がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

10月7日。 追記 ~~ これまで言えなかったこと。 『直感』

2011年10月30日 00時19分40秒 | 徒然

あれから もう3週間。

 

いまだにサイレンの音が耳から消えず、正午のサイレンがなると、ぎくりとして時計を確認してしまう。

また、夜には何かにつけ、玄関から実家の方向を見てしまう私がいる。

 

 

 

 

 

10月7日深夜。 母からの電話と、答えのない私からの電話と、大サイレンと、現場の喧騒と。

 

 


私たちが到着した時、私が見たのは、写真のほぼ中央部分にある赤く見える窓から大きな炎が店の後ろ壁をなめるように噴き出していた。

実はこの時、店の前に到着直後、炎を目の当たりにしたとき、私は自分の携帯を手に取って火災の写真を撮ろうとした。 親の安否を確認する前にも関わらずだ。

思わず手が勝手に携帯を持っていた。

よく言えば、「ジャーナリスト魂」ということらしい。 だがとんでもないことだ。 自分がとてつもなく情けなく悲しく残酷な存在に思えた。

 

 

その時、腰ベルトにつけた携帯ケースに手をかけた時、

実はこの瞬間に私の脳内では 「撮ってはいけない。 流れが変わる!」 という思いが溢れだし、とうとう写真を撮ることができなかった。

「流れが変わる! まだ会っていない両親がまだ家の中にいるかもしれない!」

 

 

実際にはその直後に両親を無事に見つけ、自分の手で肌で両親の温かさを感じた。

そしてほぼ同時刻に息子の携帯で撮った写真があの写真である。

 

くだらない妄想かもしれない。 しかし、この数年、「あのときこうしていれば・・」が立て続けに起こってきた私は、この瞬間の「写真を撮りたい」欲求を抑えておいてよかったのだと、ことが過ぎてしまえばだが 思うのだ。

 

 

未明に発生した火事は、私の両親が営む食堂の入る建物を脅かした。

そして

二度目の、夜に発生した火事は、場所を変え、隣家の呉服屋さん(やはり現場との建物距離2mほど)に延焼の危険性をもたらした。

 

 

いずれも消防署員の方々のおかげで、延焼を免れた。m(_ _)m

 

 

 

最近 直感で動くことが多くなった。

『直感』 で感じたことを、無理に抑え込むのではなく、

『直感』~自分の思ったことを自分の納得できる形で終えることが、 自分にとって後悔しないことだと思うようになったのだ。

 

 

もちろん いい事ばかりではない。 悪い事もある。 結果として、やめときゃよかった と思うことも多々ある。

だが良くも悪くも 「あの時、直感で思ったことをやっておけばよかった」 と思うことがあまりにも多くなってきたのだ。 

仕事しかり、私事しかり、人付き合いしかり・・・

 

 

何かコトが持ち上がったとき、そしてそれを自ら手を出さねばならなくなったとき、嫌だからと、やらずに後悔するのではなく、やって失敗する方が自分自身納得する。 そして二度とやるまいと思う。

それが自分なのだと思うようになったのだ。

 

 

いや、そりゃもちろん、やらなくていいことを押しつけられて責任持たされて、は勘弁だ。

 

それを自分の事として判断できるかどうかくらいの認識を持てるだけの歳を重ねてきたとは思うわ。

 

子供たちがとっくに成人した 『親』 となったはずの自分にも、まだ元気でいてくれる 『私の親』 がいる。

『私の親』 にとっては私はいつまでも頼りっけないたった一人の 『子供』 なのだ。

 

 

これからも自分の 『直感』 を信じて動く。  失敗もするさ。

でもこれからの自分に後悔をしたくない。 不安になったらみんなに相談する。

 

だけども 『直感』 はこれからも大切にしていく。

「あの時、思ったようにしておけばよかった・・ 」 とだけは言いたくないから。

 

 

きっと、自分のためなんだと思う。

 


情報・・火災について

2011年10月20日 21時26分22秒 | 徒然

母から電話があった。 火災の原因について。

・・・ と、ここでがんぼは勘違いをしたのだが、 今回のO宅火災ではなく、5月末のS宅火災。

 

たった半年の間に2度も同じ自治会内で出火。 それぞれの現場は10メートルほどしか離れていないのだ。

どちらの火災も子供のころから知った人たち。

そして片方は悲しいかな2名の死者を出した。 子供のころからずいぶん世話になり可愛がってもらったのだ。

その店に長いこと勤めていた I さんが今日、実家の店に食事に来たそうだ。 そしてその当時の話が出たという。

 

5月末、S宅の出火原因はポータブルストーブの過熱だそうだ。

昔の人たちは物を大切に使う。 簡単には捨てられない。 ストーブも同様で、やはり大事に長く使っていたことだろう。

 

話を聞きながらハタと考えたのが、がんぼ宅もまさに同様の事が起きたのかもしれないということ。

 

以前ブログにも書いた いよいよダメかなぁ ストーブ新旧 の、

まさにこの状態だったわけだ。

 

プスプス情けなく燃えていたかと思うと、突然、気化した灯油ガス(石綿?)に引火するように、ブワッと突然炎があがるのだ。

これまで何事もなく済んでいたが、実はこのストーブ、まだ捨てられずに奥の部屋の押し入れにある。

 

母との電話の中で、「即日処分する!」と断言した。 怖いから。 

残しておけば、知らずに誰かが使うことも考えられる。 これまでは運よく何事もなく来れたが、次にもし誰かが使った時には「大当たり~~♪」になる可能性が大。

 

母と話をした。

 

お金がないから、と古いものや中古品を使い続けてきたが、今回立て続けに近所で火事があり、またその原因の一つが「古いものを使っていた」ために起きたのだとすると、思い当たるものを使用している以上、油断はできない。

お金がかかったとしても新しいものが、危険性がなくきちんとした対応がなされている商品であれば、やはりその安全性に支払う代価は受け入れるべき。

火種は場合によっては取っておくべきではない時もあるのだ。

 

冗談半分に「いつ死んでもいい」とは言っても、やはりまだ死にたくない。 家族もそんな原因で亡くしたくはない。

 

避けられる危険は、お金がかかったとしてもやはり避けるべきなのだ。

家族を大事に思うならなおのこと。


親戚宅で法事

2011年10月17日 08時48分14秒 | 徒然

祖父の三十三回忌(没後、32年目の祥月命日。)

叔父の十七回忌(没後、16年目の祥月命日。)

顔を揃えたのは 叔父の妻、本家の従妹家族、札幌の従妹夫婦、T夫妻、そして我ら家族(両親と私)。

通常三十三回忌をもって「弔い上げ」となり、過去帳へ名を連ね骨を土へ返す ということだそうだ。

だが過去帳にはすでに叔父の名前も入っていたが?

 

時の経つのは早いもの。

祖父のこと、叔父のことを、あらためて懐かしむ。


サイレンが・・

2011年10月15日 10時42分29秒 | 徒然

自宅すぐ横から車で入っていける堤防河川敷で朝から防災訓練をやっているのだが、

朝から何度もサイレンが鳴り、心臓によくない。(~_~;)

先ほど外へ出たついでに見に行ってみたらたくさんの消防車や関係車両がずらり。

ヘリがホバリングしてたりと結構賑やか。

 

雨が降っているので早々に自宅へ戻る。


内容掲示

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