以前から気になっておりました徳恩寺別院薬師堂境内にある石仏・石塔についての詳細がわかりました。
写真の向かって左から
①「馬頭観世音」文化2年(1805)
②「清正公太神(きよまさこうたいじん)」明治4年(1871)/恩田村願主
③「馬頭観世音」 明治30年(1897)/ 建立者名
④「馬頭観世音菩薩(文字)」昭和11年(1935)/山月 青黒/施主名
⑤「庚申塔(こうしんとう)青面金剛(しょうめんこんごう)」寛政10年(1798)/「武州都筑郡恩田村」/10名の氏名
⑥「供養塔」寛文11年(1671)/為法印権大僧都尊継也/當寺中興/菩提
*これのみ元からあったものか
⑦「地蔵菩薩立像」寛政12年(1800)
⑧「阿弥陀如来立像」貞享5年(1688)/念佛衆/武刕都筑郡恩田村
*刕=州(しゅう)
⑨「不動明王坐像」弘化4年(1847)/下恩田村 願主3名の氏名
⑩「庚申塔 青面金剛」宝暦年(1798)/天下泰平国土安全/武刕都筑郡上恩田村/12名の氏名
出典は「森ノオト 〜春満喫、歴史満載〜 青葉区恩田町『薬師堂』界隈を歩く」 https://morinooto.jp/2022/04/12/rekisisanpo01/?fbclid=IwAR3jv0eRLoin1RVTaAZ0EhIUDv1ELx2PYT3JV3Q-T20fYB3m_2tpZ6UJRS8
執筆:南部聡子氏、石仏石塔の判読・解説は東京工芸大学名誉教授 今村みゑ子氏による。
元来この境内に存した石仏・石塔は少なく、多くは近年となってから恩田地区各所から諸般の事情によって撤去され薬師堂境内に移設されたものです。以前から気になっていた石仏の由来がわかり、安堵した郷秋<Gauche>でありました。
横浜の住宅と地の中に残された小さな里山の四季移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは8月19日に撮影した写真を9点掲載しております。白露前の森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。
https://blog.goo.ne.jp/ondanomori/e/c6e27670a1ff15a45ecfcd0a137c918b
お知らせ:命も危うくなる程の猛暑が続いております。多少なりとも気温の低い日を選んでの散歩・撮影となっておりますので更新も毎週末とはいかず不定期となっておりますことをご承知おきください。
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