「水月鏡花のコノテーション」(日向美ビタースイーツ)
ボーカル 霜月凛(CV:水原薫)、山形まり花(CV:日高里菜)
収録作品 音楽ゲーム「REFLEC BEAT」「pop'n music」「jubeat」「GITADORA」等
サウンドトラック「Chocolate Smile Girls!!」 曲はこちら。
大岳院から引き返し、レストラン白壁倶楽部の辻に戻りました。この白亜の擬洋風建築は、明治41年に国立第三銀行倉吉支店として建てられたもので、内装の一部をのぞいて当時のままに伝わっています。明治38年に魚町および堺町一丁目周辺を焼失した大火の後に建てられ、より防火耐火を意識して漆喰が厚く塗られています。山陰地域に現存する土蔵造りの銀行建築としては最も優れた意匠を示し、鳥取県下における国登録有形文化財の第一号に指定されました。
キャラクターパネルを探しつつ、堺町一丁目の街区を北上しました。この辺りには個性的な店舗も多く、上図の「ミタ写真館」もその一つです。最近に外装を新たにしたようですが、構えはなおも昭和の雰囲気を色濃くただよわせます。外観が絵になるので、撮影していた巡礼者も何人か居ました。
「ミタ写真館」の近くに、懐かしい鯛焼きのお店「米澤たいやき店」があります。創業は昭和23年、倉吉での食べ歩きの人気スポットの一つで、その人気は20年前から変わっていないようです。
私も倉吉で遊んだ後にこのお店の鯛焼きを二つほど買って鳥取市へ帰るのが常でした。一枚一枚を焼き型でじっくり焼くため、すぐに食べると熱くて唇をやけどしかねないからでした。また大判焼もあり、小豆あんと白あんの二種があり、買う時に小豆あんを「アカ」、白あんを「シロ」と呼んだりしていました。
また、店内で休憩をかねて食べる場合は、いつもタコ焼きをいただきました。今回、20年ぶりにそのタコ焼きを食べましたが、味は全く変わっていませんでした。思わず、目頭が熱くなりました。
ひなビタのファンや巡礼者にはあまり知られていませんが、倉吉のソウルフードとしては、牛骨ラーメンと並べてここの鯛焼きを私は必ず挙げます。自分が子供だった頃の味というか、昭和の味覚が素のままに味わえるからです。
今回、タコ焼きを食べながら店主さんに話をうかがいました。それによるとここの鯛焼きは、戦後間もない頃の、卵が貴重品だった時期に始めたので、卵を使う事が出来ずに仕上がりも白い感じになり、そのまま続けているとのことでした。生地の材料は小麦粉、膨らし粉、水だけで、味付けもせず、皮も薄いので、中の餡の色と旨味が染み出てくる、それをそのまま生かしてのシンプルなものです、ということでした。
要するに、敗戦直後の貧しかった日本の、素朴なおやつのスタイルであるわけです。年配の観光客の方々の中には食べながら昔を思い出すのか、泣いておられる人もいると聞きました。
「米澤たいやき店」の紹介情報はこちら。
北の記念道路(倉吉銀座通り)まで行ってもキャラクターパネルが見当たりませんでしたので、バス停「赤瓦・白壁土蔵」の横から魚町の旧街路まで戻りました。
児童公園の南側から東の玉川沿いに続く古民家の列の景観は、これも「ひなビタ」のワンシーンに登場するので聖地の一つになっています。ストーリー内では、確か日向美高校の近くの「たちばな美観地区」の一画、となっていたと思います。
白壁土蔵群の代表的な景観スポットが、この界隈です。魚町のほぼ中心にあたり、玉川が東西に流れるのに沿って土蔵が建ち並びます。倉吉市の市報5月号の表紙を飾る、ひなビタ倉野川市との提携記念の画像の景色もこの場所です。
その中央に位置する「赤瓦一号館」の出入り口に、やっと次のキャラクターパネルを発見しました。この日の14枚目でした。
わーい、久領堤纒さんだー、纒お姉さまじゃー!!(アホかお前は)
普段は倉吉市役所の三階のデスクに常駐、ということになっていますが、この期間のみ「街中を巡回」ということでこちらに移動していたもののようです。すると次はどこへ「巡回」するのかが問題になりますが、観光課のタウンマネージャーであることを考えますと、「赤瓦一号館」のような観光定番スポットであろう、と予想されます。
