気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

「倉野川」の倉吉をゆく シーズン1の3 「とってもとっても、ありがとう。」

2016年05月14日 | 倉吉巡礼記
「とってもとっても、ありがとう。」(日向美ビタースイーツ) 
  ボーカル 春日咲子(CV:山口愛)
  収録作品 音楽ゲーム「REFLEC BEAT」「pop'n music」「jubeat」「GITADORA」等
         サウンドトラック「ひなビタ♪ ORIGINAL SOUNDTRACK」「Bitter Sweet Girls!
         ソロシングル「Five Drops 04 -pure grape- 春日咲子」 曲はこちら


 倉吉の町には、よく考えてみますと「ありがとう」と感謝したくなるような要素が幾つかあります。その最たるものが、公衆トイレの充実ぶりです。例えば上図の「まちづくりセンター」と呼ばれる立派な建物には、観光案内コーナー、公衆電話などが設けられていますが、メインは公衆トイレです。こういう公衆トイレが街並みの各所にあるのが、倉吉の特色の一つです。

 観光地として宣伝する以上、観光客が安心して楽しめるように色々と整備するのは当然ですが、設備として絶対に必須なのがトイレであるという点は、意外にも忘れられているのではないかと思います。多くの観光地へ行って、最も困った体験を自分でも挙げますと、用を足したいのにトイレが無い、ということでありました。
 ガルパンの大洗などはそれが特にひどく、町のどこにも公衆トイレが無いので、駅やアウトレットまで行くか、商店街のどこかで非礼を詫びつつ借りるより他にありませんでした。海岸沿いには幾つかトイレがありますが、ガルパン巡礼コースとは離れているので意味がありません。

 これに対して倉吉では、昔から公衆トイレの整備にものすごく力を入れてきた経緯があり、一般観光客へのアンケート結果でも「トイレの多さおよび清潔さ」が高評価を得ていると聞きます。どこにでもトイレがあるから、安心して観光が出来る、というわけです。これは本当に大事なことです。リピーターが多いのも、おそらく同じ理由からでしょう。
 私自身、若い頃から何度も倉吉へ遊びに行きましたが、トイレが無くて困った、という経験が全くありません。なにしろ「トイレの町」としても有名な街なのです。市の観光情報にもきちんと案内マップを載せているぐらいです。詳細はこちら

 倉吉市が公衆トイレの充実化に力を入れ始めたのは昭和60年からなので、、私が大学二回生の夏に初めて倉吉を訪れた昭和61年には、既に打吹地区だけでも6ヶ所の公衆トイレがありました。当時、これは凄い、観光地としては一番大事な取り組みをやっている、いずれ倉吉は山陰屈指の観光地に成長するんじゃないか、と感じたのですが、実際にそうなりました。
 例えば、一年間の観光客数ですが、観光関連資料によりますと、平成9年には約13万人、平成17年度には約30万人、そして平成26年には約51万人、と確実に伸びています。約51万人、というのは、一日平均で約1400人であるわけですが、さして広くもない倉吉の観光エリアに一日で1400人が入るとなると、トイレがどれぐらい必要になるでしょうか。一ヵ所とか二ヶ所、というのでは絶対に足りません。
 だから、公衆トイレが沢山あるというのがどんなに重要か、大切かがよく理解出来ます。この一点だけで、私は倉吉を高く評価します。

 ちなみに、一日の観光客数が約1400人の倉吉市において、去る4月16、17日の「くらよし桜まつりひなビタバージョン」に全国から約6000人のファンが集まったそうです。市長以下関係者が驚くのも無理は無く、イベントは大成功だという評価が商店街のどこでも聞かれました。よし次も仕掛けてゆくぞ、という声があるのも当然であり、今後の展開が楽しみなところです。


