エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

青嵐

2016年05月22日 | ポエム
このところ、穏やかな夏の日々である。
木々の梢には、風が気持ち良く霞めて通り過ぎている。

葉擦れの音が、何か?
と囁いている。



青嵐の下をゆくのは、心地良い。
さざめく木々や、瞬きをするかの青嵐である。



空には、雲が千切れるように遊弋する。







「騒めいて気分持ち去る青嵐」







青嵐は、遠慮会釈なく気分を持ち去る。
人の戯言など、無頓着なのである。




     荒 野人


田植

2016年05月21日 | ポエム
家の近くの公園の「学校田」で田植えが行われていた。
子どもたちの、弾んだ声が高く空にへと駆け上っている。

裸足になって、田に入る。
そに感覚が思われて、楽しそうなのである。
気分が、昂揚している。







田植 歌:ゆうこ(西川友子・吉田友子)




中山晋平の曲である。
教科書にも載っている歌である。
楽しく、ウキウキする歌である。







「学校田裸足の子ども田植歌」







この田植えの苗は、モチコメである。
収穫して、餅搗きに使うのだ。

田植えをしているのは、五年生。
お餅は、学校の生徒全員に行き渡る。



稲刈りも又、子どもたちがするのである。
元々農村地帯だった地域の特性である。



      荒 野人

さくらの実

2016年05月20日 | ポエム
花は葉に・・・。
ですね。



桜が満
開になって、花筏を浮かばせた。
花筏は流れ去り、蕊が降った。

蕊が落ちきると、葉桜に変身した。
葉桜の間に間に、桜の実が色づいている。



桜の楽しみ方ですね。
いま、薫風に吹かれながら桜の樹の下のベンチで和むのが好きです。







「桜の実こっそり口に含みおく」







艶つやとした実が、目に眩しい。
美味しそうに見えるけれど、この実は食べられない。

いや、食べない。
見て楽しむのである。



     荒 野人

たかんな

2016年05月18日 | ポエム
少し遅れたけれど、たかんなを詠おうと思っている。
たかんな・・・筍である。
ただし、もう旬が過ぎてしまった。



むしろ、皮剥ぐ候なのかもしれない。
竹林は、心が安らぐ。

通る風、葉擦れの音、竹のそよぎ・・・。
全てが癒しに空間を装う。



この竹林の一画には、鹿威しが設えられている。
風情があって、良い風景である。







「たかんなの美し歯応え沁み透る」







この竹林は、孟宗竹である。
たかんな、は美味しそうである。



丸々太って、柔らかそうである。



     荒 野人

柿若葉

2016年05月15日 | ポエム
柿若葉は、優れて若々しい。
自らの青春時代を想起出来る。
ただし、柿若葉は夏だから・・・優れて滴るというべきか。



この若葉は天麩羅にすると、偽りなく美味い。
大好きである。

茗荷の若い茎も、あわせて天麩羅にする。
天つゆで頂いても良いけれど、ペルーの山の塩で頂くと美味さが増す。



柿若葉は、目に優しい。
疲れ目の時は、柿若葉を見上げていると目が安らいでくる。

眠気も出てくるので、それだけは注意!
「へんなおじさん!』になってしまう。







「柿若葉一朶の雲の見ゆる窓」







とまれ、この季節にしか味わえない味覚である。
この時期の味覚は、視覚でも美味しいのである。



     荒 野人