GOKIGENRADIO

バーボングラス片手のロックな毎日

ホリエモンのくせに生意気だぞ

2016-04-23 21:02:21 | MUSIC/TV/MOVIE
堀江貴文氏。通称ホリエモン。
なぜこの人は嫌われるのだろう。いや、他の人がどうなのか知らんから、なぜこの人を俺は嫌いなんだろう。
今回の地震でホリエモンが自粛否定ツイートした際、俺は「今言うか」って速攻思った。サッカーの本田選手の自粛否定も同じようなもんなのだが、こちらはに「なぜ、本田まで言うのか」って思った。
似てるけどちょっと違う。
ホリエモンの発言は「あぁやっぱりこいつはわかってない」と思い、本田選手は「なぜあなたほどの人が今そんなことを言う」と思ったわけだ。
サッカーという、自分の力で活躍し世界を股にかけて活躍する人と、ITでお金儲けして、さらにそれを転がして儲けようとして失敗した人の差か?

多分、ホリエモンは同等もしくは下に見て、本田選手は上に見てるんだろうなぁ。
だから、「お前が言うな」とか「今言うことかよ」って上から目線で思ったのかもしれない。これが一般人のツイートだったら無視してたもん。別に上にも下にも見てないから。一般人のツイートに一般人がわざわざ反論入れたりして、炎上させたりするのは多分この「お前より俺の方が上だぞ」って暇人が思いたいがために、やってるんだと思ってる。もちろんこの「お前より俺の方が」は全く根拠のない思い込みなのだが。
で、本田選手に対しては下から目線で見てるから「あなたには言って欲しくなかった」って思ってるのかもしれない。

ホリエモンは、ITで億万長者になったところまではすごいなぁと思ってた(はず)。しかし、その後の選挙出馬~落選、ラジオ局買収計画~失敗、野球球団買取失敗、逮捕って経緯で、明らかに俺の中で「俺と同レベル」とか「俺より下」という箱の中に入れてるんだろう。
本田選手は、「異国で頑張ってるすごいサッカープレーヤー、W杯などでも日本代表だ」と思ってて、「俺なんかにはとても真似できません」と上の箱に入れてるんだろうなぁ。そして「1000万円寄付したって、有言実行、さすが!」って畏敬の目で見てるんだ。

ドラえもんで、ジャイアンがのび太に向かって「のび太のくせに生意気だぞ!」と怒るシーンがある。
多分これと一緒。「ホリエモンのくせに生意気だぞ」。そう思ってしまってるんだろう。
この「●●のくせに」という言葉が曲者。これこそレッテル張り。先入観と自己基準で決めた判断基準。この言葉がつけられたら、「明らかに自分の方が上」と思ってると考えて間違いない。

震災の応援コメントも、一般人は上から目線で攻撃する。
ホリエモンに限らず藤原紀香・ダレノガレ明美・紗栄子・西内まりあ・・・。震災の応援コメントで炎上したその裏には「タレントのくせに生意気だぞ」とか「モデル上がりのくせに」とか、明らかにタレントやモデルを下に見てる。そうでなければとても考えられない。彼女らは間違いなく成功者で知名度もある。だから一般人より上のはずなんだが、そうは見れていないんだろうなぁ。
これが平等教育の弊害か?年上であろうが、有名人であろうが、政治家であろうが、年配を敬う気持ちなどさらさらないゆとり世代には、仕方がない事のかもしれない。
それゆえに直感的に、明らかに上の人を見極めるのも早い。喧嘩を売ってはいけないところを見極めてる。
ベッキーや矢口真里の不倫はいつまでも責め立てられてるが、桂文枝、カールスモーキー石井、乙武、などはすぐ鎮火してる。
清原を恐る恐る責めてるのもそのせいで、桑田のコメントがいまいち納得いかないのも、桑田と清原は同等、さらにふらりとも上、に見てるからかもしれない。

ホリエモンが尾木ママや渡辺えりの反論に対し「アホか」とか上から目線で言うのも、彼ら彼女らを下に見てるからだろう。
でもこの発言にはなんとも感じないのは、同じく尾木ママが常に上から目線でコメントしたりするのを見て「あんた何様?」って思ってるからかもしれない。俺の中ではホリエモンも尾木ママも同じ箱に入ってるから。
渡辺えりは発言自体が間違っていたから。ホリエモンが自粛によってキャンセルされた番組はネットTVだ。スマホで希望者だけが見るテレビで、民放ではない。したがって「避難所で被災者はテレビのチャンネルを変えれない。だから今は自粛して」は、ちょっと的外れだ。それに「被災者の気持ちになって」というのも上から目線で嫌いだ。