倉吉の「ひなビタ」キャラクターパネルは時期ごとに位置を変えますので、そのたびにパネル探し、街中巡りの需要が喚起されます。大洗のガルパンキャラクターパネルが「一度見たら終わり」であるのとは違って、最大限に有効な使用法が模索されていると言えましょう。
玉川沿いにさらに西へ進んで、新町の大蓮寺に至りました。赤提灯を提げる木造の山門は、江戸期まで打吹山の東隣の華到山の麓にあった旧大蓮寺の地から移築されたものとされています。その地は、現在の米田町のダイソー付近にあたります。
昭和30年に再建された、現在の本堂です。倉吉では最初の鉄筋擬コンクリート建築として知られ、当時は近畿以西では初の「赤蓮華僧伽藍」などと銘打っていたそうで、実際に建物の上部に本尊仏をシンボライズする「赤蓮華」のレリーフがしつらえてあります。
赤蓮華は、正式には紅蓮華 (ぐれんげ)と呼びます。インドで「パドマ(padma)」と呼ぶのを漢訳した語です。実際に存在する植物で昼に咲きます。仏教では仏陀のいる場所をあらわし、彫刻や絵画では「蓮華座」として造形されます。またヒンドゥー教では、ビシュヌ神とその妃ラクシュミーの象徴とされます。
大蓮寺の山門前から西側、「赤瓦一号館」の方角をみた景色です。この辺りの散策で口ずさむならば、冒頭の「水月鏡花のコノテーション」あたりが相応しいかな、と思いました。
次に倉吉博物館に向かいました。途中の観光バス駐車場の周囲には、ひなビタ倉野川市との提携記念の幟が並んで風にはためいていました。
倉吉博物館では特別展示「北斎」を開催中でしたが、葛飾北斎の浮世絵作品は以前に色々観ておりますので、今回は常設展示の歴史的資料の方だけをさらりと見物しました。
倉吉博物館の案内情報はこちら。
倉吉博物館は、市の施設ですので、ガイダンスコーナーには市の刊行物や配布物もあります。当然ながら市報も配布していますので、一冊貰ってきました。
御覧のように、5月号の表紙はひなビタ倉野川市との提携記念の画像の景色となっており、「ひなビタ♪」にならって「くらよし」も「くらよし♪」になっています。ガルパンの大洗でもここまで町報をコラボ表紙にしませんでしたから、行政サイドのノリノリ感は倉吉市がはるかに勝っています。
なにしろ、「ひなビタ♪」とのコラボ企画は、単なるファンイベントではなく、市の正式な観光振興策として議会の承認を得ています。だから市の観光交流課が窓口となって事業の全てを担い、そのための予算もきちんと計上されています。そのうえで、この4月を起点として三年計画で「ひなビタ♪」とのコラボによる「地域創生」プロジェクトを展開する旨を、広報や新聞などで正式に発表しています。
それを受けての「くらよし桜まつりひなビタバージョン」の実施であり、周知のように全国から6000人のファンを集めて大成功に終わりました。なにしろ、国内でも稀な伝存度を誇る古民家建築集中地域として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている打吹玉川地区の街並みを舞台にしていますから、観光の面でみたインパクトの大きさは、ガルパン大洗とは比較になりません。
しかも、国の文化財指定エリアをひとつの範囲に含めて観光施策として実施するあたり、どう考えても文化庁の指導および承認を得ているはずです。ただでさえ制限規約の多い重要伝統的建造物群保存地区でやるのですから、相当の「特別措置」もしくは「黙認」が図られていると思われますが、それはおそらくガルパン大洗では不可能な案件ばかりだろうと想像されます。大洗では行政側が主導しての動きがまったくありませんから、その意味でも対照的なケースと言えます。
端的に言うならば、重要伝統的建造物群保存地区にてアニメ等のコラボイベントを公式に大々的に開催するというのは、普通は有り得ないのです。有り得ないと言うよりも、文化財保護および歴史的景観保護の観点から言うと無謀、無茶な試みになります。まっさきに反対や反論が挙がって当局は非難をあびるのが普通でしょう。それ以前に、文化庁が苦虫をかみつぶしたような対応に終始するはずです。
