小説はそこそこ読んでいる方だが、特にSFものが多かったりする。
最近だとジェイムズ・ロリンズの「地底世界」や「暗黒結晶」を読んでいて、この“無いんだろうケド有りそうなワクワク感”を掻き立てられる、未知の生物との遭遇場面などは面白い。
この著者の場合、米国自衛隊活動に対しても聡いというか、軍事ありきで進めていく内容が大半なので、殺害シーンも出てきたりするからその辺で支持が割れるかもね。
以前によく読んでいたのが、アイザック・アシモフとJ.P.ホーガン。
どっちもスペースサイエンス小説家としては大御所で、特にアシモフに関しては、ロボット小説の先駆と言える存在で、「私はロボット」はその手の原典。ホーガンも「星を継ぐもの」が代表作で、人類史に関して大胆に切り込んで見せた内容が興味を引く。
で、
大抵SFものは近未来的なものが舞台となっているもので、アシモフもホーガンもその分野での小説では例に漏れず。
描かれているのは、「世界大戦後の未来」という方が当て嵌まりやすいか。
特に、個人的にアシモフの関しては舌を巻く洞察力だと感じた。
アシモフ自体、第二次大戦を生き抜いてきた人物なので、戦争に対しての皮肉さを取り上げている事が場面として顕著だったりする。また小説家の一方で科学者でもあった為に、今読んでも説得力の強い内容のものは多い(時代背景的に翻訳のされ方に関しては、好き嫌いは多少出るかもしれないが)。
アシモフはもうずっと前に亡くなっているが、人類史上最も不毛な争いと言っても過言ではない時を体感してきた人物だけあって、もし今この時代にも存命だったら、何を描こうとしていただろうか?と思ってしまう。
対してホーガンはテクノロジーの発展により、世界が一丸となって人間社会を快適に生き、宇宙へと足を延ばすというある意味前向きな未来を作品で描いたりする事が多い。
共に方向は違えど、人間の未来に向けた描写はギラリと光る。
アシモフが皮肉を込めて描いた、人の居る地球世界は、現実に迫ってきているかもしれない。
現在の人間社会は危機に対して守ろうというよりも、意識を遠ざけようという方向が強い。
辛い時期への反動であるのは解る。が、蔓延しきっている感は否めない。
オレとしても、だからといって現実を知れなどといっぱしの事を説くつもりはないし、そんな事をそもそも出来ると思っていない。
嫌な事から逃避した時を過ごす楽しさを知っているからね(笑)。ただ、そこだけが全てではないというのを念頭に置いておく必要があるって話。
そーいった感情が渦巻きながら、アシモフやホーガンは先をみつめて小説を書いていたのかもね。
初刊発行されてから数十年が経とうとして尚読まれる理由は、時代を超越したというより、彼らの描いた世界に現実が未だ到達しえないからこそだろう(SFの魅力は本来そこにあるワケだが)。
所詮フィクションであるが、先のロリンズとアシモフの内容を複合させると、どうしようもなくノンフィクションに感じてきてしまうのはオレだけなのかな(苦笑)?
因みに、アシモフはサスペンス系小説も手掛けていたりする。
彼の洞察力の鋭さは、この手にも表れていると言えるし、寧ろなるほど、と思ってしまう。
最近だとジェイムズ・ロリンズの「地底世界」や「暗黒結晶」を読んでいて、この“無いんだろうケド有りそうなワクワク感”を掻き立てられる、未知の生物との遭遇場面などは面白い。
この著者の場合、米国自衛隊活動に対しても聡いというか、軍事ありきで進めていく内容が大半なので、殺害シーンも出てきたりするからその辺で支持が割れるかもね。
以前によく読んでいたのが、アイザック・アシモフとJ.P.ホーガン。
どっちもスペースサイエンス小説家としては大御所で、特にアシモフに関しては、ロボット小説の先駆と言える存在で、「私はロボット」はその手の原典。ホーガンも「星を継ぐもの」が代表作で、人類史に関して大胆に切り込んで見せた内容が興味を引く。
で、
大抵SFものは近未来的なものが舞台となっているもので、アシモフもホーガンもその分野での小説では例に漏れず。
描かれているのは、「世界大戦後の未来」という方が当て嵌まりやすいか。
特に、個人的にアシモフの関しては舌を巻く洞察力だと感じた。
アシモフ自体、第二次大戦を生き抜いてきた人物なので、戦争に対しての皮肉さを取り上げている事が場面として顕著だったりする。また小説家の一方で科学者でもあった為に、今読んでも説得力の強い内容のものは多い(時代背景的に翻訳のされ方に関しては、好き嫌いは多少出るかもしれないが)。
アシモフはもうずっと前に亡くなっているが、人類史上最も不毛な争いと言っても過言ではない時を体感してきた人物だけあって、もし今この時代にも存命だったら、何を描こうとしていただろうか?と思ってしまう。
対してホーガンはテクノロジーの発展により、世界が一丸となって人間社会を快適に生き、宇宙へと足を延ばすというある意味前向きな未来を作品で描いたりする事が多い。
共に方向は違えど、人間の未来に向けた描写はギラリと光る。
アシモフが皮肉を込めて描いた、人の居る地球世界は、現実に迫ってきているかもしれない。
現在の人間社会は危機に対して守ろうというよりも、意識を遠ざけようという方向が強い。
辛い時期への反動であるのは解る。が、蔓延しきっている感は否めない。
オレとしても、だからといって現実を知れなどといっぱしの事を説くつもりはないし、そんな事をそもそも出来ると思っていない。
嫌な事から逃避した時を過ごす楽しさを知っているからね(笑)。ただ、そこだけが全てではないというのを念頭に置いておく必要があるって話。
そーいった感情が渦巻きながら、アシモフやホーガンは先をみつめて小説を書いていたのかもね。
初刊発行されてから数十年が経とうとして尚読まれる理由は、時代を超越したというより、彼らの描いた世界に現実が未だ到達しえないからこそだろう(SFの魅力は本来そこにあるワケだが)。
所詮フィクションであるが、先のロリンズとアシモフの内容を複合させると、どうしようもなくノンフィクションに感じてきてしまうのはオレだけなのかな(苦笑)?
因みに、アシモフはサスペンス系小説も手掛けていたりする。
彼の洞察力の鋭さは、この手にも表れていると言えるし、寧ろなるほど、と思ってしまう。