東国原さんとホリエモンがTVで言い合いしてた。橋下氏を目の前にしてバトルになった発端は、橋下氏が市長を務めてた時代に維新がおこなった、二重行政賛否住民投票。これに維新がで僅差で負けたわけを、ホリエモンが戦い方が悪いと橋下氏に自論を述べた件。この件を、橋下氏の番組で東国原氏とホリエモンが再度討論。
これはどう考えても東国原氏に肩入れしまう。
東国原氏は一般選挙で当選して宮崎県知事、維新の党から出馬し比例当選で国会議員を務めた人。したがって明らかに関係者だ。
一方ホリエモンは選挙で落選して一度も議員経験がない人。はっきり言えば一般人だ。
この二人の討論はハナから勝負になるわけがないがホリエモンはムキになっていた。下に見られたくないんだろうねって必死。最後はガキの喧嘩よりひどい。ネットで炎上コメント入れてるやつにありがちな、ムキになる、アレヤコレヤと論理を言う、そのうち支離滅裂になる、暴言を吐く。全くそのままのパターン。

ホリエモンは住民投票で負けた理由を、当時橋下氏に「「大阪都構想は本を出していれば成功していたかもしれない」自論をぶつけた。高齢者層の不安が物色できなかったのが敗因という分析は正しい。しかし「だから費用を使って本を出さなかったから」と言割れてもなぁ。どこがどう繋がるのかよくわからんが、それに対し東国原氏が「仮に自費出版で1000円の本を約1億円掛けて出版するより、あの短期間の戦いでは、その費用をメディア媒体に使った方が明らかに効果は大きい」と反論。本を出すよりは住民に拡まる時間を考えメディア戦略をとったのは正しかった。
それでもムキになったホリエモンは「本出すのに時間はかからねぁよ」。理由は「だって売れるから」だってさ。なんじゃこの論理。
それにまだ反論ツイートしてくる東国原氏に対し「まだグダグダ言ってんですか笑。バラエティ番組の企画ごときに」って。

ここが、ホリエモンがヘタレだという証明でありネット炎上ユーザーと変わらん発言と行動なのだ。しかも今回の発言の矛盾する。
“当事者でもないのに”自分から“喧嘩を売る”ような持論をしておいて“旗色が悪くなったら”バカにしたような“上から目線”発言して逃げる。
ここがホリエモンが嫌いな理由だ。書いててわかった。

「東国原のくせに生意気だぞ」とか「元宮崎県知事のくせに生意気だぞ」も無理だ。「元維新の議員のくせに」も当てはまらない。せいぜい「俺より金を持ってないくせに」と思ってるんだろう。
対して「ホリエモンのくせに生意気だぞ」はなんかしっくり思ってしまう。多分「お前は自分の選挙で負けたくせに」とか「一度も議員やったことないくせに」も合う。「当事者や関係者でもないくせに」が一番しっくりくる。

それを今回持ち出してまた討論したんだが、今回も東国原氏の言い分の方が正しい。
ホリエモンの「バラエティ番組の企画ごとき」発言に対し、東国原氏は「『バラエティごときに』とか言ってるバカもいますが、彼等(番組出演者やスタッフ)は少なくとも、TVプログラムに命を賭けてる有志・勇士だと思います」と持論。
それに対し「てめーが勝手に絡んできたんだろ。番組の意図すらわかってねーくせによ笑」って。
ホリエモンよ、それは無茶苦茶な論理だぞ。お前は「番組の意図は二人が言い合ってる絵が欲しいのだ。わかってるかそれ?」とでも言いたいのか?

お前は出版業界の現状(本を出版するまでの時間と本屋に並ぶまでの時間、および購入されて読まれる時間)も知らずに、「本を出さなかったから」に対しての東国原氏の「本を出す時間と費用を考えたらメディア戦略で正解だった」発言にまた「本出すのに時間はかからねぁよ」って言ったくらいわかってないやつだ。
しかもその際「バラエティ番組の企画ごときに」って言ったんだよ。
「バラエティ番組の企画ごときのくせに生意気だぞ」は論理が無茶苦茶やろ。

