魚のアトリエ”うおとりえ”

新鮮な魚を美味しく食べたい!!
 「魚っ食いの365日

魚談義――漁業と魚食の近未来

2011年03月22日 | 魚談義

    
左:セリ場のマグロ                   右:三崎市場のセリ場

 東北関東大震災
 この魚談義シリーズを、「魚の安定生産と安定消費」の項まで書いたところで
東北関東大震災に見舞われた。中でも世界の三大漁場に近い三陸沿岸が壊滅的な被害を
受けた。大災害ではあったけれども、私たちは絆の尊さを見た。身にまとう雪を振り落
として立ち上がる寒竹でありたいと思う。被災地の皆様とともにありたいと思う。

 世界の海から
 シリーズ最終章に、「漁業と魚食の近未来」を書きかけていた。
わが国の漁業は、地域的に見れば沿岸から沖合いへ、沖合いから遠洋へと世界の海に
拡大した。しかし、古くは北洋漁場から、アラスカ漁場から、南氷洋から締め出されて
きた。近年は資源保護の観点からマグロへの規制がかけられている。抗し難い趨勢だ。

 近海に戻る
 再び、遠洋から沖合いへ、沖合い漁業から沿岸漁業へと転換する時が来たように思う。
わが国の旺盛な食需要と嗜好に対応して、世界の海に拡大してきた。これをを転換する
とき、こんどは漁業生産に合わせて消費需要と嗜好を変化させなければならない。

 嗜好の変化
 マグロばかりではない。アジもサバも、イカもタコも、サケ・マス・タラも世界の海
から調達してきたが、その多くは加工食品として、また回転寿司に代表される外食産業
需要を賄ってきた。一方鮮魚が家庭の食卓に上ることは年々少なくなってきている。町
の魚屋さんの減少が如実に物語っている。大型流通の台頭に負けたのではなく、消費者
の需要と嗜好の変化について行けなかった結果と考える。

 世界調達からの転換
 世界の海から調達してくれば、冷凍保管技術の発達により、季節に関係なく調達・流
通させて需要を賄えた。しかしそれも、世界的な魚需要の増加から、いわゆる買い負け
現象からままならないという。一方で、食の国内自給率の引き上げが議論されているが、
消費需要を変化させなければ実現できないし、議論がかみ合わない。
 

 鮮魚を食卓へ
 端的にいえば、頭も骨もある魚を鮮魚として食卓で食べるようにしないと生産に見合う
消費が生まれてこないと考えている。生産に見合った消費とは、季節々々に獲れた魚を
食べる食習慣・食生活にに転換することである。そのためには鮮魚が鮮魚として、新鮮
に提供できる流通に変らなければならない。同時に漁業生産も、消費動向を見据えた形
に変らなければならない。単純に獲れる時獲れるだけ獲るというあり方を変えなければ
、獲った魚を消費することはできない。資源もますます枯渇するばかりだ。

 獲れたものを食べる
 幸いわが国は、長い海岸線とともに恵まれた漁場に囲まれている。この環境の中で魚
の需要を賄えないはずはない。賄わなければならない時代が来ていることを肝に銘じな
ければ、いずれは胃袋を満たすことができなくなる日が来る。
 生産と需要は産業の両輪だ。消費に見合って生産するか、生産に見合って消費するか
だ。魚は天然資源であることを考えれば、獲れたものをいただくことの方が理に叶って
いる。食べたい魚を獲ってくるというのは不遜と言うしかない。このことが言いたくて
このシリーズを長々と書いてきた。


 重複するところもあり、意を尽くせないところもあるが、既述のシリーズのテーマを
列挙してこの稿の終わりとしたい。雑駁な論だがご一覧いただければ幸いです。

 1.鮮魚難民
 2.my魚屋開業:アンテナショップ
 3.家庭における「魚食力」について
 4.後継者問題
 5.魚調理技術者を惜しむ
 6.漁業:それは生産計画のない生産業
 7.魚の安定供給と安定消費
 8.漁業と魚食の近未来

 
コメント
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