両親、娘と息子、すまんです。m(_ _)m
でも、「お風呂のある暖かい家に親を住まわせたい」気持ちに変わりはない。
問題は、お金がない。
他のことなら 「何とかなるさ」 ということができても、お金だけはどうしようもない。
来るか来ないか、開いてみないとわからない 『食堂』。
あけていれば、運がよければ、お客は入ってくる。
でも今日みたいに、一人も来ない日が続くと、メゲる。
当然、売上もないから 「お金もないのに引越しなんて・・」 になるよね。
確かにお金はない。
しかしこのチャンス??に、今の生活に区切りをつけないと、また今年の冬も、少ない売上から大金を家につぎ込み、年金を削り、それでも寒くて灯油をガンガン焚いて、それでも起こる水道凍結修理代に泣いて を繰り返すんでしょう。
思い切ろう。 姉が助けてくれる。
100%も150%も頼ってしまうのはダメだけれど、少しだけ、寄りかからせてもらおうよ。
その分、身体を動かして、姉のできない部分と両親のできない部分をワタシは埋めることはできると思ってる。
I専務にも、N父さんにも、Sさんにも、M氏にも、去年からこちら、言われた言葉が強烈に刺さっているんだ。
「あんなところに家賃5万円? なんて無駄金を。」
「まとまったお金がなくて引越しができないんです」 と言ったら、 「少しでも早くに他を捜した方がお金を大事に使うことになるのに」 って。
踏み出してしまったら後には引けないことはわかってる。
そして今回、私自身のためでもある。(姉を利用するようで心苦しいけど・・m(_ _)m)
10年前に勝手に店を飛び出して、パソコンで生計をたてていくんだ!って。 これも結局モノにならず。
跡を継ぐ! なんてえらそうなことを言って店を手伝うに戻ったけれど、現状は両親も私も生活が成り立つほど売上はない。
WPの営業回りにがんばることも結局できなかった。
出来ない営業の仕事 ~見知らぬお客さんの所へ足げく通って広告代を下さい~ も、ロクにできず、役立たずで本社に迷惑をかけ続けた4年間。 本社には、先行投資として一体いくらつかわせたのかわからないのだ。
この後もダラダラ続ければ、営業はやっぱりできない私がグダグダやれば、それだけ経費がかかっていくだけ。 本社に迷惑がかかるだけ。
私は営業には向いていないことをはっきりと自覚した。
お客さんのところへいけない、行っても営業トークができない、広告料をもらってこれない、フリーペーパーの埋め合わせが、また今回号もできない。今号も結局、数百万近い持ち出しを本社に強要することになる。 ← 人件費や印刷費は毎回必ずかかっているわけだから。
精神的に圧迫されて、日々の精神状態にも響いてきはじめていた。
このままでは全てダメにしてしまう、と思った。 だから思い切って紋別本社へ行って I 専務に 「私には出来ません。4年間ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」 と頭を下げてきた。
パソコンを使った仕事も、5年前からは目に見えて仕事がなくなり、まぐれにぽつぽつと来る程度。でも長いこと付き合ってくれているお客様からの依頼なので、金額が小さくても日々の作業は続けなくてはいけない。
日中はいろいろ作業があるので、PCの仕事は朝と夜帯にしている。 時間がおすと、その分作業時間は夜遅くにまでなる。 「明日でいいや」の仕事ではないから。
同僚も頑張ってはくれているけれど、毎日の生計を立てられる目処は当面つかない。
結局、何一つ モノにできずに生きてきた私。 53歳にもなるのに、何も遺せずにきた私。
M氏に怒られたことがあるのよ。 「この10年、一体何をやってきたんだ!」 って。
自分なりに必死に仕事を探して、仕事をして、生きてきたつもりだったけど、
1日に18時間も仕事し続けて、眠ることも満足にできない時期もあって、鬱になりかけて回りに心配かけて、繰り返す引越し騒ぎ・・
何も残ってない。 お金もない。 失ったのは、10年の時間と体力と我慢する心。
今回、店を開きたい、どこか借りないとと思ったときに、お金を手に入れるため
他の仕事を探そうと思ったこともあるけど、あたまっから問題になるのは年齢制限。
それから、簡単に抜け出す事は不可能なこと。
まぐれにどこかに使って貰えることになっても 「店の手伝いがあるので帰ります」 などということはできない。 中途半端なことをするなら最初から勤めることはできない。
できるとすると、食堂の仕事に響かない、早朝の新聞配達? 深夜帯のコンビニ?
いずれにしても今の生活スケジュールで、これ以上 仕事を増やすと、寝る時間が3時間きってしまうだろうな。 体調崩して間違いなく病院行きになりそうだな・・(笑)
昨年11月、親に助けてもらおうと思って実家へ転がり込んだつもりはない。
自分は 「料理を作って人様に食べてもらうこと」 ができる と思ったから。 それで少しでも生活ができるならば、それが自分の 『できること』 と思ったから。
同時に、両親の元へ戻り毎日顔をあわせることでお互い心配もなくなる。
そしてその合間に、抱えたPCの仕事が少しでもできるから。
だからこの道へ戻った。
新しいことを始めようとしたのは、姉としても同じ。
違う場所へ行っても、皆で頑張ればきっと何とかなると思ってる。 家族だから。
問題が起これば、皆で話して相談して (喧嘩になることもあるけど) 解決していけばいい。
はじめにやりたいこと。
(保健所へ行って引越しの際の必要事項を聞いてくる)
新しいところが見つかったら、カレーライスの ” のぼり ” を持っていって家の前へ立てる。
片付けと、調理場の準備と、ひとつでいいからテーブルセットを置いて、玄関を開放してスリッパをそろえて。
カレーと鍋と皿と、姉の冷蔵庫を一時借りて、刻みキャベツとサラダとラッキョと福神漬。
コップと水、スプーンと箸。
ごそごそ始めたのを誰かが見て 「何してるの?」 と興味をもって近づいてきたら、「こんにちは~!!」 と挨拶する。
うん! できる! がんばるよ!