しかも「てめー」って、お前は江戸っ子か。典型的ネット炎上民のこんな発言やコメントは無視するに限るが、東国原氏は無視できなかったんだろうな。
だけど「『てめー』って誰の事だ?」どうでもいいけど、てめー、言葉にはちょっと気を付けろや」と返したんは正解だけど間違い。この手の奴らは自分がバカにした発言するのはいいけど、自分が言われるとムキになるから。
案の定ホリエモンは「そっちが先に喧嘩売ってきたんですがね」って。
東国原氏が冷静だったら、文章の最後が半分敬語交じりになってるのに気付いたはずだ。この敬語交じりや丁寧語が出てきたら、「旗色が悪くなってるからこれ以上怒らさないでおこう」とちょっとヘタレ意識が出てきてる兆候なんだから。これが見えたら逃がさせてあげないと。追い詰めても逆ギレされるだけだし、逆上したら手に負えなくなるよ。
余裕のあるうちに逃がしてあげようよ。

ってやっぱり最後は上から目線になってしまったよ。





ゆとりですがなにか

2016-04-23 06:36:09 | MUSIC/TV/MOVIE
宮藤官九郎は天才だ。
クドカン脚本の日曜10時30分スタートの新ドラマ、ゆとりですがなにか。
お得意の笑いやコメディを最小限抑えた、「社会派ドラマです」と言ってただけあって、かなりリアルで面白い。
しかし面白いドラマだから視聴率が高いとは限らない。このドラマは絶対視聴率は悪いだろう。だってゆとり世代は、観ても面白くないドラマだろうから。

野心がない、向上心がない、競争意識がない、上を目指そうとかしない、頑張らない、協調性がない、反省しない
そんな彼ら彼女らは「ゆとり世代」と呼ばれる。

ゆとり世代とひとくくりにされて呼ばれることを、彼ら彼女らが嫌がるのも当たり前。この世代は「みんな違って当たり前」「一人一人の個性を大切に」と言われ、育てられ、教育されてきた世代。
「わたしはわたし、一緒にしないでくれ」「俺はあいつらとは違う」そう信じ込んでる世代。
「世界で一つだけの花」を聞いて「そう、俺たちは一つだけの花だ」「人と一緒でなくていい自分らしく生きるんだ」と勘違いしてしまった世代。

2002年に行われた教育改正。授業内容は簡単になり授業数は削減され、週5日制で少人数学級。先生は暴力は振るわず優しく友達感覚。
親に大事に育てられ、最初からその教育を受けた、1987年生まれのゆとり世代は言う。「わたしらが悪いんですか?」
君たちは悪くないよ。
悪いとすれば、それを決めた政府と教育委員会と学校、そしてそれを喜んだ親と、助長して煽ったマスコミが悪いんだよ。
社会に出れば苦労するなんて気づかなかったんだろ?誰も言ってくれなかったんだろ?仕方がないね。

終戦後、誰もが学校で勉強できるようになった。今までの軍隊みたいな規律教育が徐々になくなってきた頃に第一次baby boom。
その第一次ベビーブームの子供が学生の頃、民主主義教育が活発になる。それまでの軍隊式規律教育で育った親は子供の教育は学校任せになった。
朝鮮戦争、ベトナム戦争があり、日米安保で学生はゲバ棒持ってデモに参加し、学校と対立、警察と衝突、安田講堂事件などで終焉を迎えるまで続いた。でもに参加しない学生はヒッピーに憧れた。
この世代の彼らは、結局は髪を切り就職して背広を着て、家庭も顧みずバリバリ働いて日本の高度経済成長を担った。
エコノミックアニマルと言われようが頑張って働いて、ウサギ小屋と笑われようが家を建て、ローンも払い終わった彼らは今、会社の幹部だったり年金生活を楽しんでたりしてます。今の60-70代です。

第一次ベビーブーマーの民主主義教育はその後のデモ活動に繋がった反省と、いい大学を出ていい会社に入ったヤツが、結局おいしい思いをしてる資本主義経済を認識し、第二次ベビーブームの子供らの教育からは偏差値教育になった。
いい学校に入るため、いい大学に入るため、いい会社に入るため。塾へ行きなさい、勉強しなさい、先生の言うことを聞きなさい、親の言うこと聞きなさい。
詰め込み教育と反抗させないための規則でがんじがらめ。偏差値教育から脱落したものは「落ちこぼれ」と呼ばれた。校内暴力と受験戦争の時代ですね。

