シェムリアップ滞在、5日目。
今日帰国の予定ですが、夜9時の便なのでホテルもギリギリまで使えるように
1泊多めに予約しておきました。
特に予定は入れてなかったので、ゆっくり朝食へ。
その後、出国前に出来ていたカサブタが、歩いているうちに靴下にすれて剥がれちゃったのか、
傷が開いてきた!と家族が言うので、ホテルのトゥクトゥクに薬局まで連れて行ってもらうことに。
近くにあるかと思いきや、結構遠くまでやってきました。(^^;
でも、無事に消毒薬をゲット。
さて、これからどうしようかな。
せっかくのカンボジア。 ダラダラしていてももったいないので、
トゥクトゥクをチャーターして、まだ行っていない場所に少しお出かけすることに。
ホテルのコンシェルジュに行きたい場所を紙に書いて渡し、ホテル前のトゥクトゥクと交渉してもらいました。
スケジュールは、ホテル→「アキラの地雷博物館」→「キリング・フィールド」→ランチ→ホテル、
の行程で、20ドルとのことでした。
粘ればもう少し安くなったかもしれませんが、「地雷博物館」は中心街からちょっと遠いしね。
これで行ってもらうことにしました。 それでは出発!
「地雷博物館」までは、片道約45分。
アンコールワット遺跡を通り抜けて行くので、景色もサイコー!
でも、さすがに45分もトゥクトゥクに乗ってると疲れる…。(^^;
ようやく「アキラの地雷博物館」に到着。
この地雷博物館は、ポル・ポト時代クメール・ルージュによって両親を殺され、
その後、少年兵士として育てられ戦場に地雷を埋めるという作業を行っていたアキ・ラ氏が、
カンボジアが平和になった現在、地雷を埋めてきた事の償いとしてボランティアで地雷撤去を行い、
その地雷や兵器を展示している博物館です。
入場料5ドルを払って中へ。
池の中心にはこれまでアキ・ラ氏が撤去したという、地雷の山が。
まだまだカンボジアには地雷がたくさん埋まってるそうで、要請があればすぐに駆けつけるんだそう。
どこからか日本語が聞こえる?と行ってみると、むかし島田紳助が司会をしていた
「世界バリバリ バリュー」のビデオが流れていました。(右下)
「アキ・ラ氏」に密着した内容で、地雷撤去の様子なども取材されていました。
地雷の犠牲になった人達の写真や、当時の様子を描いた絵などの展示も。
地雷の他には、不発弾などの処理も行っているそう。
こんなのが落ちてくるなんて、戦争時代じゃない私には想像も出来ないなぁ。
コチラは義足の展示。
地雷を使うのは人を殺すためではなく、人に怪我を負わせることでその怪我人をかかえて運ぶ兵士2人を含め、
3人の兵力を失わせることが目的なんだそう。
手作り感満載な、当時の武器を展示したコーナー。
処理された武器等を使ったアート作品もありました。
入口近くにあったショップで、地雷の形をしたソープを購入。
アキ・ラ氏は地雷で両親や体の一部を失った子供たちの孤児院も設立しているらしく、
少ないながら、寄付もさせてもらいました。
博物館を後にし、次の場所へ向かいましょう。
今日帰国の予定ですが、夜9時の便なのでホテルもギリギリまで使えるように
1泊多めに予約しておきました。
特に予定は入れてなかったので、ゆっくり朝食へ。
その後、出国前に出来ていたカサブタが、歩いているうちに靴下にすれて剥がれちゃったのか、
傷が開いてきた!と家族が言うので、ホテルのトゥクトゥクに薬局まで連れて行ってもらうことに。
近くにあるかと思いきや、結構遠くまでやってきました。(^^;
でも、無事に消毒薬をゲット。
さて、これからどうしようかな。
せっかくのカンボジア。 ダラダラしていてももったいないので、
トゥクトゥクをチャーターして、まだ行っていない場所に少しお出かけすることに。
ホテルのコンシェルジュに行きたい場所を紙に書いて渡し、ホテル前のトゥクトゥクと交渉してもらいました。
スケジュールは、ホテル→「アキラの地雷博物館」→「キリング・フィールド」→ランチ→ホテル、
の行程で、20ドルとのことでした。
粘ればもう少し安くなったかもしれませんが、「地雷博物館」は中心街からちょっと遠いしね。
これで行ってもらうことにしました。 それでは出発!
「地雷博物館」までは、片道約45分。
アンコールワット遺跡を通り抜けて行くので、景色もサイコー!
でも、さすがに45分もトゥクトゥクに乗ってると疲れる…。(^^;
ようやく「アキラの地雷博物館」に到着。
この地雷博物館は、ポル・ポト時代クメール・ルージュによって両親を殺され、
その後、少年兵士として育てられ戦場に地雷を埋めるという作業を行っていたアキ・ラ氏が、
カンボジアが平和になった現在、地雷を埋めてきた事の償いとしてボランティアで地雷撤去を行い、
その地雷や兵器を展示している博物館です。
入場料5ドルを払って中へ。
池の中心にはこれまでアキ・ラ氏が撤去したという、地雷の山が。
まだまだカンボジアには地雷がたくさん埋まってるそうで、要請があればすぐに駆けつけるんだそう。
どこからか日本語が聞こえる?と行ってみると、むかし島田紳助が司会をしていた
「世界バリバリ バリュー」のビデオが流れていました。(右下)
「アキ・ラ氏」に密着した内容で、地雷撤去の様子なども取材されていました。
地雷の犠牲になった人達の写真や、当時の様子を描いた絵などの展示も。
地雷の他には、不発弾などの処理も行っているそう。
こんなのが落ちてくるなんて、戦争時代じゃない私には想像も出来ないなぁ。
コチラは義足の展示。
地雷を使うのは人を殺すためではなく、人に怪我を負わせることでその怪我人をかかえて運ぶ兵士2人を含め、
3人の兵力を失わせることが目的なんだそう。
手作り感満載な、当時の武器を展示したコーナー。
処理された武器等を使ったアート作品もありました。
入口近くにあったショップで、地雷の形をしたソープを購入。
アキ・ラ氏は地雷で両親や体の一部を失った子供たちの孤児院も設立しているらしく、
少ないながら、寄付もさせてもらいました。
博物館を後にし、次の場所へ向かいましょう。
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