それを、どうやってクリアしたものか、議会の可決承認というこれまた有り得ない手続きまで踏んで、倉吉市は正式観光計画に据えたわけです。しかもグッドスマイルカンパニー、コナミの二大企業の完全協力の形で、です。ここまでやるというのは、ある意味凄い、相当の税金も投入されるだろうし、それなりに成果は出る、と予想されました。
それ以前に、倉吉自体が観光地としては稀なインフラ整備の経緯を誇って観光客の評価もトップクラスであります。山陰屈指の保養地として名高い三朝温泉をバックグラウンドにひかえて観光客動員数もかなりのレベルに達しています。
つまり、イベントを立ち上げてもそれなりに採算が成立するだけの、いわゆる「潜在的観光資源力」というのが、倉吉は目立って大きいのです。鳥取や米子よりは確実に大きいですし、島根県のメインの松江に匹敵するかもしれません。ガルパンの大洗との決定的な差はこの辺りにあるんじゃないかなあ、と私なりには感じています。20年前に自身が魅せられて何度も通ったこと、そして今再び巡礼に熱中し出していることも、倉吉の街の魅力、観光地としてのグランドパワーが地味に大きいからだろう、と解釈している次第です。
なので、私も、以前からこの「くらよし桜まつりひなビタバージョン」イベントは成功する可能性が高い、とみていました。アニメ等に絡めた「地域起こし」の試みが軒並み不調となるなか、東のガルパン大洗に匹敵する少ない成功例となるだろう、と予想していました。私が最も大好きな場所である倉吉が舞台になるのですから、大感激以外の何物でもなく、ガルパン劇場版を倉吉でも上映したのを一つの契機として、倉吉への巡礼も計画的に取り組んでみることにしました。
だから、そのスターティングポイントにもふさわしい、4月17、18日の「くらよし桜まつりひなビタバージョン」にはどうしても行きたかったのですが、機会を得ませんでした。いまでもものすごく残念に思っています。
そこで、次のスペシャルイベントである夏の「倉吉打吹まつり」に期待しています。まだ詳細情報は公表されていませんが、これもおそらくひなビタバージョンになるものと予想しています。今年は8月6、7日に決まっていますので、なんとか休みをとって繰り出したいものです。
「倉吉打吹まつり」の公式サイトはこちら。 (続く)
ボーカル 霜月凛(CV:水原薫)、山形まり花(CV:日高里菜)
収録作品 音楽ゲーム「REFLEC BEAT」「pop'n music」「jubeat」「GITADORA」等
サウンドトラック「Chocolate Smile Girls!!」 曲はこちら。
大岳院から引き返し、レストラン白壁倶楽部の辻に戻りました。この白亜の擬洋風建築は、明治41年に国立第三銀行倉吉支店として建てられたもので、内装の一部をのぞいて当時のままに伝わっています。明治38年に魚町および堺町一丁目周辺を焼失した大火の後に建てられ、より防火耐火を意識して漆喰が厚く塗られています。山陰地域に現存する土蔵造りの銀行建築としては最も優れた意匠を示し、鳥取県下における国登録有形文化財の第一号に指定されました。
キャラクターパネルを探しつつ、堺町一丁目の街区を北上しました。この辺りには個性的な店舗も多く、上図の「ミタ写真館」もその一つです。最近に外装を新たにしたようですが、構えはなおも昭和の雰囲気を色濃くただよわせます。外観が絵になるので、撮影していた巡礼者も何人か居ました。
「ミタ写真館」の近くに、懐かしい鯛焼きのお店「米澤たいやき店」があります。創業は昭和23年、倉吉での食べ歩きの人気スポットの一つで、その人気は20年前から変わっていないようです。
私も倉吉で遊んだ後にこのお店の鯛焼きを二つほど買って鳥取市へ帰るのが常でした。一枚一枚を焼き型でじっくり焼くため、すぐに食べると熱くて唇をやけどしかねないからでした。また大判焼もあり、小豆あんと白あんの二種があり、買う時に小豆あんを「アカ」、白あんを「シロ」と呼んだりしていました。
また、店内で休憩をかねて食べる場合は、いつもタコ焼きをいただきました。今回、20年ぶりにそのタコ焼きを食べましたが、味は全く変わっていませんでした。思わず、目頭が熱くなりました。
ひなビタのファンや巡礼者にはあまり知られていませんが、倉吉のソウルフードとしては、牛骨ラーメンと並べてここの鯛焼きを私は必ず挙げます。自分が子供だった頃の味というか、昭和の味覚が素のままに味わえるからです。
