BURRN!JAPANを購入してしまった。
つってもそんな大袈裟なモンでもないが(笑)。
まァ、今回は気になる/知ってるバンドがインタビュー受けてたからしっかり読みたいと思ってたからな。
SURVIVEとIN FOR THE KILL。
この2バンドのインタビューが掲載されていたからだ。
しかし・・・SURVIVEのNEMOが去年の5月に死にかけるほど体調崩したとは知らなかった。
一昨年の暮に福岡に来てぶっ放していたのを見て、タフな演奏をするのは相変わらずと思いつつも改めてカッコイイやつらだなと思った。
オレは、音と共に演奏をする姿にある程度の屈強さを見せる事の出来るバンドに共感する。
大雑把に言うと、アメリカから出てきた90年代を代表するメタルバンド達は所謂タフ/ストロングスタイルとでも言える音像を造り上げていたバンド。
同時に、その時代はまだアナログとデジタルが音楽的/器楽的に鬩ぎあいの強かった時代でもあり、ある意味肉感的エクストリーミティが体感出来る時代でもあったように感じる。
SURVIVE、IN FOR THE KILLの連中は、その時代に多大なる影響を受けたバンドであり、その意味ではオレと世代的に大差はないかと思う。
まァ、IN FOR THE KILLのヴォーカルINAは元METAL SAFARIで、あのバンドにしたってPANTERAから影響を見せるバンドであり、今回INAのインタビューでもあの時代のバンドに影響を受けたと告白しているので、バンドの音と共に感じ取れる匂いに、同じものがあったのはオレの勘違いではなかった。
この二人のインタビューで出てきていたキーワードは、「暴力的」。
音に宿るその精神の吐露が、そう表現させる。
ここは、先にオレが述べた「タフさ」という言葉に相当する。
綴られているその発言の端々に共感できる点はあるが、ソレは個人的見解として置いておく。
述べたいのは、その音の雰囲気をそのまま存在感として自らを見せているのかどうか、という事。
単なる音像として作るのは、ハッキリ言って誰だって出来る。
今はお手本なんて言えるものがあらゆるところに転がっているから、その教科書に則ってやれば形としての暴力的な音は作れる。
が、
ソレは型であって、真の音像とは言えない。
人間的な、肉感が宿ってこそそのフレーズに魂が見えてくる。
オレが自分の音楽に欲しいのは、攻撃的である音の中に見える暴力性。
この辺りはハードコアと言っても差し支えないんだろうが、所謂あの辺りの危険と思わせる様な、強さの滲み出る響きが欲しい。
90年代に出てきた代表的メタルバンドは、こぞってハードコア的などとも称されてきた者達であり、それこそ当時流行したエクストリームという言葉を使われるバンド眷属に居た。
更に言えば、メロディらしいメロディが無い、バンドとしての骨格が剥き出しの正にストロングスタイル。
メロディ、或いはギターソロが有る事に対してオレは特に異存は無い。
ただ、そこを前提として作られるよりも、骨格に対しての彩りを見せられる点に力を注いだタフさの方に魅力を感じる。
要はバランスと言ってしまえるワケだが、オレとしてはメロディ、もっと言うと美旋律よりも厳つさを割合として強く持ちたいと考えている。
その精神が、音に宿るほどに曲へ入れ込んでいるか。
ココって、スゲー重要。
結局のところ、人が演奏して表現しているものだ、音楽って。
だから、問われるのは、その演奏にどんなものが渦巻いているのか。
突き詰めると、そこにあるのは人間の精神性という事になる。
最近、タフさ/暴力的な音像と共にその存在感を示せる様なステージングをやっているバンドは、特に若い世代に少なくなってきていると個人的にも感じている。
上述2バンドのフロントマンも、やはりそこは感じ取っているようで、悪い意味での馴れ合いが蔓延している。
何でその音を出しているのか?
