中世の吟遊詩人はメロディよりも詩を伝えることに重きをおいていたのではと思うのですが、私の聞かせてもらったVOXHALLの吟遊詩人さんの場合も詩にすごく思いが込められているのが聴いていて強く感じられました。そして、彼の場合、誰もが使うような言葉でありながら、彼しか書けないフレーズを綴ります。彼自身が意識しているかどうかはわかりませんが、1つ1つの言葉がちゃんと手を繋いでいるというかんじで仲間はずれになる言葉がないのです。どれもが関わりあっているというのか、ちゃんと同じ思いの川を流れているんです。だから、納得させられるんです。そして胸にこだまするのです。
案外、詩を書いている人でその詩の中の言葉が皆手をとりあっているかなんて考えたことないのではないですか?
詩を書く人の中には自分の中の世界に酔ってしまう人もありますし、私も書くとしたらその部類かもしれません。ゆえに、たまにひとりよがりになって、人には伝えたいことが伝わりにくいことがあります。何度か聴くうちに「あ~そういうことか」とわかって、おもしろいと思う詩もあります。でも、やはり多くの人に伝わる歌の詩はすっと意味が入ってくる詩のような気がします。でも、簡単な言葉だからこそ、それをどのように組み合わせて使うかがその人のセンスです。へたするとあまりにも無意味で平ベったい詩になる可能性もあるからです。
その吟遊詩人さんの詩はそんな言葉を自分色に染めあげて、人には書けない歌にしてしまいます。そこがすごいところです。ただ、まだやはりプロではありませんから、どうしても言いたい事が溢れ過ぎていて、そこから削るという作業に躊躇してしまうこともあるようです。ゆえに曲が長くなるようです。もちろん、それでも十分に聞きごたえがあって、無駄な言葉はぜんぜんありません。だからこそ、多少長くても、もちろん私自身も彼のファンの方たちも十分それらの曲が大好きなのですが、さらに言葉を厳選して、俳句の原理というのでしょうか、1つの言葉で3つぐらいを表現できるぐらいの感じで詩を書けば、それこそ4分以内の曲もたくさんできるのではないでしょうか?長い曲だから悪いとかはないのです。むしろ、長い曲の方がいい場合もたくさんあります。でも、4分以内に終わる曲だと「もう終わったの?いい曲だったな~。もう一回聴きたいな~」と人は案外思うわけです。それで何度もヘビーローテーションしてしまうのです。ちょっとした心理作戦ですね(笑)ビートルズがそのいいお手本です。
一つの曲の中でも、コントラストや光と影が存在するものは人の心をとらえると私は思います。それが曲に奥行きを与えるからです。絵を描くのと同じですよね。
そんな歌をこれからもたくさんその吟遊詩人さんに歌ってもらいたいと願うわけです。
案外、詩を書いている人でその詩の中の言葉が皆手をとりあっているかなんて考えたことないのではないですか?
詩を書く人の中には自分の中の世界に酔ってしまう人もありますし、私も書くとしたらその部類かもしれません。ゆえに、たまにひとりよがりになって、人には伝えたいことが伝わりにくいことがあります。何度か聴くうちに「あ~そういうことか」とわかって、おもしろいと思う詩もあります。でも、やはり多くの人に伝わる歌の詩はすっと意味が入ってくる詩のような気がします。でも、簡単な言葉だからこそ、それをどのように組み合わせて使うかがその人のセンスです。へたするとあまりにも無意味で平ベったい詩になる可能性もあるからです。
その吟遊詩人さんの詩はそんな言葉を自分色に染めあげて、人には書けない歌にしてしまいます。そこがすごいところです。ただ、まだやはりプロではありませんから、どうしても言いたい事が溢れ過ぎていて、そこから削るという作業に躊躇してしまうこともあるようです。ゆえに曲が長くなるようです。もちろん、それでも十分に聞きごたえがあって、無駄な言葉はぜんぜんありません。だからこそ、多少長くても、もちろん私自身も彼のファンの方たちも十分それらの曲が大好きなのですが、さらに言葉を厳選して、俳句の原理というのでしょうか、1つの言葉で3つぐらいを表現できるぐらいの感じで詩を書けば、それこそ4分以内の曲もたくさんできるのではないでしょうか?長い曲だから悪いとかはないのです。むしろ、長い曲の方がいい場合もたくさんあります。でも、4分以内に終わる曲だと「もう終わったの?いい曲だったな~。もう一回聴きたいな~」と人は案外思うわけです。それで何度もヘビーローテーションしてしまうのです。ちょっとした心理作戦ですね(笑)ビートルズがそのいいお手本です。
一つの曲の中でも、コントラストや光と影が存在するものは人の心をとらえると私は思います。それが曲に奥行きを与えるからです。絵を描くのと同じですよね。
そんな歌をこれからもたくさんその吟遊詩人さんに歌ってもらいたいと願うわけです。