8月9日・人類最初となる原子爆弾が、広島に続き長崎に投下された日である。
行政防災無線放送でのサイレンともに、11時2分・長崎方向に向かい一分間の黙祷を奉げさせて頂いた。
原爆被害の度合いについて、長崎市は山に囲まれ、被害が少なかったと言う論評に違和感を感じてならない。
原爆投下と言う現実さえなければ、七万人に及ぶ犠牲者と、多くの原爆症で苦しむ人達を、生むことはなかったのである。
広島と異なった”原子爆弾”とのことで、アメリカは、市民生活を犠牲とした”実験場”にした事に、異論を挟む余地はないであろう。
非人道的な(二つの悪魔を試す様な)行為であった!と、今もって、認識出来ない当事国の人達に怒りを覚える。
そして、長崎市長の”平和宣言”に、現在・審議中の法案の慎重審議を求める内容があったと聞く。
各国の代表が参列する記念式典における、首長の発言としては”重たい!”と思う。
国会審議で、担当大臣の答弁を、総理大臣が修正する場面は、トレーニング・ジムで観る、国会中継で観ている。
如何にでも解釈できる法案では無いだろうか?と、疑問を持つのは、私だけであろうか??
立法府として、国民が真から望む、法案であって欲しいと願うものである。
そして、今日は「ザンギリ頭に・・・」で云う、幕藩体制から明治政府に変わって「断髪例(散髪脱刀令)」が発布され、身分制度が解消された日であると思う。
民主主義(多数意見)と言え”数の論理”でなく、主権在民・国民の意見を聞くなか、謙虚に、立法・行政の仕事をしてもらいたいものである。
未だに、必要な法案なのか、審議日数とは裏腹に、理解出来ないのである。
国民が、付託でなく負託していることを、忘れないで欲しいと思った”日”でもあった。
行政防災無線放送でのサイレンともに、11時2分・長崎方向に向かい一分間の黙祷を奉げさせて頂いた。
原爆被害の度合いについて、長崎市は山に囲まれ、被害が少なかったと言う論評に違和感を感じてならない。
原爆投下と言う現実さえなければ、七万人に及ぶ犠牲者と、多くの原爆症で苦しむ人達を、生むことはなかったのである。
広島と異なった”原子爆弾”とのことで、アメリカは、市民生活を犠牲とした”実験場”にした事に、異論を挟む余地はないであろう。
非人道的な(二つの悪魔を試す様な)行為であった!と、今もって、認識出来ない当事国の人達に怒りを覚える。
そして、長崎市長の”平和宣言”に、現在・審議中の法案の慎重審議を求める内容があったと聞く。
各国の代表が参列する記念式典における、首長の発言としては”重たい!”と思う。
国会審議で、担当大臣の答弁を、総理大臣が修正する場面は、トレーニング・ジムで観る、国会中継で観ている。
如何にでも解釈できる法案では無いだろうか?と、疑問を持つのは、私だけであろうか??
立法府として、国民が真から望む、法案であって欲しいと願うものである。
そして、今日は「ザンギリ頭に・・・」で云う、幕藩体制から明治政府に変わって「断髪例(散髪脱刀令)」が発布され、身分制度が解消された日であると思う。
民主主義(多数意見)と言え”数の論理”でなく、主権在民・国民の意見を聞くなか、謙虚に、立法・行政の仕事をしてもらいたいものである。
未だに、必要な法案なのか、審議日数とは裏腹に、理解出来ないのである。
国民が、付託でなく負託していることを、忘れないで欲しいと思った”日”でもあった。