がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

大晦日の前日

2016年12月30日 20時47分50秒 | 食堂のおばちゃん

両親の元に生まれ、50年以上生きて来た。

両親が結婚後、食堂の住み込みから、自分で店を持ち、

これまで50年、大晦日は「年越しそば」の日 だった

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昔は、仕事納めの際に そばを食してくれる企業様もあり、28日から店は大忙し。

店へ食べに来て下さるお客様だけでなく、出前も一日に何十件とあり、

それも、一軒に20食、30食は当たり前で、 自動車免許を取得してからは 私も実家食堂の配達に走り回った。

出前が多い→そばの消費量も大量で、父は早朝から何枚も(一枚あたり50人分以上の蕎麦)何枚も、そばうちを繰り返していた。 

出前に走り回り、頃合いを見て、今度は食器を引き取りに走り回り、

賄い食事など取るヒマもなかった時もあった。

連日、店の暖簾をしまうのは午前様で、母もよくやってきたものだと思う。

最終日の大晦日。

手打蕎麦をメインとした食堂の我が家は、午後11時過ぎにようやく 家族での「年越し」を迎えることができた。 

「ごくろうさん!」 と、父から手渡しでもらえた特別お手当が、とっても嬉しかった。(母の気持ち大w)

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この何年かは、年越しそばの出具合もどんどん少なくなり、 

昔の忙しさが夢のよう。

こうして、いつかは消えていくんだ・・と実感していた。

何度か、「跡を引き継げ」と外野に言われ、私も「そば打ち」に挑戦したことがあった。

父には 「大丈夫だ、できる」 と言われたが、

父が70年以上前から身体で覚えて来た、湿度や温度や粉の微妙な配分や力の込め具合など、 

遊び半分で手を付けたところで、付け焼刃でどうなるものでもなく、 

茹でてみたらブツブツちぎれ、舌触りは最悪。結局 挫折してしまった。

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半月前、父が86歳で、旅立った。 

父の手打ちそばは、二度と食べられなくなってしまった。

母の生活があるので簡単に店をたたむことも考えず、少しでも収入が見込めるのであればと、こぢんまりと続けていくことにした。

手打を前面にしてきた年越しそばはもちろん受けられない。

だが、数件のお客様が、「機械打ちのそばでも構わない。年越しそばが欲しい」と、注文を下さったので、用意をさせていただいた。

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父のいない初めての年の暮れ。

両親が食堂を始めた50年前から今日まで、「一年365日で、一番忙しかった大晦日の前日」 なのに、

今は、同じ時間帯を、「こんなに静かに自宅で過ごしている」 のが何だかピンと来ない。 


私もきっと、両親と共に頑張ってきたんだよね。

自分、おつかれさん!

これからは少しずつ、母と自分と子供たちのことを大切に 生きていきたい。 


父が旅立ちました

2016年12月23日 20時41分31秒 | 徒然

12月18日。

父が旅立ちました。

穏やかな、すてきな寝顔でした。

物心ついてから、父の顔は毎日見て来たと思うのだけど、

あらためて、父って、あんなにいいオトコだったんだ! と思った。(笑)

父さん、たくさんの幸せをありがとう。

母さんと一緒に、もう少し 頑張ってみるよ!

 


内容掲示

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