しかし真面目に勉強して、親の言うことに逆らわず、いい会社に入った者には「バブル」というプレゼントが待っていた。
GNPは世界一位。会社はどんどん事業拡張し新しい支店も部署も増えた。新入社員が足りないから内定はじゃんじゃんもらえる。
会社に入れば、学校と同じく縦社会、年功序列、絶対服従だが、給料はいい、ボーナスも出る。
礼儀は親に叩き込まれたから、気に入られた上司のお供で接待にも行く。経費をふんだんに使えるから赤坂の料亭で接待、上司の命令でいろんな雑用しても我慢。終われば
ディスコやプールバーで遊ぼう。カタカナの肩書き職業もどんどん増えていく。出世よりおしゃれでトレンディな今の生活を楽しみたい。
OLは将来性と安定、いい給与を稼ぐ旦那を見つける為にコンパ三昧。男友達とシャンパンを飲むのは夜景の見えるラウンジ、支払いはもちろん男。
結婚までの腰掛けと言われても、今日も定時で上がります。残業はしません。週末はグアム、来週は有給とってハワイ、夏休みはパリに行きます。

そんな彼女や彼らことを世間では「バブル入社組」とか「新人類」と言います。
三高の男を見つけてさっさと寿退社したOLは勝ち組と呼ばれ、今のゆとり世代の親です。今45-60歳くらいの人です。
バブルがあっけなく崩壊した後も、転職ブームでヘッドハンティングされるのは、仕事を頑張ってた人。男女均等雇用法のおかげで女性でも営業職や管理職になれます。買ったマンションや株が一気に暴落して、いまもローン返すためにバリバリ働いてる人もいます。口癖は「あの頃はよかった」

阪神大震災とともに消滅したバブル。もちろん役所や教育委員会もバブル世代、新人類。
何を考えたかその後の世代の教育を、今までの偏差値教育をやめ、どんどん緩やかにして行きます。
休日を増やして、土曜日を休みにして、授業時間を減らして、
詰め込まない、叱らない、無理させない、頑張らせない、順位を作らない、努力させない、暴力で指導はさせない、一人一人の個性を大切にした教育。
運動会で一等賞はなくなり、競争させない。学芸会で白雪姫が小人と同じく7人いてもいいよ平等に機会が与えられないと不公平だから。
親は学校に口を出しモンスターペアレンツと言われ始める。家では指導も躾もされない。勉強しろとかも言わない。ご飯も一緒に食べない。個人主義時代。

そうこれがゆとり世代の前の世代、今の30-45歳くらいの人です。

そして2013年頃まで続くゆとり教育。そこで初めて「このままではいけない」とまたもや方向転換をします。
ゆとりさん、残念ですね。騙されましたね。社会ではゆとりは通用しないのです。
実社会は競争社会です。バブル崩壊後就職氷河期と呼ばれますが、いい学校を出ればいい会社に入れます。
社会の仕組みをわかってた親は、我が子のゆとり教育を拒否して、私立で競争させていい学校、いい会社に入れてます。
敬語や丁寧語、言葉使い、礼儀、努力ができる彼ら彼女らは、頑張ることが苦痛でないから、どんどん出世していきます。

頑張れって言われれば苦痛。努力なんて暑苦しい。自分が大事だから無理はしません。仕事は言ってくれればしますよ。教えてもらってないことはできませんけどね。最初に言ってくれておいたら俺もちゃんとしましたよ。その時が来たらやりますよ。今は本気を出してないだけです。説教はごめんです。
なんかなぁ、頑張るとか目標に向かってとか、そういうのって自分には無理っす。
もっとでかい仕事任せてくださいよ。俺、結構できる系?ってよく言われます。
でも、責任もたされるのはちょっと勘弁。社畜にはなりたくないし。それに役職とかになったら、自分の時間なくなるじゃないですか。
この仕事は、ちょっと自分の生き方と違うかなと思うんで、いつ辞めてもいいかなって思ってます。
飲みに行ってコミニュケーションって昭和っすね。今はツイッターで発信してラインで交流っすよ。フォロワー数、ほらっ結構多いっしょ。

ごめんね、ゆとり世代。
頑張らないと出世しないんですよ、此の国は。
いくら自分のポリシーを語っても、認めてもらえるのは結果を出せた人だけなんですよ。

ギャップ萌え狙い?大野智の新ドラマ

2016-04-23 03:15:40 | MUSIC/TV/MOVIE
嵐の大野智くん主演ドラマ、世界一難しい恋。
こちらも松潤の99.9と同じく、コミカルタッチで笑いながら安心して観れるドラマだ。先日2話目も観れた。
※いつものごとく、これから先は一部ネタバレになるので、まだ録画を見てない人とかオンデマンドで観ようって人は読んではいけません。

