エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

雨のイマージュ

2011年03月22日 | ポエム
終日雨に降りこめられた。
しとしとと降り続く雨の音に耳を澄ますと、記憶が薄れていく感覚に捉われるのである。

今も雨は降り続いている。
ショパンのタッチが想起される。

ショパンの雨だれへの音感は秀逸である。
透徹されている。






        雨のイマージュ


      その降りかたがぼくを苦しめる
      そのゆったりとした濡らしかたが
      ぼくをいたぶる

      産まれ消え入る瞬時に
      ぼくは手をさし伸べる

      雨のイマージュはそうであって欲しい
      刹那に生き刹那に消え入る
      だがしかし悠久に生きるのだ

      雨のイマージュは雨の記憶
      雨のイマージュは雨の瞬時に生きた証
      雨のイマージュは雨の流し去った過去への追憶
      雨のイマージュは未来の予感
      雨のイマージュは未来への希望
      雨のイマ-ジュは未来への歓喜

      雨に触れる
      冷たさが穏やかに皮膚に浸透してくる
      雨のイマージュのすべてを体内に取り込み
      全的な存在が際立った

      それはそぼ降る雨のイマージュ






勿忘草に思いを寄せてみる。
胸のほんの一部にポッと灯が点った。
その灯が、徐々に胸を占領していく。

雨に降りこめられたら、勿忘草を抱いてみることだ。
ショパンのタッチの軽やかさと違って、深い喪失に行きつく。






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                荒野人

昨日の色は明るかった・・・それが悲しいのである

2011年03月21日 | ポエム
今日は朝から雨が降っている。
ものみな濡れそぼっているのである。

昨日の色は明るかった。



昨日我が家に来た「アルメリア・マリティア」のピンク色である。
和名がまた良い「ハマカンザシ」である。

花言葉は「思いやり」「同情」「歓待」「可憐」「共感」「滞在」である。

さて・・・。

昨日、東京は天気予報が外れて夕刻まで雨は降らず好天に恵まれたのであった。
そんな空と雲の美しい夕方、ビッグニュースが飛び込んできた。

80歳の女性と16歳の少年が瓦礫の下から救出されたのである。
16歳の少年とその祖母であるという。
ぼくは快哉を叫んだ。

未来のある少年が、命の炎を燃やし続けたのである。
奇跡はあるのだから、希望を捨ててはならないのである。






        色は人に染みこむ

      春の色が満る頃
      ひとはその色に染まる
      色は人を染めることで完結する
      一度染め上げられた人は
      季節が移ろうまで脱色できない
      と
      神話は伝えている

      色は人に染みこみ
      戦へと駆り立てる
      ポエニ戦争がそうであったように

      田舎の風景が
      だんだら模様になって
      山肌を染め上げる頃
      田舎の友人はその模様に染めあげられる
      都会の友人は
      硬質で無機質な
      それでいて変に色彩感溢れる
      色に染め上げられた

      色は時代の変遷を色濃く反映して
      水に溶けていく
      その融けゆく様は
      マーブルで
      人を撹乱させて消え去る

      色は人から消えるとき
      次なる運命に翔け向かうのだ






今日は水仙で詩を挟んでみた。

いま街を歩いていると、春先の穏やかでいて深い悲しみと憂いに満ちた花々と出会える。
今咲いている花は、ぼくの心象風景の中で咲き続ける花たちである。



カラスノエンドウの淡くも物悲しいピンク色である。



真っ直ぐ伸びる飛行雲である。

間もなく、ぼくの周囲で新しい生命が誕生する。
その生命が連れてくるであろう花が待ち遠しいのである。



その命はこのモクレンの咲き始めの純白色であって欲しい。



勿忘草(ワスレナグサ)である。
2011年3月11日2時46分。

この時期の色とともに、ぼくは忘れない。







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川の流れを見つめる

2011年03月20日 | ポエム
例えばNHKも徐々に通常放送に戻そうとしている。
あの日から1週間が経過し、救命捜索から復旧にその対策のスタンスが変わらざるを得ないからであろう。

しかし、肉親を探す声は悲痛であって、救命捜索はいつまでも続くのである。

ぼくも徐々に詩を創ったり、写真に感動したりする日常に戻って行こうと思っている。
復旧の足音は、高く鳴り響かねばならないからである。






       河の流れを見つめる


      河が流れるとき
      ぼくは
      あなたを求めたい
      河は
      留まることを知らず
      いつまでも
      流れ続け
      やがて
      大海原へとなだれ込む
      痛いほどの
      海への突出は
      著しく
      あなたをイメージさせる
      あなたの豊かな肉体が
      大河と大海原とが激しく混じり合う
      その接点となって
      ぼくを苦しめ
      ぼくをじらし続ける
      あなたは
      大河に問え
      と
      ぼくをいたぶるのだ
      混沌である
      そのカオスが
      薄汚く泥の河となり果てても
      だがしかし
      あなたは
      清浄であって
      白く美しい

