昨夜、月例会(懇親会)に出席するため電車に乗車した。
下車駅の二駅手前で乗車するはずのKI氏がいない。
「あれ!今日は欠席かな! それとも所用があって既に向ったのかな!」と考えていると、下車駅に到着、下車した。
会場は駅より至近距離の位置にあり、入店する。
店員さんに、幹事のKU氏の名前を告げると「本日は御予約は頂いておりません」と言う。
KI氏が乗車しなかったことと併せ、不安な気分になった。
そして予約帳(?)を見て「明日、〇〇名様で御予約を頂いております」
此処で、ハッと気付いた。 月例会のことを「木曜会」とも言っていたことを・・・
今日は水曜日である。
バツ悪く「明日、参ります」と言って店を出た。
仕事帰りの多くの人が乗車する電車の中で、思い出して独り笑いしていた。
「此れって、痴呆?」と少し不安を覚えながら、高額な交通費を支払って、月例会に参加するための”予行演習”であった。
「痴呆」について考えてみた。
娘がゼロ歳の頃に、大変世話になった方が、施設に入所されており、身近な関心事である。
痴呆は、家族の構成が変化し”会話が無くなったことも要因”とする研究成果を聞いた。
痴呆の特徴として、最近の事は忘れても、若い頃の事は覚えていることが多いという。
若い頃の写真を見せると、当時の事を話すらしい。
思い出せるのある。
そして、痴呆とならない高齢者は”会話が弾む”らしい。
弾むだけでなく、会話のテンポが速いのが特徴の様である。
会話相手の話に間髪入れず反応し、会話を継続させることらしい。
家で音楽を聴きながら、時たま”犬くん”と一方的な会話(問いかけ)をしているのは”痴呆予備軍”であろうか・・・・?
此の点、月例会では半世紀頃前からの若き時代の”仕事仲間だった”という共通点にたって、思い出話を感心しながら聞き入ったり、時として興奮しながら反論したりで刺激の多い会合である。
大切にしたい集まり・集いである。
蛇足:「痴呆」と考えたくないこと。
ことの起こりは、幹事のKU氏からの月例会の開催を知らせる連絡(メール)から始まる。
KU氏からの「2月の月例会・開催案内(メール)」をみて、日付を確認せず、予定を書き込むカレンダーに迷いもせず「(2月)12日・水曜日」に書き込んだ。
早とちりで「水曜日の開催」という思い込みが強かったと思われる。
しかし、通常、月例会は「毎月・第二木曜日」であることを”忘れていたことは、やはりアヤシイ?
今ある現実を、知らされる”事件”であった。
下車駅の二駅手前で乗車するはずのKI氏がいない。
「あれ!今日は欠席かな! それとも所用があって既に向ったのかな!」と考えていると、下車駅に到着、下車した。
会場は駅より至近距離の位置にあり、入店する。
店員さんに、幹事のKU氏の名前を告げると「本日は御予約は頂いておりません」と言う。
KI氏が乗車しなかったことと併せ、不安な気分になった。
そして予約帳(?)を見て「明日、〇〇名様で御予約を頂いております」
此処で、ハッと気付いた。 月例会のことを「木曜会」とも言っていたことを・・・
今日は水曜日である。
バツ悪く「明日、参ります」と言って店を出た。
仕事帰りの多くの人が乗車する電車の中で、思い出して独り笑いしていた。
「此れって、痴呆?」と少し不安を覚えながら、高額な交通費を支払って、月例会に参加するための”予行演習”であった。
「痴呆」について考えてみた。
娘がゼロ歳の頃に、大変世話になった方が、施設に入所されており、身近な関心事である。
痴呆は、家族の構成が変化し”会話が無くなったことも要因”とする研究成果を聞いた。
痴呆の特徴として、最近の事は忘れても、若い頃の事は覚えていることが多いという。
若い頃の写真を見せると、当時の事を話すらしい。
思い出せるのある。
そして、痴呆とならない高齢者は”会話が弾む”らしい。
弾むだけでなく、会話のテンポが速いのが特徴の様である。
会話相手の話に間髪入れず反応し、会話を継続させることらしい。
家で音楽を聴きながら、時たま”犬くん”と一方的な会話(問いかけ)をしているのは”痴呆予備軍”であろうか・・・・?
此の点、月例会では半世紀頃前からの若き時代の”仕事仲間だった”という共通点にたって、思い出話を感心しながら聞き入ったり、時として興奮しながら反論したりで刺激の多い会合である。
大切にしたい集まり・集いである。
蛇足:「痴呆」と考えたくないこと。
ことの起こりは、幹事のKU氏からの月例会の開催を知らせる連絡(メール)から始まる。
KU氏からの「2月の月例会・開催案内(メール)」をみて、日付を確認せず、予定を書き込むカレンダーに迷いもせず「(2月)12日・水曜日」に書き込んだ。
早とちりで「水曜日の開催」という思い込みが強かったと思われる。
しかし、通常、月例会は「毎月・第二木曜日」であることを”忘れていたことは、やはりアヤシイ?
今ある現実を、知らされる”事件”であった。