熊日新聞の 『わたしを語る』 に、
拉致被害者家族の齋藤 文代さんが登場されました。
取り戻す日まで ② 斎藤文代さん ←クリック。
取り戻す日まで ③ 斎藤文代さん ←クリック。
熊日新聞を無断でスキャンしました。すみません。
26歳だった松木薫さんが、北朝鮮に拉致されてから39年です。
北朝鮮政府が拉致を認めてから17年です。
日本政府は、北朝鮮が拉致を認めるまで、
拉致被害者家族の反対を押し切って、北朝鮮に食料支援を行っていました。
熊本の八代港から、日本米を北朝鮮に送っていたのです。
八代港で、人道支援米を積み込むのに、約1ヶ月もかかりました。
いかに膨大な食料支援だったかが分かりますね。
八代港では、拉致被害者の家族の皆さんが、毎日毎日、
拉致問題が進展しない中での食料支援を反対されていました。
日本のマスコミ・メディアは、人道支援が優先だと言って、
拉致被害者家族を全く無視していました。
日本政府は、北朝鮮、韓国、中国に完全になめられています。
なめられている最大の原因は、
為政者たちが、東京裁判のパール判事の『日本無罪判決文』を読んでいないからです。
まるで犯罪者の子弟みたいに、為政者たちが卑屈になり下がっているからです。
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日本の多くの知識人は、ほとんど私の判決文を読んでいない。
そして、自らの子弟に
『日本は犯罪を犯したのだ』。
『日本は侵略の暴挙をあえてしたのだ』 と、教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して、
十分に研究していただきたい。
日本の子弟がゆがめられた罪悪観を背負って、
卑屈、退廃に流れてゆくのを私は見過ごして、
平然たるわけにはいかない。
誤られた彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。
誤られた歴史は書きかえられねばならぬ。