      河の流れは
      とうとうとして
      あらゆる物体を
      留めない
      拒否し
      流れのまま捨て去っていく
      森羅万象を
      訪なうかのように
      手のひらで転がし
      あらゆる事象を
      笑うかのように
      捨て去り
      流れ去る






川は悠久に流れる。
川には物語がある、と喝破したのはスタジオ・ジブリの宮崎駿である。

「千と千尋の神隠し」のポイントは川である。



沼に注ぎ込む手前の川は、鮒や鯉など川魚の宝庫である。
陽に照らされてキラキラと輝く水面は神秘的ですらある。

この日、川沿いにはネコヤナギが膨らんでいた。



もう少し経つと「柳蕠」は空に舞い上がる。
柳の種子を包む白い真綿のようなものである。

これも春を告げる川畔の風物詩である。






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                荒野人

2011年3月11日2時46分・・・その日の月と今日の月

2011年03月19日 | ポエム
2011年3月11日2時46分

そのときの日付であり時刻である。
その日、月は下弦の三日月であった。



伏し目がちに地球を見下ろしていた。
悲しみに耐え難く伏し目がちになったのであろう。



        2011年3月11日午後2時46分


      2011年3月11日2時46分
      日本が巨大な災厄に襲われた日時だ
      足元が大きく揺らぎ
      二本足のぼくたちは立って平衡を保てなかった

      アスファルトの道路が波打ち
      頭上の電線が大きく振れた
      高層ビルはくねくねと揺れ続けた
      車はその道路上でサーフィンをやっているかのように
      左右に揺れ上下に突き上げられた

      2011年3月11日2時46分
      ぼくは
      この日を忘れない
      家族と連絡が取れなかった時間は
      恐怖と不安
      悲しみと予感
      家族の空白の時間であって
      悪寒のような時間であったのだ

      2011年3月11日2時46分
      これから毎年来るであろう3月11日2時46分という
      災厄の記憶は
      決して消えることのない刻印だ

      あれから一週間が過ぎて
      誰もがその時刻哀悼の誠を捧げた
      昨日までの涙の時間は
      雄々しくもしめやかな決意の一歩となる
      しかし
      どれほどの悲劇を積み重ねていけば
      癒されるのだろう
      どれほどの悲劇を積み重ねていけば
      止まった時間が動き出すというのだろうか

      2011年3月11日2時46分
      ぼくはこの日の月を撮った
      ぼくは今日の月も撮った
      2011年3月11日2時46分の月は伏し目がちな下弦の三日月
      2011年3月18日19時20分の月は満月に向かっている
      月が確実に満ちる時間
      ぼくたちは悲しみ嘆き深く慟哭した
      2011年3月11日2時46分
      ぼくはこの日付を忘れない
      ぼくたちはこの日付を記憶に刻んだのである





あれから1週間、月はここまで満ちた。
満月だと完成となってしまう。
被災地のこれからの前進のために、これで良しとするのが正解なのかもしれない。



黙祷を捧げた被災者も、そしてぼくたちも明日へ向かって進みたい。






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被災地に光あれ・・・トリレンマ(三重苦)の克服を

2011年03月18日 | ポエム
被災地に光あれ。
被災地に熱あれ。

復興への力強い足音よ、鳴り響け。

今夜は、9時半以降身体に感じる余震が片手で数える回数に上っている。
率直に言って、怖い。
地球に奥の方で蠢動している気配を強く感じるのである。

まだ先だけれど、明後日の義父母の法事は欠席する事を決めた。
落ち着いたと判断出来るようになってから墓参りに出かける事としたのである。
忸怩たる思いである。






        被災地に光あれ



      被災地に光あれと願う
      暑い復興の足音に熱あれと
      人としての節目の行事へ行くことすら
      妨げるというのだろうか

      ならば
      被災地に光あれと願うぼくたちに
      力を与えよ

      そして
      謙虚に
      かつ大胆に豪胆に突き進む熱い勇気をぼくに与えよ

      かつて
      人の世に一滴を投じた
      の宣言にぼくは思いを馳せている
      光あれ
      熱あれ
      と希求した
      人であることの高らかな宣言だ

      寒さに震え
      停電の暗さに怯え
      耐えている被災地に
      光と熱と
      そして希望を
      ぼくは
      願う

      光あれ
      熱あれと






今回の天災は、三重苦(トリレンマ)である。
地震
津波
原発
の三つである。

だがしかし日本人の叡智は、こうしたトリレンマを必ず克服すると信じたいのである。
前の私のブログ内容に、Yajiumaさんが「お前はなにさまだ!上から目線で・・・所詮はおまえは被災地と葉関係ない」とおしかりのコメントを頂いた。

そうお取りになったのなら、ぼくの不徳の致すところである。
けれど、あの文章はぼくが読んで納得したから、そのまま転載した内容である。
ぼくが初めて知った取り組みもあったし、知っていたけれど出来なかったことも書いてあった。

だから転載させて頂いたのである。
転載したこと自体を恥じるつもりは無いけれど、不快感を抱かせたとしたらお詫びするものである。







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