今回、タコ焼きを食べながら店主さんに話をうかがいました。それによるとここの鯛焼きは、戦後間もない頃の、卵が貴重品だった時期に始めたので、卵を使う事が出来ずに仕上がりも白い感じになり、そのまま続けているとのことでした。生地の材料は小麦粉、膨らし粉、水だけで、味付けもせず、皮も薄いので、中の餡の色と旨味が染み出てくる、それをそのまま生かしてのシンプルなものです、ということでした。
要するに、敗戦直後の貧しかった日本の、素朴なおやつのスタイルであるわけです。年配の観光客の方々の中には食べながら昔を思い出すのか、泣いておられる人もいると聞きました。
「米澤たいやき店」の紹介情報はこちら。
北の記念道路(倉吉銀座通り)まで行ってもキャラクターパネルが見当たりませんでしたので、バス停「赤瓦・白壁土蔵」の横から魚町の旧街路まで戻りました。
児童公園の南側から東の玉川沿いに続く古民家の列の景観は、これも「ひなビタ」のワンシーンに登場するので聖地の一つになっています。ストーリー内では、確か日向美高校の近くの「たちばな美観地区」の一画、となっていたと思います。
白壁土蔵群の代表的な景観スポットが、この界隈です。魚町のほぼ中心にあたり、玉川が東西に流れるのに沿って土蔵が建ち並びます。倉吉市の市報5月号の表紙を飾る、ひなビタ倉野川市との提携記念の画像の景色もこの場所です。
その中央に位置する「赤瓦一号館」の出入り口に、やっと次のキャラクターパネルを発見しました。この日の14枚目でした。
わーい、久領堤纒さんだー、纒お姉さまじゃー!!(アホかお前は)
普段は倉吉市役所の三階のデスクに常駐、ということになっていますが、この期間のみ「街中を巡回」ということでこちらに移動していたもののようです。すると次はどこへ「巡回」するのかが問題になりますが、観光課のタウンマネージャーであることを考えますと、「赤瓦一号館」のような観光定番スポットであろう、と予想されます。
倉吉の「ひなビタ」キャラクターパネルは時期ごとに位置を変えますので、そのたびにパネル探し、街中巡りの需要が喚起されます。大洗のガルパンキャラクターパネルが「一度見たら終わり」であるのとは違って、最大限に有効な使用法が模索されていると言えましょう。
玉川沿いにさらに西へ進んで、新町の大蓮寺に至りました。赤提灯を提げる木造の山門は、江戸期まで打吹山の東隣の華到山の麓にあった旧大蓮寺の地から移築されたものとされています。その地は、現在の米田町のダイソー付近にあたります。
昭和30年に再建された、現在の本堂です。倉吉では最初の鉄筋擬コンクリート建築として知られ、当時は近畿以西では初の「赤蓮華僧伽藍」などと銘打っていたそうで、実際に建物の上部に本尊仏をシンボライズする「赤蓮華」のレリーフがしつらえてあります。
赤蓮華は、正式には紅蓮華 (ぐれんげ)と呼びます。インドで「パドマ(padma)」と呼ぶのを漢訳した語です。実際に存在する植物で昼に咲きます。仏教では仏陀のいる場所をあらわし、彫刻や絵画では「蓮華座」として造形されます。またヒンドゥー教では、ビシュヌ神とその妃ラクシュミーの象徴とされます。
大蓮寺の山門前から西側、「赤瓦一号館」の方角をみた景色です。この辺りの散策で口ずさむならば、冒頭の「水月鏡花のコノテーション」あたりが相応しいかな、と思いました。
次に倉吉博物館に向かいました。途中の観光バス駐車場の周囲には、ひなビタ倉野川市との提携記念の幟が並んで風にはためいていました。
倉吉博物館では特別展示「北斎」を開催中でしたが、葛飾北斎の浮世絵作品は以前に色々観ておりますので、今回は常設展示の歴史的資料の方だけをさらりと見物しました。
倉吉博物館の案内情報はこちら。
倉吉博物館は、市の施設ですので、ガイダンスコーナーには市の刊行物や配布物もあります。当然ながら市報も配布していますので、一冊貰ってきました。
御覧のように、5月号の表紙はひなビタ倉野川市との提携記念の画像の景色となっており、「ひなビタ♪」にならって「くらよし」も「くらよし♪」になっています。ガルパンの大洗でもここまで町報をコラボ表紙にしませんでしたから、行政サイドのノリノリ感は倉吉市がはるかに勝っています。
