25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

いじめる教師

2019年10月21日 | 社会・経済・政治
 実に嘆かわしい。小学教師が同僚の教師に嫌がらせ、いじめを行う。常態化していたのを校長以下他の教師も止めることもない。
 いじめられる方もいじめられる方でなにもできない。死ぬ気になって恐ろしさを見せつけてあげればよいのだ。空手でも習いに行け。
 いじめも幼稚なものである。大の大人が小学生でもしないようなことをする。

 この国のいい加減さを感じる出来事である。

 これはぼくの持論であるが、1)教師採用は新卒の人ではなく、社会経験をした人を採用する。2)中学生くらいだと一番相性が合うのは65歳くらいからじゃないかと思うので、そういう年齢的相性も考慮する。3)これは決定打であるが、教育改革は下(小学校や中学校)からではなく、上から改革するのがよい。具体的に言えば、大学教師の私立、公立を問わない転勤制度の確立である。これをすれば大学名格差がなくなり、受験競争も姿を変えることだろう。

 アジアの国々はちょっと経済が発展してくると、子供を受験勉強に押し込む傾向がある。これは新興アジアの良くない点だ。日本では戦後1970年あたりから小学生や中学生の受験が激しくなったが、そのような小中時代を送った者からノーベル賞は出てこないだろうし、出てきてほしくもない。やはり小中時代は遊ばないと。
 遊びにも、「与えられた遊び」と「作り出す遊び」がある。ゲームは前者である
。与えられたゲームからなにも産み出すものは  
ない。無駄を産み出すだけだ。

 いじめたほうの教師も育ちが悪いのだろう。自分の社会的立場というものも考えることができないのだから。
 
 教育はますます大事と思う。2020年以降5Gの社会が到来すると、テクノロジーについていける人、行けない人、社会に貢献する人、無駄な人が鮮明に峻別されてくるだろう。自分で考えてテクノロジーを利用する。自分で考えて判別する。必要なこと、必要でないこと。自分で考えて一票を投じること。

 教育で失敗するとやがて社会も失敗する。その教育を背負う教師が腐っていたらどうにもならない。そんな教師は少ないと思うが、現場を知らないだけに薄ら気味が悪い。政府は受験制度を変えようと音頭をとらない。沈みゆく日本は子供をも巻き込んで沈んでゆく。実に嘆かわしい。