実は、あたし。
裁縫が大の苦手。
衣服を作るためのノウハウを知らない。 型紙が存在することは知っている。だがそれの応用がわからない。
ミシンが使えない。 使い方は解っているが、一枚の布を作品として仕上げるための 『道具』 として使いこなせない。
息子が中学の時、体育祭(学校祭だったかなぁ・・)で、
子供らに着せる衣装を作るというので、クラスの父兄=母 が駆り出されたことがあった。
その時、他のお母さん方がてきぱきとこなしている事を、全く出来ずにいた私。
恥ずかしくて逃げ帰りたかった。 だが、 その場で 「自分の子供の服を作る」 ことを終えなければ、帰してはもらえなかった。
できない、やり方がわからない、誰かに聞こうにも、仲のよい人がいない。
みんな、チャコペン、スケール、定規、ミシンetc を使いこなし、次々と衣装を縫い上げていく。
私だけが、何をしてよいか全くわからず、立ち往生したままだった。
これほど情けない、恥ずかしい想いは久しぶりだった。
「自分の子供が使うものを、裁縫で作ることもロクにできないのか」という恥ずかしさだ。
来るんじゃなかった。
そう思った。
ミシンの使い方は知ってる。
型紙を使って生地を切り抜くというのも知ってる。
知らなかったのは、
子供の体の寸法を、型紙に起こすこと。
生地の寸法の測り方さえ知らない自分がとてつもなく惨めだった。
パソコンだったら、ここにいる人たちには負けないのに!
そう思っていた。 今思えば、どれだけ情けないことを考えていたのかと思う。
単なる負け惜しみでしかないじゃないか。
結局1時間以上経って、ほとんどの人が衣装として形にしたころ、
何もできずにいた私を見るに見かねて、M奥さんが手を貸してくれた。
「苦手?」 「全然ダメ・・」 「そういう人、いるよね」
その言葉で助かったとは思えない。
思ったのは、
裁縫が出来なくては 母とは言えない。
母とは 「できない」 ことがあってはならない。
すべてにおいて 子供を守る べき存在でなくてはいけない。
ことだと。
子どもたちが成人した今、 『どんな無理だよ!』 と思うのだが、(笑)
だが、実際に当時はそう思わされたのだ。
針ひとつ満足に持てないものは、 親とは言えない と。
子どもたちへ。
お母が経験してきたことは、単にお母の個人の落ち度的ものでしかないかもしれない。
でも、お母の希望は、 広くいろいろな事に興味を持って、それなりに秀でてほしいと思う。
何をやらせても そつなくこなせる。
そんな人間になってほしい。
あぁあ。。 今思い出しても自分にムカつくわ~。
あの時の〇〇さんの 「何さ、こんなこともできないの!」 顔が思い出されて腹が立つ~!!
そんなもん、できなくたって他の事で生きていくわい!!