両親の元に生まれ、50年以上生きて来た。
両親が結婚後、食堂の住み込みから、自分で店を持ち、
これまで50年、大晦日は「年越しそば」の日 だった。
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昔は、仕事納めの際に そばを食してくれる企業様もあり、28日から店は大忙し。
店へ食べに来て下さるお客様だけでなく、出前も一日に何十件とあり、
それも、一軒に20食、30食は当たり前で、 自動車免許を取得してからは 私も実家食堂の配達に走り回った。
出前が多い→そばの消費量も大量で、父は早朝から何枚も(一枚あたり50人分以上の蕎麦)何枚も、そばうちを繰り返していた。
出前に走り回り、頃合いを見て、今度は食器を引き取りに走り回り、
賄い食事など取るヒマもなかった時もあった。
連日、店の暖簾をしまうのは午前様で、母もよくやってきたものだと思う。
最終日の大晦日。
手打蕎麦をメインとした食堂の我が家は、午後11時過ぎにようやく 家族での「年越し」を迎えることができた。
「ごくろうさん!」 と、父から手渡しでもらえた特別お手当が、とっても嬉しかった。(母の気持ち大w)
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この何年かは、年越しそばの出具合もどんどん少なくなり、
昔の忙しさが夢のよう。
こうして、いつかは消えていくんだ・・と実感していた。
何度か、「跡を引き継げ」と外野に言われ、私も「そば打ち」に挑戦したことがあった。
父には 「大丈夫だ、できる」 と言われたが、
父が70年以上前から身体で覚えて来た、湿度や温度や粉の微妙な配分や力の込め具合など、
遊び半分で手を付けたところで、付け焼刃でどうなるものでもなく、
茹でてみたらブツブツちぎれ、舌触りは最悪。結局 挫折してしまった。
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半月前、父が86歳で、旅立った。
父の手打ちそばは、二度と食べられなくなってしまった。
母の生活があるので簡単に店をたたむことも考えず、少しでも収入が見込めるのであればと、こぢんまりと続けていくことにした。
手打を前面にしてきた年越しそばはもちろん受けられない。
だが、数件のお客様が、「機械打ちのそばでも構わない。年越しそばが欲しい」と、注文を下さったので、用意をさせていただいた。
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父のいない初めての年の暮れ。
両親が食堂を始めた50年前から今日まで、「一年365日で、一番忙しかった大晦日の前日」 なのに、
今は、同じ時間帯を、「こんなに静かに自宅で過ごしている」 のが何だかピンと来ない。
私もきっと、両親と共に頑張ってきたんだよね。
自分、おつかれさん!
これからは少しずつ、母と自分と子供たちのことを大切に 生きていきたい。