入れて渡した容器に、中身が玉ねぎに化けて戻ってきた。(笑)
裏の、大家さんの畑で作った玉ねぎ。
玉ねぎだけではなく、きゅうりやピーマン、なすなど、何につけても、できがよい畑だ。
駐車場横には立派な長ネギが元気に立っているし、隣には太く育った大根が顔を見せている。人参もそろそろ収穫時期だろう。
ありがとうございます。m(_ _)m
(いや、別にその他の野菜を戴くということではございません。^^;)
『そばアレルギー』。
なじみのあるアレルギーの一種である。
息子は小さい頃からこのそばアレルギーで何度か大変な思いをしてきた。
『そばアレルギー』の症状は
咳・涙・大量の汗・吐き気など主に気管支、代謝に関わる部分に症状が顕著に現れる。
アレルゲン(原因である『そば』)に関わると即時に症状が現れ、長時間影響が出、
挙げ句は気道閉塞による窒息で死に至ることも珍しくない。
3~4歳の頃、初めてそれがわかり、
小学生の頃だったか、実家(そば屋)のそば打ち部屋で症状が悪化し、
本人も含めて家族も漠然とではあったが、そばアレルギーと認識をし、
以来、意識的に遠ざけてきた。
保育所で、学校で、出先で。
「アレルギーはありますか?」の質問には必ず「そばアレルギーです」と答えてきた。
当然、家族が食べさせることも、自身で食べることも避けてきた。
娘は『そば』が大好きで、一度、息子はそばのかけら(約5ミリほど)を「試しに食べてみる」と口に入れたところ、具合が悪くなって慌てたことがある。その後も数度、「克服できるのでは・大丈夫では」と挑戦したが、結局諦めたという。
息子の勤務先のレストランで、9月から『そば』をメニューに加えた。
それまでは何でもなく、元気に仕事を続けてきていたが、
メニューに加わった頃から、何度も体に異常を訴えるようになってきた。
そして今日、また作業中に同様の窒息状態に陥ってしまい、
午後2時からの2時間の休憩を、病院へ行くよう上司にきつく言われて帰ってきた。
午後2時、病院へ行きアレルギーの検査をしてくれる内科を受付。
初診問診の後、採血をし、「1時間くらいで結果が出ますから」ということだったので、
同じ病院に入院している知人を見舞い、午後3時半過ぎに再び待合室の人となる。
午後5時前。仕事に戻る時間が近いというのに、なかなか呼ばれない内科受付へ尋ねたところ、しばらくして
「すみません。検査結果は一時間後ではなく一週間後です。」
おい! (-_-;)
そりゃ、「ごめんなさいね~」じゃ済まされませんよ!
時間、返して!!
今回、息子はとても大切な結論を出す必要を迫られていた。
「そばアレルギーなのか違うのか」
つまり
「今後、この仕事が続けられるのか続けられないのか」
正式な『診断書』は後にしても上司へ結論を伝えなければならないのだ。
戻ればまた調理場で、オーダーの入る『そば』を作らなければならない。
実際に『そば』作業に関わらないにしても、『そば』を扱う室内で作業を続ける必要がある。
これまで苦しんだ同様、あるいはそれ以上のアレルギー症状が出るのは解りきっていることなのだ。
本当に『そばアレルギー』ならば
生死に関わる問題だ。
午後6時。
内科で診察を待っていた他の患者さんが全ていなくなった。
二人きりで待つ。
やっと、呼ばれた。
先の問診内容をメモに見ながら、I先生は
「そばアレルギーに間違いないですね。」
と言い切った。
それまでの待ち時間、息子と二人でいろいろと話をしてきた。
結論。
今の仕事はもう続けられない。
先日来から母は、『そばアレルギー』についてインターネットでいろいろと調べてみた。
症状、治療法、外来を受け付けている病院、生活について、仕事について、気をつけること・・・
その中に、「そば屋の2代目、3代目に多く発症する。」と、いくつかのサイトに記載されていた。
皮肉な、意地悪なものだと思った。
待たされている間に、親子でいろいろと話し合った。
息子の思いは
そばアレルギーに間違いはない。
そして、それを薬で我慢してまで今の仕事を続ける気にはならない。
先生の診断は、
「症状をうかがうと、間違いなくそばアレルギーです」
そして、
「そばアレルギーは治りません。」
「薬で抑える意味がありますか? 他に食べられるもの、代用できるものがあるのなら摂る必要はありません。」
「生死に関わる『一生の仕事』でないのであれば、薬を使ってまで続ける必要はないのでは・・」
そして、先生からの診断をもらった時点で、息子は次の道を歩き出す決心をした。
先生は、事情を聞いて、本来であれば一週間後に発行する診断書を、すぐに書いてくれた。
それを持って、職場へ。
息子にとっては思いがけぬ最後の職場になってしまった。
裏手へ車を止めエンジンを切る。
診断書の入った封筒を手に、決心をして裏口から入っていく息子。
数分後、走り出てきた息子が車のガラス戸をコン!とたたく。
窓を開けると「オーダー入った。ちょっと待ってて!」
・・・ ホントにコイツは! (T_T)
仕事が好きで、頑張ってきた今までを思う。
怠けたわけでもなく、迷惑をかけたわけでもないと思うのに、
何故こんなことで好きな、将来を決めた仕事をやめなきゃならない??
やはり親の責任か?
それから20分くらいたったろうか。
携帯でお客さんの携帯サイトを確認していたら車のドアを開け息子が話しかけてきた。
「ちょっと降りてきてくれ」
そばには、話には聞いていたが初めてお会いする上司。
何度か「挨拶を」と言っていたが、息子の照れくささから「いいから」と直接話をしたことはなかった。
「○○の母でございます。これまで大変御世話になりましてありがとうございます。」と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ、息子さんにはよく働いてもらって。」
結局、息子と話をしてきた結論と同じで、
秋になって増やした人気メニューを、一人の従業員の都合でやめるわけにはいかない。
そりゃ当然です。そんなことでゴネるつもりもありません。
やめるわけにいかないメニューを作り続ける職場である以上、
その環境で仕事を続けることができない息子は、やはり自ら辞職するしかないという話で落ち着いた。
もちろん、いろいろ助言を頂いた。
上司自身の奥様もアレルギー持ちで、病院を変えてみたらとか、いい薬があるとか
助かるお話をたくさんしてくださった。
働き者の息子をこんなことで失いたくないとも言って下さった。
しかし、息子自身も決心がついていた、
何度も書くが、
「それさえ避けていれば問題なく通常の生活ができるのに、薬で抑えながらまで続けなければいけない仕事なら、したくはない。」
ヤク漬け人間にはなりたくない。
私もそう考える。
一度は「調理師として身を立てる」ことを夢見た。
将来は自分の店を持つ為に修行に出ようとも考えていた。
しかし夢は潰えた。 アレルギーを持っていては人様の食事を作ることは難しい。
上司さんは、
「とりあえず今日は帰って、数日中に必ず電話するから、自宅待機でいてくれ」
と声をかけてくださった。
涙でボロボロの息子は
「はい!」と、きちんと返事をして、もう一度仲間に挨拶をしにいった。
今の生活に安住するつもりなど毛頭ないが、
小さな生活のひとつひとつが、安定したかと思った矢先の出来事で、次の試練がまたやってきた。
しかし、負けるわけにはいかない。
冥、お姉、
頑張ろう!
おととしの冬、それまで履いていたハーフブーツがいよいよダメになってしまって
(4年くらい履いていたから元は取った??)
同じブーツを探したが、なく、全くスタイルの違う冬靴を履くしかなかった。
それも結構お高くて。^^;
一昨日、母と町内の中古センターへ行ったところ、
あったよ、ありましたよ。
これこれ♪
しかも、 500円
大事に履こうっと。*:.。☆..。.(´∀`人)