南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆子供の時の記憶

2012-09-02 22:04:42 | 情報

 1326 日本人にとって触れられたくないと思うことを書く。今日は関東大震災が起きた日、それを、防災の日にしたのです。それすら知らない人が多くなっているのに、当時の朝鮮人虐殺については、知っている人はほとんどいないと思う。当時の政府を始め軍隊、警察全てがこのことを隠匿した。直後から今まで、また、これからも、日本のマスコミで触れることは全くないと思う。ずっと、日本全体が暗黙のうちに封印してしまっているのです。今や封印などしなくてもその封があることを知らなくなってしまったのです。地震の特番をしても、その直後の東京と神奈川の境目辺りで主に起きた事件です。相当、残虐なやり方で、千人以上の朝鮮人(当時はそういう言い方をしていた)を虐殺したのです。理由は朝鮮人が日頃の恨みをはらすために、放火をして回ったり、井戸に毒を投げ込んだりしているという、噂が広がったからです。その噂が広がる手段は、いったい何だったのでしょうか。マスコミ報道機関や電話、交通往来全てが完全に機能を失っているのにもかかわらず、隣近所の口コミでしょうか、どんどん、不安が不安を呷ったのでしょうね。恐怖の反動から、無差別虐殺に至ったのでしょう。止めなければならない官憲もどちらかというと、加担したのだと思う。結局、軍が制圧して事態は収まったが、その詳細について政府や地方官憲が調査をした形跡が無い。詳しい調査資料が残されていないのです。

この事件について、実際には無かったし、本当の被害者は日本人だったという説も説く人もいるが、これも、強く否定するには当時の資料にそれを裏付けるものは無い。

 

一定の期間ごとに、韓国側から、日韓関係を危うくするテーマが投げかけられる。今、また、日韓関係が近年になくギクシャクし出した。日本人に対する恨みつらみは、何も知らない日本人が増えているのとは逆に、根が深くて、減ることは無いのです。日本人が否定したり、おおげさだと言ったりしても、韓国人の感情の高まりを抑える効果は無いどころか。逆に、過去の日本の行為を風化させてはならないという心理をかき立てるだけです。

 

60何年以上前に日本人がした行為は、中国や朝鮮半島人々に多大な迷惑をかけたことは間違いない事実です。日本人はその事実を背負って、これから、何百年でしょうか、両国と付き合わなければならない運命にしてしまったのです。それほど、日本の軍国主義は日本にとって重い負担を残してしまったのです。

 

それらの国の自己努力が大きいと思うが、その後、日本から資金や技術で大きな手伝いをしたこと、それによって、色々な国が自立できるようになったことも間違いないのですから、いつまでも、そんな昔のことで、謝れ、謝れと責めないでほしいと頼むしかないでしょう。韓国も中国も国内事情があって何年かの間隔で国民の関心を日本へ逸らす手段を使う。そんなことから、暴走する民衆も出てくる。その国の政治家に操られないでほしいと思う。実りは何もないでしょ。既成事実や実効支配はどちらも変えられないと思っているのですから。声高に言う必要は無いはずです。

 

 朝鮮人虐殺の話は小学三年の夏休みが終わるころ、今から58年くらい前に、父親から聞いた話です。第二次世界大戦の前から、終戦後まで(1938~1948)、父は、軍人ではなく、電気技術者として、静岡県蒲原の日本軽金属に勤務していた。アルミニュームを作る工程は電気分解そのものです。重電電気技師は最重要技術者ですから、戦争に引っ張られることはなかった。戦闘機などの素材を作るのですから、軍関係の人物とも親しかった。その環境で知った話として、関東大震災直後こういう事件が在って、軍が鎮圧をしたとい歴史があったことを知ったそうです。当時は極秘情報だったと言っていた。子供心に日本人は酷いことをしたんだなと思った。インドネシアへ来たこともそういう話が影響しているのです。

 

 インドネシアの田舎の道路風景、ジャワ島の南海岸に付かず離れずの道路が多い。

溶けず 解けず 説けず

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする