25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

白鵬

2016年03月28日 | 日記

 白鵬がだらしのない日馬富士の額に手を当て、よこに躱した。先場所栃煌山戦と同じ取り口であった。僕に言わせれば、あれは「りっぱな技」である。逃げの技」ではない。「魔法のような技」なのである。額に手を当てると、相手力士は「あれ?」と思い、止まるか、突っかけるかしなければならなくなる。すると体を横にするだけでよい。失敗する場合もあるから、白鵬はそれにも備えていた。大阪場所の観客の半分は見る目がない。「ブーイング」「やじ」を飛ばし、白鵬の優勝を台無しにする。責められるべきは「日馬富士」や「鶴竜」である。白鵬の圧倒的な強さを13日間は堪能したはずだ。それでも白鵬は千秋楽の相撲を謝っていた。謝る必要もないのに、謝らなければならないような雰囲気がある。横綱だから。36回の優勝力士だから。

 今の相撲をおもしろくしてくれているのは「白鵬」である。相撲協会はこの大横綱に一代年寄りを国籍に関係なく与えた方がよいと思う。相撲界への貢献度は群を抜いている。

 それにしても白鵬は強い。朝青龍がまだいたら、36回の優勝は無理だったかもしれないが、現在では同じ横綱でも圧倒的に強い。表彰式の前にブーブー言って帰っていく大阪の客を観ていて、少々腹も立った。相撲は興業だから客も「優勝決定戦」や「横綱どうしの熱戦」を観たかったというのはわかる。だからと言って、優勝をたたえずに、帰ってしまうのもいかがなものかと思う。

 来場所は「正代」「御獄海」が上がってくる。「大砂嵐」、「遠藤」が戻ってくる。十両でも「宇良」が上がってくる。「石浦」も楽しみである。逸ノ城も出稽古に励み、体重をもっと落とせるだろうか。

 二週間がさっと過ぎてしまって、今日から夕方にみるべきものがない。テレビももっと、剣道の試合や、相撲稽古の風景などやってもらいたいものだ。芸人が出てきてちゃらちゃら話をしているのと、どこのチャンネルでも同じようなニュースををしているのを見ると、テレビの斜陽もうなずける。