エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

五月晴なのに・・・

2016年05月13日 | ポエム
昨日、一つの句会があった。
何だか知らないけれど、妙に疲れてしまった。

帰宅して、夕食を認め、風呂に入り・・・。
錦織のテニス3回戦の勝利を確認して、布団にはいった。
正体のない不安、疲れがどっと出て来たとでも云おうか。

昨日は、途方も無い五月晴れだったのにである。
四五日ブログ更新を、休もうと思う。
のんびりと、するつもりである。







「衒いなく蟠りもなき五月晴」







今日も今日とて、爽やかな晴れである。
気が向いたら、公園のいつものベンチで時間を過ごそうと思っている。

四五日、休みますね!



      荒 野人

ユリの木

2016年05月11日 | ポエム
ユリの木に花がついた。
高い場所に咲くので、見逃してしまう。

けrども、見つけたらじっと見つめて欲しい。
それほど床しくも美しい。



花の形が百合に似ているからと、樹の名前自体もユリの木となってしまったのだ。
極めて特徴的な花である。







「夢現ユリの木の花宙遥か」







このユリの花は、いつもぼくが座るベンチの横にある。
いや、ベンチの上にあると云う方が正しい。

この花の下のベンチは、ぼくの定点である。



思いがけず、素晴らしい言葉が浮かんだりすることもある。
句が出来ずに、打ち拉がれているときも励ましてくれる。

風がすこやかに通り過ぎる。
それもこれも、ユリの木の精霊が齎してくれる僥倖である。



      荒 野人

海芋・・・かいう

2016年05月10日 | ポエム
カラーである。
里芋科の植物である。



花言葉は・・・
「華麗なる美」「乙女のしとやかさ」「清浄」とある。

一番しっくり来るのは「清浄」である。
その白さは、類い稀なほど痛々しい。
語順を変えれば「痛々しいほど白い」のである。







「痛々し顎上げる海芋かな」







いま頃、街中で見られる花。
カラーである。



     荒 野人



おきな草

2016年05月09日 | ポエム
おきなぐさ・・・と読む。
おきなそう・・・ではない。



翁というには、あまりにも個性的である。
少しばかり毛深いけれど、毅然として花開く。



こうして見ると、その個性は際立つ。
山野草の、珍しい花である。



蕊の有様も良い。
色合いは決して良いものではないけれど、気品のある花である。

この花弁が、枯れると・・・



こうなる、のだ。
この白毛状のもおは、オキナグサの実である。
まるで老人の白い髭のようである。







「オキナグサ白毛状の実の爆ぜる」







かくして、この花は「おきなぐさ」と呼称されるのである。



まさしく、翁の髭である。
オキナグサは、晩春の季語である。
節季で言えば立夏が過ぎた。

実質は、夏隣である。



      荒 野人


夏の階段

2016年05月08日 | ポエム
緑が滴る。
滴るような、緑の中で階段が息づいている。



これから、夏の階段を昇って頂こうか・・・。
この緑の中に階段があるのだ。



緑を感じつつ階段を上る。
何段か?
などと、野暮は言わない。



階段を吹き上がる、薫風が一筋。
身体中が、染め上がってゆく。

夏の色に、である。







「夏階段ゆらゆら降りてくる女」







今日も、この階段を上りに行こうか?
などと風に吹かれている。



     荒 野人