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ゆるキャン△の聖地を行く8 その2  桑原の薬師堂へ

2019年09月08日 | ゆるキャン△

 「かんなみ仏の里美術館」にて24体の仏像群と久し振りの対面を果たし、しばらく鑑賞の時を過ごした後は、館内の解説ボランティアの方々と色々話をして、現地の最近の状況などを伺いました。

 その際に、仏像群の元の安置場所であった桑原の薬師堂はどうなったのかを訊ねたところ、「まだありますよ。今は会所みたいな感じで皆さんで使っとりますよ」と教えられました。

「すると、お堂自体は、まだまだもつんですか?」
「まあね。屋根とかかなり傷んでましてね、雨漏りもするようになったんで応急修理なんかはやりましたけどね、でももう、仏像を地元の有志だけで守っていくんも限界があるわけで。元来、こういう仏像とかの文化財の保全管理ってのは行政がしっかりやってくれることも多いんで、それで寄付して管理してもらっとるわけですな。お堂のほうもまだまだ使えるやろうし、とりあえずは現状維持のままっていうことでね」
「あのお堂は、確か明治の建物でしたね」
「そうそう、そうです。そんなに古くねえし、仏像をずっとお祀りしていってもあんま、問題はねえんですけどね、でも仏像とかの文化財の保存とか管理とかは別次元の問題になるんでね、そちらはそれなりの対策を講じないと駄目なわけでね」

 聞いていて、そうだろうな、と納得しました。なにしろ桑原薬師堂はいわゆる村の草堂タイプの建物で、いちおう所有者の長源寺が管理元になっているものの、住職が不在がちで防犯上の不安が常につきまとっていたのです。仏像が盗難にあいかけた事も何度かあったそうです。
 なので、諸々の事情があったとはいえ、新設の美術館に移安したのは、まずは防犯対策だろうな、と受け止めました。

 ともあれ、かつて二度訪ねた桑原薬師堂が健在だということなので、立ち寄ってみることにしました。美術館から歩いて5分ぐらいなので、車は美術館の駐車場に停めたままにしました。

 

 美術館の前の辻に、上図の看板が建てられています。昔訪ねた頃は、もっと素朴な木札の案内標識だったのですが、この大きくカラフルで目立つ看板に置き換えられたようです。

 

 途中、来光川に架かる橋を渡りました。周囲の景色は、20数年前とあんまり変わっていませんでした。

 

 薬師堂を含む長源寺境内への参道も、昔のままでした。二度目の訪問の時は車で来て、この道を奥まで進んで寺の参拝者駐車場に入れた記憶かあります。

 

 参道入口より、美術館の方角を振り返りました。上図右手に二つのピラミッドが並ぶように見えるのが、「かんなみ仏の里美術館」の建物です。

 

 桑原薬師堂を所有する長源寺の本堂です。曹洞宗の禅寺ですが、創建は近世であるとかで、あまり詳しいことが分かっていません。つまり、桑原薬師堂やその仏像群との関連性はあまり無く、ただ、これらを守り伝えてきた管理元であった、ということに尽きるようです。

 

 長源寺の本堂手前を右に行って石段を登っていくと、境内を見下ろす高台に桑原薬師堂があります。当地域に伝わってきた仏像群を守ってお祀りするために、地元桑原区の住民有志が浄財を寄せ合って明治の頃に建てたのが、この建物です。

 

 薬師堂の内部です。今は美術館に在る24体の仏像群は、この内陣壇上および厨子内に安置されていたのです。いまはそれぞれの写真が、元の安置位置に置かれています。
 上図の二つの厨子の間の空間に、かつては国重要文化財の阿弥陀三尊像が安置されていました。かつての北条宗時の墳墓堂の本尊ではないか、とみられている鎌倉初期の佳作です。作者の実慶は、名前から奈良仏師の慶派の系譜につながる仏師とみられます。
 当時の慶派のトップであった運慶が、やはり同じ頃に伊豆に来て北条時政の願成就院の仏像群を造立していますので、それに実慶も同行して北条宗時の墳墓堂の仏像群を担当したのではないか、という推定も成り立ちます。鎌倉幕府黎明期に、源氏および北条氏の守護仏として新たに登場した精彩豊かな仏像たちの輝かしい歴史が、その頃に始まったのは、間違いないでしょう。

 

 内陣の右側の四天柱に囲まれた格式ある厨子が、薬師堂の本尊であった薬師如来坐像の元安置位置でした。仏像自体は平安時代の作で、だいたい12世紀前半とみられます。24体の仏像のなかでは古例に属します。
 したがって、桑原の惣堂の元からの本尊である可能性が高く、地元で大切に祀ってきたのも当然と言えます。これに前述の北条宗時の墳墓堂の本尊ではないか、とみられている阿弥陀三尊像がいつのころからか加わっていますので、北条宗時の墳墓堂はこの近所にあったのかもしれません。

 

 薬師堂からも、「かんなみ仏の里美術館」の建物が見えました。直線距離で約300メートルぐらいなので、移したといっても、すぐ近くです。

 

 薬師堂の縁側にしばらく座り、汗を拭き水を飲みながら、昔の訪問時のことも思い出したりしました。若き日の私が、今の私の横を軽やかに通り過ぎて行ったような錯覚にもおそわれました。  (続く)

 


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