エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

木蓮の午睡

2011年03月27日 | ポエム
白木蓮がいつの間にか満開である。
そろそろ紫木蓮が咲き始める。





        木蓮の午睡


      日差しは暖かいのだが
      風の冷たい午後
      木蓮は花を風になぶられながら
      静かなまどろみにあった
      ぼくは
      あなたのことを思いながら
      大幅で歩き続け
      汗を掻いたのだった
      木蓮は午睡に入って
      静かな時間を枝々に蓄えつつ
      白さを増していく
      その蓄積された静かな時間は
      緩やかに束ねられた
      遥かな空に投擲されるために

      木蓮は投擲され
      地上に戻ることもなく
      遥かな空に散華する木蓮の静かな時間を湛えた春
      である





木蓮・・・きみは気だるいのだろうか。
それとも春の午睡は緩やかな時間の沈殿なのだろうか。



新しい葉脈をきみは際立たせる。
その役割だけでも、きみは素晴らしい。






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白木蓮は春の暖かさを謳歌する

2011年03月26日 | ポエム
春霞みのように白木蓮が咲く季節になった。



白木蓮の木がガラスに映っている風情もぼくは好きだ。



とある体育館の窓である。
まるでガラスの向こうの別世界のようである。






        白木蓮


      そのほの白き横顔にぼくはそっと手を触れた
      冷たさが肌を触れあった部分から伝わってきた
      冷たさは健康なきみの感性であると伝える者がいる
      その伝播する感性の空気が微かに揺れているのだ

      白木蓮のあまりの白さに打ちのめされてしまう
      触れてはいけないものにぼくは触れてしまったのだろうか
      触れた部位から白木蓮は茶色に変色して壊死していく
      その物語が口述されたのは一体何億光年前だったのか

      白モクレンの触れてはならないという不文律に
      きみとぼくは触れてしまったのだった
      きみのほの白き肌を通して毛細血管が見える
      そこを流れるのは脈打つ熱き血潮の流れである

      白木蓮は赤き血潮を纏うのを忌み嫌ったという
      古い記述が残されているのを
      きみは知っているか
      ぼくはその悲しみを知っている







木蓮は、つぼみの先が必ず北を向くので、方向を指示する植物「コンパス・フラワー」とも呼ばれているのである。
コンパス・フラワー、それは船乗りの崇拝の対象でも良いのかもしれない。

春・・・穏やかな海で漁をするのは、きっと素晴らしいのだ。
などと勝手に憶測する。



モクレンの仲間(マグノリア属)は、原始時代から形状を変えていないことも特徴で、恐竜時代の地層から化石が発掘されることがある。
ロマンですね。



花言葉は「崇敬」「自然な愛情」「恩恵」「自然への愛」「高潔な心」「持続性」である。



白さが眩しくなってきたら、人生が終わるのかもしれない・・・などと空想しつつ白木蓮の下を歩いた。



人は一人では生きられない。
花も一輪で咲くのは悲しい。

だがしかし「孤高」であることも必要なのだ・・・。
と、思い至る。






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冬の蠅

2011年03月25日 | ポエム
冬の蠅は、沈思黙考しているかに見える。
一所にジッとして留まっている。

異臭があろうが、騒音があろうが一切お構いなしである。






        冬の蠅


      冬の蠅は逼塞して
      沈思黙考する
      五月の蠅はうるさいと疎まれるのに
      だ
      冬の蠅が思索の時代に入って
      気温も
      湿度も
      嗅覚も
      触覚も
      あらゆる生命の感覚が形而上の存在となって
      視覚に反映される
      唯一
      視覚が形而下の実在的感覚となって
      時代を証言するのだ

      冬の蠅は逼塞する
      冬の蠅は思索の時代を経て
      やがて
      あわれ彼岸の世界へと
      旅立つのだ




公園内の公衆トイレのタイル壁にはりついていた蠅である。
この公園の池には渡りの鴨が多く住みついているけれど、徐々にその数を減らしている。



鴨が騒がしく泳ぎ回っていた。
もうすぐ旅立つのである。

この泳ぎは、自分の滑走路を探っているかのようであった。
冬の蠅・・・きみはおとなしい。




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花の気持を忖度するほど傲慢ではない・・・

2011年03月24日 | 
花の気持は、ぼくには忖度出来ない。
とりわけ今咲く花の気持をおいてをや・・・である。

従って、擬人化した花の事を書く場合はフィクションであって、ぼくの勝手な創作である。



満開のホトケノザである。
花がありすぎて仏様は鎮座できないかもしれない。

それがウキウキとする春の気配であるのかもしれない。
ホトケノザの花言葉は「調和」である。



スノーフレークである。
花は下を向いて咲く。
傘のような花弁の縁の緑の点々がポイントである。

花言葉は「汚れのない無垢な心」「乙女の誇り」「純潔」である。
魅力的な言葉が連なる・・・無垢、乙女、誇り、純潔。



ムラサキハナナである。
別名にショカツサイ(諸葛菜:諸葛孔明が広めたとの伝説から)と云う。
花大根とは違うのである。

花言葉は「知恵の泉」「 熱狂」「 優秀」である。



満開のハナカンザシである。
緑の葉の上に、まるで浮いているように咲く。
幻想的な咲き方である。

花言葉は「明るい性格」「温順」「思いやり」である。
温順・・・久しく忘れていた言葉である。
疾風怒涛の時代では口の端に決して上らぬ言葉である。

思わず「ニッ!」としてしまった。





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春を告げるクロッカスの花に

2011年03月23日 | ポエム
クロッカスは「ハルツゲサフラン」とも言う。
蕗の薹のように、雪を割って花咲かせる健気さである。



クサスギカズラ目 Asparagales
アヤメ科 Iridaceae
サフラン属 Crocus
クロッカス(crocus)

である。





        クロッカス


      蕊の細やかな花粉がしっとりとする午後
      ぼくはクロッカスに魅せられたまま
      うずくまっていた
      得体の知れない気配をやり過ごすためだ
      クロッカスはぼくの影に遮られて結界の向こうに
      潜み
      手折られるのを凌いだ
      クロッカスが告げた季節のまま
      大気は緩み風はたおやかにそよいだ
      あたかもゼウスの呼気が生き物を制御するように
      天と地との間にたゆたう気体が
      クロッカスをまったりと包み込み
      そっと愛撫を加える
      クロッカスは花弁をゆったりと開き
      蜜を溢れさせるのだが
      あくまでも密やかに張力を迎える有様だ
      蕊を守る花弁の透徹した薄さと
      色彩に
      ぼくはやはり立ち上がれず
      うずくまっている





クロッカスの花言葉は多い。

「青春の喜び」「あなたを待っています」「楽しみ」「切望」「羨望」「歓喜」「私を信じて下さい」「あなたを信じながらも心配です」「信頼」「裏切らないで」「焦燥」「じれったい」「悪口をいうな」「堅実」「不幸な恋」

など多彩である。



花弁に包まれた・・・保護された蕊はエロチシズムすら感じさせる。
だからこそ、これほど多くの花言葉があり、人は思いを寄せたのである。

とりわけ黄色の花言葉は「私を信じよ」「悪口をいうな」「焦燥」「青春の喜び」「歓喜」である。



紫の花言葉は「愛して後悔する」である。
愛は無償であって見返りを求めるものではない。

従って後悔する愛とは、余程の悲惨さを内包していたのであろう・・・。
それは悲しい。





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