唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
朝日新聞は立派だ
朝日新聞は立派だ。いや、内容のことを云っているのではない。昨日の朝日新聞は40頁もあった。二か月程前まで購読していた神奈川新聞の倍近くの頁と厚みがある。その意味で、朝日新聞は立派だ。さすが日本を代表する新聞の一つだけのことはある。
でも、この二か月読んでいて気づいたことがある。それは、40頁ある紙面のかなり多くが広告なのである。どれほど広告が多いのかと思い、昨日の朝刊の広告を数えてみた。全面広告が14面、4段広告が21あった。4段広告が21ということは全面に換算して7頁分だ。合わせて21頁。40ページある昨日の朝日新聞朝刊の半分以上が広告なのである。決して安くない購読料の半分は広告の為に費やされているとも云えるのだ。
ニュースはテレビで見られるからと新聞を離れて云った人がいたのは昔の話。今ではスマートフォンやPCで、サマリーでも詳しい解説記事でも、好きな時に好きなところで読むことができる。もはや新聞を定期購読する正当な理由を見つけることが難しい状況なのである。
そんな状況の中で朝日新聞が取った解決策が広告であったのだ(毎日や読売も同じなのだろう)。広告収入を持ってして新聞価格の上昇を抑えようと云うことなのだ。そしてその広告の半分以上が旅行会社のものであることもまた驚くに値する。世の中にはこんなにもたくさんの人が旅行、ツアーの情報を求めているのだとは、まったくもって知らなかった。まぁ、情報を提供すると云う新聞の使命を果たしていると云えなくもないが。
情報の媒体以外にもう一つ、新聞には「新聞紙」と云う、物としての価値があることを忘れてはならない。私の中学・高校時代の弁当箱を包んでいたのは新聞紙であった。煮物の汁が滲みた、さして興味もない記事を読みながらボソボソと弁当を食べたものだ。割れた食器を捨てる時にも新聞紙は役に立つ。クシャクシャと丸めれば緩衝材にもなる。万が一の時にはセーターとシャツの間に挟み込めば寒さを防ぐこともできる。素晴らし朝日新聞なのである。
と、ここまで書いてオチが見つからないのでここで筆を置く。って、そもそも筆なんて持っていないし、オチ所を想定して書き出した訳でもない駄々文である。
と云う訳で今日の一枚は、オチのないまま尻切れトンボになった駄々文に相応しいい駄々写真。題して「桜と野球少年少女」。
blog「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori には、ただいまは3月2日に撮った写真を、6点掲載いたしております。すっかり春となった森の様子をご覧いただければ幸いです。
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