今日は実家に行ってきました。お寺さんが来て、仏壇の父親の前で家族そろってお経を読みました。
父親がなくなるまで、宗教には無関心で、仏教はいろいろ宗派はあれど、仏様(ブッタ)は1人だとは知らなかった位です。(え~そうなの~と言っているあなた、私と一緒のレベルですね)
お経が終わり、お坊さんが一言、「人の姿かたちはなくなれど、思いというものは残ります。その思いが受け継がれていくのです。」
この言葉にはなるほどと思いました。
いま、迷ったとき、たまに「オヤジならどうしただろう。」と考える事があります。そのとき目に浮かぶのが、食卓で酒を飲みながらしゃべっていたオヤジ、パソコンの前で資料を作っていたオヤジです。
会話ははっきり覚えていないものの、思いは受け継がれていたような気がします。そして、その思いを思い出して未知のことを私は判断していっています。
そう考えると、私たち住宅屋はその家庭の思いを伝える箱を造っているという意識を持ってやらなくちゃいけないですね。
おっと、いま、目の前を息子が通っていきました。僕の思い、彼にキチット伝えていかなくちゃな。
父親がなくなるまで、宗教には無関心で、仏教はいろいろ宗派はあれど、仏様(ブッタ)は1人だとは知らなかった位です。(え~そうなの~と言っているあなた、私と一緒のレベルですね)
お経が終わり、お坊さんが一言、「人の姿かたちはなくなれど、思いというものは残ります。その思いが受け継がれていくのです。」
この言葉にはなるほどと思いました。
いま、迷ったとき、たまに「オヤジならどうしただろう。」と考える事があります。そのとき目に浮かぶのが、食卓で酒を飲みながらしゃべっていたオヤジ、パソコンの前で資料を作っていたオヤジです。
会話ははっきり覚えていないものの、思いは受け継がれていたような気がします。そして、その思いを思い出して未知のことを私は判断していっています。
そう考えると、私たち住宅屋はその家庭の思いを伝える箱を造っているという意識を持ってやらなくちゃいけないですね。
おっと、いま、目の前を息子が通っていきました。僕の思い、彼にキチット伝えていかなくちゃな。