2.県立大川高等学校入学(4)
3月の終わりに母さんが家へ帰ってきた。父さんと
上の兄さんは東京に残って仕事を続けていた。母さん
は僕の通学が順調にいくまで諏訪村にいてくれると言
うことだった。久しぶりに母さんの作ってくれた食事
を食べてこんなに美味しかったのかと驚いてしまった。
父さんの仕事は従兄弟の脇田大介さんの注文がたくさ
んあって忙しいそうだ。
大川高等学校の入学式は4月6日だった。その前に高
校生活の指導や教科書の販売などが前々日の4月4日と
5日に行われるので大川高校へ行くことになっていた。
4月4日午前7時に僕は初めて自転車に乗って大川高
等学校に向かって出発した。英一君と敏夫君が南村から
自転車で行く三人組になった。相川君と鈴木君は大川市
の親戚の家に下宿をすると言っていたのでもう大川市へ
行ってしまった。僕たちは諏訪村の役場のある中心部の
少し外れにある進君の家の前で強君と進君たちと落ち合
った。全員が集まったので出発した。入学試験の時は列
車で行ったのでそんなに遠いとは思わなかったけれど18
kmというのはどのくらいの距離なのかまだ実感が無かっ
た。小野田川の橋も少し急な坂道になっていた。橋を渡
り突き当たりを右の道へ方に折れる。すると軽便鉄道の
駅がありそれを過ぎると東西に延びる少し大きな道に出
る。それを大川市までまっすぐに東に向かう。
途中、ちょっとした川を過ぎると西大川駅への分岐道
がある。それを過ぎてさらに東に進むと信田小学校があ
りそれを過ぎると陸羽東線の線路を渡る。ここはもう大
川市になる。線路を過ぎるとやがて塚目小学校があった。
そしてまもなく大川市の市街地に入る。市街地に入ると
三日町のT字路に突き当たる英一君たちは工業高等学校へ
行くので三日町T字路を左折して行く。僕と敏夫君は右折
して少し行ってから左折すると大川高等学校だ。自転車
置き場に自転車を置き場において鍵をかける。そして指
定された教室へ行くのだが、その前に連絡掲示板を見に
行った。僕は2組だったが、敏夫君は4組だった。相川君
は5組、鈴木君は3組だった。諏訪村から通学する生徒
は全員別のクラスになっていた。 掲示板には今日と明
日の予定が書いてあった。それを確認した敏夫君と帰り
の約束をして教室へ行った。教室にはもうほとんどの生
徒が集まっていた。黒板に座席表が書いてあったのでそ
の位置に座った。周りは当然ながら見知らぬ顔ばかりだ
った。
やがてベルが鳴り、少しして先生が入ってきた。先生
は細面で眼も細く、いかにも数学の教員だという様子だ
った。姓名は鈴木博というと自己紹介した。そして出席
簿を取り出して生徒の姓名を呼びながら出欠を取り出し
た。高校では姓名の50音順に呼ばれた。僕は寺田だか
らクラス60名の中ほどから少し後に呼ばれた。これは
嬉しかった。諏訪小学校と中学校ではいつも生年月日順
だったので1番目か2番目に呼ばれていた。
クラス全員が出席していた。先生は次に一人30秒間
で自己紹介をするようにと指示した。出身地とか家の仕
事とかを話す生徒が多かった。一人ずつ出身地を書いて
いくと、大川市内の生徒が一番多く半分くらいいた。後
は西の温泉地からくるものや北野町からくるものなどが
いた。そのほとんどの生徒は列車通学できる生徒は列車
で通学するという。市内からくる生徒は徒歩で通学し、
残りは自転車通学だった。自己紹介は立ってしたのでそ
の生徒の体格がほぼ掴めた。大きな生徒は普通の大人の
ような体格の生徒がいたし、中には僕より小柄な生徒も
いた。面白かったのは、市内から通学くする生徒の半数
くらいは眼鏡をかけていたことだった。
自己紹介が終わると、先生はガリ版印刷された冊子を
配った。その中には、大川高校生徒としての心構えみた
いなものが書かれていた。先生はそれを読みながら一つ
ずつ説明してくれた。
その中に未成年者だから酒を飲んではいけないとかタ
バコを吸ってはいけないとかいうのに混ざってパチンコ
屋など大人の遊戯施設に入ってはいけないというのもあ
った。
健康に留意し、身体を鍛え、勉学に励むことという項
目もあった。次に時間割表が書いてあった。時間割を見
ると月曜日から金曜日までは毎日50分授業が5回、土
曜日は午前中の3回になっていた。毎週33回の授業があ
る。
そしてその下に教科一覧と担当者氏名が書いてあった。
1年生と2年生は国語(現代文、古語)、数学(解析I)、
英語(リーダー、英文法)、生物、一般社会の他に漢文、
ドイツ語、音楽、美術があった。