サッポロビール博物館に入ってみる。
いきなり、入ってすぐに
三階行きのエレベーターに乗せられる。
ああ、ビアホールを1階に据えて
博物館は比較的アクセスしにくいところに追いやっているのか?
なんて思いながらエレベーターで三階へ向かう。
エレベーターを降りて、いざ、博物館へ。
どーん
でっかーい、でっかーい、
なまらでっかーい釜がある。
それは、1階から3階までをぶち抜くデカさ!
この釜を上から順繰り螺旋スロープごしに眺めながら1階に下る。
この中に大量の麦汁が入っていたのだから、そりゃ、規模が違う。
以下↓サッポロビール博物館から引用
【麦汁煮沸釜】
1.製作年 1965年頃
2.製作者 三宅製作所
大量生産の時代の要請に、大量の麦汁を効果的・効率的に煮沸することを目標に、形状・材質・機能が試行錯誤された中、銅製だったものが次世代のステンレス製に替わる1980年代までの間使われた設備で、銅製の仕込み容器として完全な形として保存されている唯一のものである。
1.製作年 1965年頃
2.製作者 三宅製作所
大量生産の時代の要請に、大量の麦汁を効果的・効率的に煮沸することを目標に、形状・材質・機能が試行錯誤された中、銅製だったものが次世代のステンレス製に替わる1980年代までの間使われた設備で、銅製の仕込み容器として完全な形として保存されている唯一のものである。
まず、このでかさに圧倒。
結局展示物は1階✨
イチ企業としての歴史を留めてあるのかと思いきや、近代日本経済や政治に大きく影響のあったことかよくわかる。
イチ企業としての歴史を留めてあるのかと思いきや、近代日本経済や政治に大きく影響のあったことかよくわかる。
道民としては、
民間払い下げの条件に
道産のビール用大麦を使うという条件があったのを
きちんと現在も守り、北海道のビール大麦を全量買い取りしているという。ちょっと感動するよね。
きちんと現在も守り、北海道のビール大麦を全量買い取りしているという。ちょっと感動するよね。
北海道から東京にビールを運ぶのに、東京についたら、ビールが空っぽになっていた話とかも、開拓時代のなんとか東京で売りたい気持ちの空回り感が露骨な失敗。
北海道の玉ねぎ栽培も、東京に船便で送るも全量腐るとか、東京の人に玉ねぎ文化が無くて受け入れてもらえないとか、苦難を乗り越えてきた歴史がある。
北海道という地の
良さで作られたビールも玉ねぎも
北海道という地が
大量消費地東京と距離がありすぎる事で苦難の道のりを歩んできた。
まあ、そんなカタイ話ばかりでもなく、サッポロビールのポスターの展示がよかった。
ほぼ、美人画からはじまった黎明期
柔らかな白い肌、艶やかな黒髪、当時、ビールを女性が飲むのはやはり、夜のお店だったのだろう。
夜のお店の女性が「ご一緒にいかが?」とウインクしていそうなビジュアルばかり。これも時代だね。
で、突然くるのが
これだっ✨
1970三船敏郎
1970三船敏郎
男性が「ビールを飲む男はカッコいい!」と思わせる仕様に変わる。
時代は高度経済成長期。
モーレツサラリーマンが
モーレツに稼ぎ、日本を豊かにしてきた。
ビールは女性を愛でながら飲むものというより、仕事柄飲むモノだったり、疲れを癒すために飲むモノに変わっていったのがよくわかる。
平成になり、ビールはコミュニケーションツール的な扱いになるのが伝わる。
平成になり、ビールはコミュニケーションツール的な扱いになるのが伝わる。
実はこのちょっと前にバブルが破綻した。
バブルにあわせて
人気絶頂期のとんねるず。
この時代、日本はバブルでウハウハだったし、土地転がしで、ヤングエグゼクティブと呼ばれた若い大金持ちが雨後のタケノコ状態に生まれた時代。ビールは若い世代でも気軽に手にとれるようになった。
この先30年も景気が悪い状態が続くなんて、思わなかったから
バブルの象徴をシンボルにするのもわかるよね。
ポスターだけでも、すごく面白い。
また、ゆっくり見たいな。
この見学の最後には、サッポロビールでしか買えないビールが買えたりするショップがあったり、そのまま進むと有料試飲コーナーがあったりする。
ビールの歴史に思いを馳せながら、
至極の一杯を味わうのも、また、一味ちがう楽しみになるのではないかな。
勉強になる度★★★
ビールが飲みたくなる度★★★★★
北海道の誇り度★★★★★
また行きたい度★★★★
無料だしね✨
したっけ🎵
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