そこを突き詰めて考えてみると、自分が出している音に対してより説得力を見出せると思う。
激しい音楽をやっている/いない関係なく。
憧れはあって良い。
問題は、その憧れという器にどうやって自分を入れ、盛り付けるのか。
そこを見せられないのでは、結局は模倣でしかないし、単なる空虚な音に過ぎない。
他の連中と同じ様な事をしたくない、という想いを持つのは当然だろう。
だからこそ、テメェの鳴らしている音に宿すものは何かと、考えるべき。
そーいうのを面倒くさいと考える様なやつは、オリジナルでやろうとするのは控えた方が良いだろうね。
オレは全く思わない。だから、やる。
まだ自分てやってきた事に対して手応えを掴んでない。
それまでは、少なくとも今はまだ死ねん。
つってもそんな大袈裟なモンでもないが(笑)。
まァ、今回は気になる/知ってるバンドがインタビュー受けてたからしっかり読みたいと思ってたからな。
SURVIVEとIN FOR THE KILL。
この2バンドのインタビューが掲載されていたからだ。
しかし・・・SURVIVEのNEMOが去年の5月に死にかけるほど体調崩したとは知らなかった。
一昨年の暮に福岡に来てぶっ放していたのを見て、タフな演奏をするのは相変わらずと思いつつも改めてカッコイイやつらだなと思った。
オレは、音と共に演奏をする姿にある程度の屈強さを見せる事の出来るバンドに共感する。
大雑把に言うと、アメリカから出てきた90年代を代表するメタルバンド達は所謂タフ/ストロングスタイルとでも言える音像を造り上げていたバンド。
同時に、その時代はまだアナログとデジタルが音楽的/器楽的に鬩ぎあいの強かった時代でもあり、ある意味肉感的エクストリーミティが体感出来る時代でもあったように感じる。
SURVIVE、IN FOR THE KILLの連中は、その時代に多大なる影響を受けたバンドであり、その意味ではオレと世代的に大差はないかと思う。
まァ、IN FOR THE KILLのヴォーカルINAは元METAL SAFARIで、あのバンドにしたってPANTERAから影響を見せるバンドであり、今回INAのインタビューでもあの時代のバンドに影響を受けたと告白しているので、バンドの音と共に感じ取れる匂いに、同じものがあったのはオレの勘違いではなかった。
この二人のインタビューで出てきていたキーワードは、「暴力的」。
音に宿るその精神の吐露が、そう表現させる。
ここは、先にオレが述べた「タフさ」という言葉に相当する。
綴られているその発言の端々に共感できる点はあるが、ソレは個人的見解として置いておく。
述べたいのは、その音の雰囲気をそのまま存在感として自らを見せているのかどうか、という事。
単なる音像として作るのは、ハッキリ言って誰だって出来る。
今はお手本なんて言えるものがあらゆるところに転がっているから、その教科書に則ってやれば形としての暴力的な音は作れる。
が、
ソレは型であって、真の音像とは言えない。
人間的な、肉感が宿ってこそそのフレーズに魂が見えてくる。
オレが自分の音楽に欲しいのは、攻撃的である音の中に見える暴力性。
この辺りはハードコアと言っても差し支えないんだろうが、所謂あの辺りの危険と思わせる様な、強さの滲み出る響きが欲しい。
90年代に出てきた代表的メタルバンドは、こぞってハードコア的などとも称されてきた者達であり、それこそ当時流行したエクストリームという言葉を使われるバンド眷属に居た。
更に言えば、メロディらしいメロディが無い、バンドとしての骨格が剥き出しの正にストロングスタイル。
メロディ、或いはギターソロが有る事に対してオレは特に異存は無い。
ただ、そこを前提として作られるよりも、骨格に対しての彩りを見せられる点に力を注いだタフさの方に魅力を感じる。
要はバランスと言ってしまえるワケだが、オレとしてはメロディ、もっと言うと美旋律よりも厳つさを割合として強く持ちたいと考えている。
その精神が、音に宿るほどに曲へ入れ込んでいるか。
ココって、スゲー重要。
結局のところ、人が演奏して表現しているものだ、音楽って。
だから、問われるのは、その演奏にどんなものが渦巻いているのか。
突き詰めると、そこにあるのは人間の精神性という事になる。
最近、タフさ/暴力的な音像と共にその存在感を示せる様なステージングをやっているバンドは、特に若い世代に少なくなってきていると個人的にも感じている。
上述2バンドのフロントマンも、やはりそこは感じ取っているようで、悪い意味での馴れ合いが蔓延している。
何でその音を出しているのか?
そこを突き詰めて考えてみると、自分が出している音に対してより説得力を見出せると思う。
激しい音楽をやっている/いない関係なく。
憧れはあって良い。
問題は、その憧れという器にどうやって自分を入れ、盛り付けるのか。
そこを見せられないのでは、結局は模倣でしかないし、単なる空虚な音に過ぎない。
他の連中と同じ様な事をしたくない、という想いを持つのは当然だろう。
だからこそ、テメェの鳴らしている音に宿すものは何かと、考えるべき。
そーいうのを面倒くさいと考える様なやつは、オリジナルでやろうとするのは控えた方が良いだろうね。
オレは全く思わない。だから、やる。
まだ自分てやってきた事に対して手応えを掴んでない。
それまでは、少なくとも今はまだ死ねん。