ふかよんライフスタイルファンド日記Ⅱ

生活・仕事・遊びのポートフォリオを重視し、ライフスタイルの「運用」を考えていきます。

希望学③

2006-06-08 01:28:40 | Weblog
岸洋子の名前が全国に知られるきっかけとなった『夜明けのうた』も、実は岸のために作られた歌ではない。ある音楽会に参加した際、シャンソン、カンツオーネが主なレパートリーだった岸に、「オリジナル曲を一曲歌ってほしい」と音楽監督のいずみたくに依頼され、スタッフの松原史明より紹介された歌だったのだ。しかも、ダークダックス、坂本九、マヒナスターズといった当時の人気歌手との競作であり、まだ駆け出しだった岸にとっては、「ただひたすらていねいにうたい続けるだけ」だった。その歌が、岸を全国区の名前の知れる歌手へと導いていくことになったのだ。

岸は、偶然ともいえる数々の歌との出会いを無駄にはしなかった。例えば、ふらりと降りた町で、誰かと出会い、破局を恐れずに恋に落ちることが出来る旅人のように、岸は、出会った歌と「ていねいに」向き合い、その歌を貪欲に「熱っぽく」妖気あふれる歌へと変貌させていく。

「希望という名の あなたをたずねて
 寒い夜更けに また汽車にのる
 悲しみだけが あたしの道連れ
 となりの席に あなたがいれば
 涙ぐむとき そのとき聞こえる
 希望という名の あなたのあの唄
 そうよあなたに また逢うために
 あたしの旅は いままた始まる」
 (『希望』作詞:藤田俊雄 作曲:いずみたく)※

岸の生き様そのもののようなこの歌が大ヒットしたその年、彼女は膠原病と診断され、闘病生活と歌手活動の両立を余儀なくされる。膠原病は「歌をやめる時期を考える」ほどつらいものであった。しかし、岸は断続的に闘病生活を続けながら、ステージに立ち続けることを選ぶ。

「小さい頃からプリマドンナを夢みて歌の世界以外は思いもつかなかった私ですが、こうして25年の年月を重ねてみると、歌い続けてきたこと、歌うことのできた幸せを、今、強く感じています。そして、何よりもこの年月を確かな手ごたえにしてくださったのは、多くの皆様の変わらぬ熱い拍手です。私も、私の歌の熱い炎が消えないかぎり30年、40年と歌いつづけることができたら……『人生はいいもの』と思います」

自らの「歌への想い」に貪欲であることを恐れなかった岸が、『希望』という名の歌に出会ったことは、必然であったのかもしれない。

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あらゆるものが、ひととの出会いから始まるのでしょう。

岸洋子のケーススタディを通じて、かつての夢とは少し異なる結果となったが、出会いを大切にすること、あきらめないこと、などで希望を持ち続けることができたよい事例だと思いました。
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