寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

寺田正男高校へ(子供の戦後社会体験記)11.

2016年03月10日 22時25分49秒 | こんな出来事がありましたよ

 2.県立大川高等学校入学(5)
  初めて教室に入って周りを眺めることができるよう

になるといろんな人がいるのを発見した。頭の良さそ

うな顔をしている人がいた。眼鏡をかけている人が15

人くらいいた。髪の毛を伸ばしている人もいた。その

人たちは、入学式までには坊主頭にしてこなければい

けないそうだ。友達になれそうな人を探してみると、

あまりいなかった。僕にとっては中学の友達例えば英一

君のような人と会えるかどうかの問題だった。でもこ

れは時間がたてば解決するだろうし、僕は授業のある

間だけの付き合いになることはわかっているので、あ

まり気な懸けないことにした。

 それにしても18kmという距離は初めての成果遠かっ

た気がした。道は覚えるまでもなく大新田町へ行って、

直交する道を東に向かえばいいだけだからもう覚えてし

まった。雨の日はどうするんだろうとか、雪が積もった

らどうするのだろうかなどと今から考えてもどうしよう

もないことだった。しかしこの地方は春と秋には猛烈に

強い西風が吹くことが分かっていたので、その風を避け

て通学できる道を探さなければならないぞと先輩の人が

教えてくれた。こんなことはその時になったら考えるこ

とにしよう。

 今日は校舎内のいろいろな場所を先輩が一緒に回って

くれたので迷子にならないで済むかもしれない。僕たち

1年生の教室は北校舎の1回だった。後者の北側にテニス

コートがたくさん並んでいた。体育館は校舎の北西部に

あった。正面玄関は南側にあったので通常はそこから校

舎に入ることはないだろうと思った。後者への出入り口

は南東部にある昇降口が使えるとの話だったけれども、

自転車置き場は体育館の北側と正門の東、図書館の裏手

を使うようにと指示された。

 ところで同じクラスの人の話では、学年のクラス分け

は成績順になっているということだけどどうだろうか。

僕は2組だから成績はそんなに悪くなかったことになる

のかなあ。噂話には耳を貸さないほうが良いと母さんが

言っていたので無視することにした。

 今日は教科書を買って家に帰ることにした。敏夫君の

ところへ行ってみたけど敏夫君のクラスの人はもう帰っ

てしまってだれもいなかった。僕は自転車置き場に急い

でいったけれど敏夫君の自転車はなくなっていたので、

先に帰ったことを知った。仕方がないので僕は一人で朝

来た道を自転車に乗って走り出した。3日町のすぐ西の

ところで思いがけずに雅子さんに会った。本当に驚いて

しまった。こんな偶然があるんだと思った。しかし、今

日は声をかけずに知らないふりをして通り過ぎた。少し

行ったところで僕はこのまま帰ってしまってよかったの

だろうかと迷ってしまった。こういうのを罪悪感という

のだろうか。でも仕方なかった。何しろ家まではずいぶ

ん遠いのだから急いで帰らなければいけないのだからと

変な理屈をつけていた。

 4月4日。今日は高校へ着くと、いろんなクラブ活動

の人たちがたくさん待ち受けていて、自分の入っている

クラブはこんなにいいところだと言って新入生を勧誘し

ていた。僕は運動系のクラブの前は素早く通り過ぎて学

習系のクラブに入ろうと決めていたし、将来のことを考

えて生物クラブに入ることに決めていた。それで生物ク

ラブの人に捉まってしまい説明を聞く羽目になった。す

ぐに名簿に氏名を書くように言われたけれども、その場

で事由がなくなるような気がしたので他のところも少し

興味があるのでとか何とか言って通り過ぎた。そこで相

川君に会った。相川君は野球部に入るものだとばかり思

っていたけれどもどこにも入らないことにしているとい

うことだった。というのは中学の大会でコテンパンに打

たれた相手の人たちがたくさん野球部に入っていたから

だそうだ。僕は、だから逆に野球部に入って今度はやり

返すぐらいの根性がないのだろうか、と思ってしまった。

そうこうしていたら、鈴木君と敏夫君がやってきた。2

人には久しぶりに会ったような気がした。特に鈴木君に

は中学校を卒業してから初めてかもしれなかった。相川

君もそうだった。2人とも大川市内に住むようになった

ので会うことがなかったのだ。

 懐かしい同期生に会って、少しセンチになっていた僕

は、元気を取り戻した。そして明日はいよいよ入学式だ。

明日から本当の大川高等学校の生徒になるのだ。僕はいつ

の間にかそういう自覚が出てきたようだ。今日は敏夫君と

2人で帰ることになった。

 結局僕は、生物クラブに入ることに決めた。ただし、

いつでも参加できないという条件を許してもらってだ。

 


記憶に残っている映画(17)「ベルリン物語」

2016年03月10日 09時54分31秒 | 寓居人の思い出話

 1945年の敗戦当時から、何故か分からないが我が家に

紫色の大きなドイツの紙幣があった。そこには100,000

マルクと印刷されていた。マルクがどの程度の価値があ

るか不明ですが、大切に保管してありました。

 私が高等学校へ入学して1,2年生でドイツ語を勉強し

だしたときにそのことを思い出して探したのですが発見

できませんでした。そんなある日ドイツ語の時間にドイ

ツ語の先生が、いま市内の映画館で「ベルリン物語」と

いう映画が上映されているので興味のあるものは見ると

よいと紹介してくれました。

 私は土曜日の放課後に友人と二人でその映画を見にい

きました。初めの部分についてはあまり良く覚えていな

いのですが、2048年という設定になっていましたね。

 テレビのアナウンサーという人が、100年前に自分が住

んでいたベルリンの様子を紹介していくという内容でした。

 アナウンサー氏の現実と過去の思い出が交錯して幻想の

ような雰囲気を醸し出す作品になっていました。私たちが

授業で習っていたドイツ語の発音は、迫力ある音声でした

が、映画の中で、戦争で廃墟になったベルリンを歩きなが

ら語られるドイツ語は、物静かで心に何かを訴える気がし

ました。まあこれは演出かもしれませんが、ドイツ語の発

音を好ましく思うようになったのは事実でした。

 ドイツにおける戦争の爪痕は、がれきの山が延々と続い

ていて、私の知っている東京や仙台の何も残っていない焼

野原とは全く異なっているのも印象深かったですね。私は

この映画を見て忘れかけていた戦争の無意味さや残酷さを

同時に思い出してしまいました。

たね。