車体の塗装の大部分が終わった後、誘導輪ごと履帯をはめて、その後に転輪カバーを接着しました。履帯はキットの指示に従って、28番の黒鉄色に塗っておきました。
続いて、マフラーをキットの指示に従って61番の焼鉄色に塗りました。劇中でも同じ色です。その後にエッチングパーツのマフラーカバーを取り付けました。
後部の尾体上のワイヤーは33番のつや消しブラックで塗りましたが、履帯の色とあまり変わらないので、変化をつけるために少しホワイトを混ぜて明るめの色に調整しました。
塗装しておいたOVM類を全て接着しました。劇中では留め具が一切見えないので、D6やD25やD27の留め具は不要かと考えましたが、ジャッキD21、24は、留め具無しでは取り付けられないことが判明しました。そこでジャッキだけはD25だけを使って繋止し、あとは留め具無しで接着しました。劇中シーンの通りに作ると、OVM類はただ載せてあるというだけで、留めて固定していない不自然な状態になります。これもガルパン特有の省略から生じた謎設定の一つでしょう。
前面の日本陸軍の星章を8番のゴールドに塗りました。金色のエンブレムがいかにも日本軍らしさを感じさせます。海軍艦艇の菊花章もそうですが、日本軍兵器の前面には必ず金色のマークがありますね。ちなみにキットには錨章のパーツもありますので、海軍陸戦隊所属の乙型を作れるようになっています。
最後に車体前面の機銃と、砲塔後部の機銃とを28番の黒鉄色に塗って、塗装作業を完了しました。
このアングルで見ても、マフラーカバーの追加工作の稚拙さは一目瞭然でした。プラペーパーではなくプラ板を使った方が凹みが少なかったかもしれないな、と反省しました。
最後にガルパンデカールを貼りつけました。全国大会時の仕様にて作りましたので、キット付属のデカールから大洗女子学園校章を1枚、アヒルさんマークを3枚使用しました。デカールが完全に乾いてからつや消しクリアーを吹き付けました。
この戦車はリベットが全面に出ていますので、デカールを貼りつける位置が分かり易かったです。リベットの数や位置は、公式設定資料の画像や劇中シーンと全く同じですので、周りのリベットの位置や数をチェックすれば、デカールの位置が簡単に分かります。
今回の制作では、砲塔キューポラのハッチをピットマルチにて取り付けて開閉自由としておきました。今後、アヒルさんチームのフィギュアが出た場合には、キャプテン磯辺典子をキューポラに乗せてみたいと思います。
履帯は、たるませて転輪に乗せるのが実際の形状に近いですが、今回はそこまでの再現は見送りました。これまで制作したガルパン戦車の4輌全てにおいて、履帯をそのままはめただけで済ませているのも理由の一つです。
正面から見ますと、主砲防楯の改造が大きな意味を持っていることに改めて気付かされます。キットの指示通りのパーツを使って作ると乙型の形状に仕上がるので、甲型に仕上げるのであれば、主砲防楯の改造をどうしても欠くことが出来ません。
背面から見ました。この戦車もあまりマーク類が目立たないので、外見は地味です。アヒルマークのついているハッチはエンジンルームのそれで、この戦車が珍しい後輪駆動のタイプであったことを示しています。
転輪カバーに追加工作したヒンジ部分は、塗装後には余り目立たなくなっています。輪郭だけがうっすらと見えると言う程度ですが、それで良いと思います。
この角度からみても、OVM類に留め具が無いという点が不自然に見えてしまいます。ツルハシなどは、ただ立てかけてあるといった感じで、戦車が揺れれば転がり落ちてしまいそうな雰囲気です。劇中の状態にさからって留め具を付けたほうが良かったかな、と思いました。
低いアングルから見ると、いかにも旧式の戦車だな、という感を強く持ちます。太平洋戦争開戦時にはすでに旧式化していましたが、日本軍の慢性的な兵器不足の故に、終戦まで各地の戦線で使用され続けました。
私自身、かつて南太平洋の島々へ遺骨収集のボランティアに参加した際、戦跡にて幾つかの日本戦車の残骸や砲塔だけを据えた簡易トーチカの残骸を見たことがあります。そのなかには、八九式戦車のそれも含まれていたと思いますが、もう十数年も前のことなので、どんな戦車の残骸だったかハッキリと思い出せなくなっています。
以上で、アヒルさんチームの搭乗車が完成しました。製作期間は、4月26日から5月2日までの一週間ですが、実際にキットを製作していた日数は5日でした。これまでで最も短い日数でした。作りやすく、ガルバン仕様への追加工作も少なく簡単なものばかりだったのが大きかったと思います。
これをふまえると、ガルパン公式キットの中では一番作りやすいのではないか、と感じました。初心者の方にもおすすめだと思います。