それは一番実際的で真実に近い表記法だと思った。
僕は壁をすり抜けたのだった。「井戸を掘って壁をすり抜ける」これは村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の象徴的な言い方だ。
僕はきっと彼が言う、井戸掘りと壁抜けを経験しているように思う。
大きな勘違いかもしれない。しかし、それは壁を越えたのでもない。壁の外側に違う世界があり、その世界は真実であるものの認められない世界だった。ほとんどの人にとってわからない世界だった。日本の権威あるっぽい英語教育雑誌など話にもならなかった。
僕は、まず、アルファベットの音素を教え、3文字単語でそれを組み合わせ、次に2文字子音(sh,ch, th, wh, ph, ck, ng )の音を教え、それをまた組み合わせる。すると、benchや lunch やship elephant などと辞書がなくても読むことができる。
そうして、次の段階で初めて「名前読み、つまり a i u e o が エイ・アイ・ユー・イー・オウ」と読むこと」を実例を示して納得させるのである。
この辺で「おおい。Aくん、tap ってどう書くの?」と尋ねてみる。Aくんは 「トゥ ェア プ」 というしかない。先生は離れてみる。「聞こえない」という。 英語の音素で人に文字を伝える場合には トゥや プは遠くからでは聞こえるはずがない。
そのために、それまでに習った文字の音素には名前があるんだと初めておなじみに「エイ・ビー・シー・・・」を伝えるのである。
そして、 tap に e がつくとTa は 「ェア」ではなく、「エイ」と変わる。つまり「タップ」が「テイプ」になることを教えるのである。 pin に e がつくと i は「アイ」とかわる。u は 「ユー」に、e は「イー」に。 o は「オウ」と変わるのである。
このように英語の単語というものの読み方・書き方のルールを教えていくべきなのである。
こんなことは僕にとっては井戸を掘ることであった。しかしどこまで掘っても壁はある。今更穴の上まで戻っていくわけにもいかない。そこから壁を抜けるにはたいへんなことがいっぱい起こった。その意味がわからないこともあったろうし、まだ知られていないことに挑戦していくことに抵抗する人たちもいた。
しかし、僕は壁を抜けて、ニューヨークまで行ってしまった。それはたった個人の世界であった。
なぜ、こんな話をするかというと、「リトルピープルの時代」という1978年生まれの宇野常寛という新進の評論家の村上春樹解釈が全く違うからだ。彼は壁をビッグブラザーの象徴だと考え、井戸掘りを壁の前に佇む個人のようなものと考えている。
おそらく、宇野常寛という人はまだ井戸を掘った経験がないように思える。
僕の友人も剣道という井戸を掘っている。壁はある。八段までは最高位という壁がある。そうすることで、彼は壁を抜けていくことだろう。そう思う。