 「まちづくりセンター」公衆トイレの向かいには、赤瓦八号館と呼ばれる建物があります。


 赤瓦八号館の一階は土産物販売店の「寅蔵」、二階は蕎麦屋の「打吹庵」になっています。山陰は蕎麦どころとしても知られ、伯耆地方では大山麓の蕎麦が人気ですが、倉吉の蕎麦も静かなブームになっていて、それがずっと続いています。私自身は、北の新市街地の方の天神川に架かる竹田橋脇の「渋や」さんの蕎麦が気に入っているのですが、ここ打吹地区では赤瓦八号館の「打吹庵」が好きです。情報はこちら


 道を引き返して、八橋往還のルートに戻りました。


 西に進みますと、建物は近代以降のものが多くなってきます。それでも古い店舗が少なくなく、中には廃業したり閉鎖したりして、空き家になっている所もあります。


 ある店舗のウインドーガラスに貼られていた、芽兎めうの公式イラスト画です。シングルジャケットなどで見かける画像です。ファンのなかで人気が最も高いキャラクターだといいますが、同時に地元住民にも親しまれているようです。

 街中にこのように飾られている「ひなビタ」のイラストや画像は、全て公式の品です。ファンが描いて寄贈したというような類のイラストは見当たりません。
 その一番の理由は、当地域が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されていることであり、文化財保護法、景観法といった諸法律も適用されているという点でしょう。基本的には、国や県の許可を得ないと、自作のイラストや写真やグッズ等を寄贈し展示することが出来ない、ということです。違反すれば罰則および罰金が科せられます。私自身が文化財学専攻の学徒でしたので、そういう問題はよく知っております。
 だから、「くらよし桜まつり」のポスターすらも、イベント終了後にすぐに撤去されたのでしょう。


 町並みの西側の玉川沿いに境内地を構える大蓮寺への参道です。地元では大蓮寺境内社の弁天社への参詣道として親しまれているため、「弁天参道」の愛称が半ば公式のものとなっています。
 この小路が「ひなビタ」にも登場するため、聖地巡礼のスポットの一つとしてファンは必ず訪れて写真を撮ります。


 「ひなビタ」にも登場する場面は、実際にはこんな感じです。


 再び八橋往還のルートを西へ行きますと、左側にかつて鞄屋さんだった建物があります。そのショーウインドー内に、大きなパネルが飾られてあります。この日見つけた6枚目のパネルです。


 御覧のように、日向美ビタースイーツのメンバー5人全員が夏の装いで揃っています。春日咲子が頭に風鈴をかけているのがオシャレです。芽兎めうが抱えている巨大なパフェは、バケツの域を軽く超えています。ガルパンの五十鈴華もこれにはかなわないでしょうね。


 町並みの各所からは、打吹山が望まれます。この山容が見えると、ホッとする私です。


 さらに進んで右側には、県の保護文化財にも登録されている「高田酒造」さんの古建築が重厚な構えをみせてきます。主屋は江戸期の天保14年の遺構で、その形式は倉吉の町屋建築の特徴をよくとどめるものです。逆に言えば、この建物の形式に近いかどうかで、建築の成立時期がある程度見極められる、ということです。
 「高田酒造」さんの公式サイトはこちら


 その軒下にも、「福の神」の一体の「福狸」が安置されています。招福の神様として崇められますが、さらに「タヌキ」を「他抜き」と解釈して「他を抜く」ことが出来るようにもなる、という信仰があります。木像自体は、これも山本竜門氏の作品です。


 「福の神」の一体は、近くの「まきた旅館」の店先にも安置されていました。こちらは大きな木に七福神を配して浮彫で表してあります。これも山本竜門氏の作品です。


 交差点を渡ってさらに西へ進み、左側の生花店「花はあんどう」さんのウインドー内に7枚目のパネルを発見しました。


 これは春日咲子ですね。アコースティックギターを抱えているので、ソロでの演奏シーンを描写していると分かります。しかもこれ、「とってもとっても、ありがとう。」のシングル版のジャケット画じゃないかったかな・・・。いや、あれは目をつぶっていたから違いますね・・・。すると、福袋ガチャのカードのイラスト画のほうだったかな・・・・。
 いずれにしても、春日咲子がアコースティックギターを構えている図というのは、あんまり見かけないんですよ・・・。 (続く)
コメント (2)
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