気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その25 「ケイとダージリンとアッサムとキャプテンです!!」

2014年05月26日 | 大洗巡礼記

 喫茶店「ブロンズ」を出て、商店街の通りをたどり、ケイの「飯岡屋水産」に着きました。ケイのパネルはなぜか存在感がありますね・・・。


 店先に飾られた、段ボール製のM4シャーマン戦車です。最近にファンの方より寄贈されたということです。砲塔の上に乗っているのがタミヤの1/35スケールのキットなので、その大きさが分かります。


 イラストラリーにともなって展示されてあるイラストも幾つかありました。阪口桂利奈と秋山優花里の画像であるのは、至近にパネル設置店があるからでしょうか。私自身は、右下にみえる十二単衣姿のケイが印象に残りました。


 しかし、それらの展示品やグッズ類には目もくれず、ひたすらスタンプに専念するSちゃんでありました。まさにスタンプの鬼になりきっていました。


 「黒沢米穀店」にて宇津木優季とのツーショットにお決まりのVサインで望むSちゃんでした。この直前に、Sちゃんが、これまで集めた缶バッジを入れた袋を「ブロンズ」に置き忘れたらしい事が発覚し、N氏が「僕が取りに行ってきますんで、星野さん、Sを頼みます」と言って大急ぎで戻っていきました。
 その時点では「年宝菓子店」から「スルガヤ薬局」へ移動中でした。N氏がこれまでに購入した大量の土産物を「黒沢米穀店」にて宅配便発送依頼する予定であることを知っていたので、「じゃあ黒沢米穀店で待ってますんで」と応じ、Sちゃんを連れて行った次第でした。


 Sちゃんはスタンプを押した後、店内のガルパン名刺をじっと見つめていたので、私がお店の方にお願いして一枚を貰ってあげました。


 N氏が戻ってきて、「やっぱりブロンズに忘れてました」と報告してきました。私もホッとしました。忘れ物をやらかした当のSちゃんは、何事も無かったかのような悠然とした雰囲気でした。その後、N氏は大量の土産物を宅配便発送すべく手続きを取りました。


 続いて「肴屋本店」の前を通りました。この日は日曜日だったので「国井屋」と「鳥孝」は定休日でした。それで両店のパネルもこちらに移動していました。ダージリン、西絹代、磯辺典子、アッサムの四人が並んでいました。


 坂道をまっすぐ降りてホシノの「カジマ」の店先を通りました。このお店も日曜日は定休日で、ホシノも店内に収容されてウインドー越しに見えました。ウインドーに貼ってあったポルシェティーガーのカッティングシート、欲しかったですね。


 「カジマ」の店先に設置されているガルパン自販機の、M3中戦車リーのキューポラ部分をなぜか人差し指でなでていたSちゃんでした。その丸っこい部分が気になったの?と聞いたら、「目があるよ」という返事でした。キューポラの覗き窓が二つ並んでる姿は、そのようにも見えますね・・・。


 「まいわい市場」へ立ち寄ってイラストラリーの用紙を掲示して景品のバッジを貰った後、大貫地区へと回りました。「今村金網工業」の店先を通りました。


 このお店の業務用軽トラは、今回初めて見ました。あちこちにガルパンシールやステッカーが貼られてあり、「丸五水産」の「丸五式軽鮮車」と大して変わらない姿になっていました。これで街の内外を仕事で走り回っているわけですか・・・。


 エルヴィンの「和泉屋米穀店」にて、最後のスタンプを押すSちゃんでした。この日、N氏父子は東京に帰り、私も同じ列車で水戸に移動する予定でしたので、このお店が今回の同道のラストになりました。時間的に余裕があったので、猫を相手にしつつ、店の方と色々お話ししてゆっくりと過ごしました。


 大洗駅へと向かう途中、花池寺の墓地の横に立派な桜を認めて写真を撮りました。墓地をなるべく写さないようにして撮るのが難しいね、と話しましたら、N氏も大きく頷いていました。やっぱり墓石を撮影することはタブーなんですよね、タブーを平気で無視して墓を撮っている人が居ますが、そういうのどう思われますか、と聞いてきました。
 一般論としては、墓石をただ単に撮影することは基本的に避けるべきであると思います。まったく駄目だ、というのではありませんが、正当な理由が無ければ避けた方がよいと考えます。墓とは、これまでの世を作って歴史を支えてこられた方々の霊魂の眠る安息の場所ですので、敬意を表してうやまい礼拝する気持ちを大切に持つべきと思います。

 なお、学術的観点や研究上の必要から古い墓石を撮影するというケースがあります。私自身、奈良に居た頃に中世戦国期の歴史を勉強していましたから、関連する時期や人物たちの墓石や石造遺品を数多く撮影しています。その頃はいつも数珠を携帯して撮影前に合掌礼拝し、線香をともして撮影の非をお詫びしていたのでした。そして、何となく墓石の下の御方にお尋ねしていたものでした。「あなた方が見見聞きして支えてこられた大和国の中世戦国史の素顔と真実とは、いったいどのようなものだったのでしょうか」と。


 大洗駅に着きました。これで私たち三人の大洗巡りが終了しました。楽しい道中だったと、いまも鮮やかに思い出します。


 Sちゃんが、駅内のインフォメーションコーナーの外にあるネームステッカー印刷機を見つけ、N氏にねだってステッカーを発行してもらっていました。私は、そういう機械が置いてあるということを今回初めて知りました。何度も出入りしている大洗駅なのに、子供の視線のみが捉える対象物には、なかなか気付かないものだと、改めて思い知らされました。

 その後、三人で列車に乗って水戸駅まで移動し、N氏父子が乗る特急「スーパーひたち」の時刻までホームに居て、列車にて帰途につく二人を見送りました。それから30分ぐらい時間をつぶして、水戸駅北口まで迎えにきた水戸の友人U氏夫妻と合流し、共に夕食を楽しみました。十年ほど昔に京都造形芸術大学に共に通った三人での、プチ同窓会でした。


 水戸市内のホテルにチェックインしたのは20時過ぎでした。翌朝からU氏の案内で水戸城および弘道館のエリアを回るので、早めに就寝することにし、荷物整理の仕上げに、缶バッジのカウントをしておきました。合計32個になっていました。 (続く)
コメント (2)
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