なにしろ、「ひなビタ♪」とのコラボ企画は、単なるファンイベントではなく、市の正式な観光振興策として議会の承認を得ています。だから市の観光交流課が窓口となって事業の全てを担い、そのための予算もきちんと計上されています。そのうえで、この4月を起点として三年計画で「ひなビタ♪」とのコラボによる「地域創生」プロジェクトを展開する旨を、広報や新聞などで正式に発表しています。
それを受けての「くらよし桜まつりひなビタバージョン」の実施であり、周知のように全国から6000人のファンを集めて大成功に終わりました。なにしろ、国内でも稀な伝存度を誇る古民家建築集中地域として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている打吹玉川地区の街並みを舞台にしていますから、観光の面でみたインパクトの大きさは、ガルパン大洗とは比較になりません。
しかも、国の文化財指定エリアをひとつの範囲に含めて観光施策として実施するあたり、どう考えても文化庁の指導および承認を得ているはずです。ただでさえ制限規約の多い重要伝統的建造物群保存地区でやるのですから、相当の「特別措置」もしくは「黙認」が図られていると思われますが、それはおそらくガルパン大洗では不可能な案件ばかりだろうと想像されます。大洗では行政側が主導しての動きがまったくありませんから、その意味でも対照的なケースと言えます。
端的に言うならば、重要伝統的建造物群保存地区にてアニメ等のコラボイベントを公式に大々的に開催するというのは、普通は有り得ないのです。有り得ないと言うよりも、文化財保護および歴史的景観保護の観点から言うと無謀、無茶な試みになります。まっさきに反対や反論が挙がって当局は非難をあびるのが普通でしょう。それ以前に、文化庁が苦虫をかみつぶしたような対応に終始するはずです。
それを、どうやってクリアしたものか、議会の可決承認というこれまた有り得ない手続きまで踏んで、倉吉市は正式観光計画に据えたわけです。しかもグッドスマイルカンパニー、コナミの二大企業の完全協力の形で、です。ここまでやるというのは、ある意味凄い、相当の税金も投入されるだろうし、それなりに成果は出る、と予想されました。
それ以前に、倉吉自体が観光地としては稀なインフラ整備の経緯を誇って観光客の評価もトップクラスであります。山陰屈指の保養地として名高い三朝温泉をバックグラウンドにひかえて観光客動員数もかなりのレベルに達しています。
つまり、イベントを立ち上げてもそれなりに採算が成立するだけの、いわゆる「潜在的観光資源力」というのが、倉吉は目立って大きいのです。鳥取や米子よりは確実に大きいですし、島根県のメインの松江に匹敵するかもしれません。ガルパンの大洗との決定的な差はこの辺りにあるんじゃないかなあ、と私なりには感じています。20年前に自身が魅せられて何度も通ったこと、そして今再び巡礼に熱中し出していることも、倉吉の街の魅力、観光地としてのグランドパワーが地味に大きいからだろう、と解釈している次第です。
なので、私も、以前からこの「くらよし桜まつりひなビタバージョン」イベントは成功する可能性が高い、とみていました。アニメ等に絡めた「地域起こし」の試みが軒並み不調となるなか、東のガルパン大洗に匹敵する少ない成功例となるだろう、と予想していました。私が最も大好きな場所である倉吉が舞台になるのですから、大感激以外の何物でもなく、ガルパン劇場版を倉吉でも上映したのを一つの契機として、倉吉への巡礼も計画的に取り組んでみることにしました。
だから、そのスターティングポイントにもふさわしい、4月17、18日の「くらよし桜まつりひなビタバージョン」にはどうしても行きたかったのですが、機会を得ませんでした。いまでもものすごく残念に思っています。
そこで、次のスペシャルイベントである夏の「倉吉打吹まつり」に期待しています。まだ詳細情報は公表されていませんが、これもおそらくひなビタバージョンになるものと予想しています。今年は8月6、7日に決まっていますので、なんとか休みをとって繰り出したいものです。
「倉吉打吹まつり」の公式サイトはこちら。 (続く)