主人公大野君はホテルのオーナーで、気むづかしく曲がった事が嫌い、自分の求める基準に達さない社員は遠慮なく首をきる。
中途採用の波留に一目惚れしたが、気質が災いしてうまくコミニュケーションが取れない。秘書の小池栄子に恋愛指導してもらい悪戦苦闘・・・って内容のドラマ。
この大野くんが波留に気に入られるため、アレヤコレヤと今までと違った行動をするギャップが楽しい。

このギャップというのが日本人は好きよね。
ヤンキーが雨の中、捨てられてる子犬に自分の傘をあげて、自分は濡れてダッシュで去る。
メガネをかけて髪をひっつめてた委員長が、髪を下ろしてメガネを取ったら可愛かった。
漫画やドラマで散々使われてきた手法。王道とか定番と言ってもいい。

基本的にギャップは、下から上じゃないとダメだ。それも中途半端ではダメだ。ヒエラルキーのかなり下からかなり上まで行かないとギャップとは言わない。
ヤクザをやめて弁護士になったなら「すごい!」と賞賛されるが、商社を辞めたサラリーマンが弁護士になっても「ヘェ~」くらいなもんだ。
偏差値学年最低のビリギャルが慶応大学に入るから驚かれるんであって、有名私立校から慶応大学に入っても「ふーん」ってなもんだ。
結果は同じでも不思議なもんで、努力の振り幅が広ければ広いと思われるほどギャップが生まれる。
ヤンキーが犬を助けるからギャップであって、普通の学生とかスポーツマンではギャップを感じない。

だけど逆パターンダメだ。
検事をやめてヤクザになったら「堕ちた」って言われるだけだ。
無遅刻無欠勤のサラリーマンが会社の金を横領してた「なんで?」って言われるだけだ。
ヤンキーが犬を救うから、いいギャップを感じるのであって、普段は真面目な優等生が犬をいじるという逆パターンのギャップは狂気を感じてしまう。(だから実際の事件でも報道は「普段目立たない大人しい子でした」「なんであの人が」と言ってくれる知人の声を欲しがるのさ)
逆ギャップはダメだ。

そしてが更に上のギャップ萌えになる為には、「たまたまだ」という偶然性、「今回は特別」といった言い訳や下手な嘘があると良い。そして「誰にも言うなよ」と秘密性があるとなお良い。そして目撃者が必要だ。ここも大事だ。これらが揃うとギャップ萌えはさらにレベルアップする。

ヤンキーが捨て犬に傘をあげたのは、“たまたま”通りかかって“気まぐれ”でやった行為でなくてはいけない。そしてそれを目撃するのはヤンキー仲間とかただのクラスメートではダメだ。クラス委員長とか生徒会役員とか真面目な子とかの方がいい。
誰も見てなかった、では全く話にならない。ヤンキー仲間に見られた、では「ヘェ~あいつがねぇ」くらいで終わってしまう。不良の対極にいる優等生の方がいい。
そして委員長の「優しいんだね」の言葉に、ヤンキーはまず「見てたのか。誰にも言うなよ」と返さなければいけない。
そして「犬が好きなの?」の問いには「バカ言え!たまたま通りかかっただけだよ」とか「雨はやみそうだったから傘が邪魔だったんだ」と下手な嘘や言い訳で返さなければいけない。
「弱い子犬は見逃せないからな」ってのなら、普通のいい人、「たまたま」とか「気まぐれ」がなかったりすると「普段からいい人なんだ」になってしまう。ましてやそのヤンキーが、家で犬を5匹も飼ってたり、親がブリーダーとかトリマーだったら、ギャップ云々より全然違う話になってしまう。
そして「絶対誰にも言うなよ」と釘を刺しといておかないといけない。言いふらされたらカッコ悪いし、ヤンキーとしての威厳がなくなる。そして二人だけの秘密ということによる親密性。

これらギャップ萌えはいろんなパターンで使える。
真面目で気弱な男の子が、たまたま街で不良に絡まれてるクラスメート(できれば委員長)を見かけ、助けるため喧嘩をするパターン。
普段は面倒くさがりでだるそうにしてる奴が、幼なじみの笑顔を取り戻すためにまたギターを弾くというパターン。(ギターは部室に偶然あり、今回だけだぞのパターン)

脱線が長引いたが、大野くんのドラマに話を戻そう。

大野くんの「世界一難しい恋」は、このギャップ萌えを王道で随所に使ってる。
普段は気むづかしく堅物で人の意見など聞かない独裁社長が、秘書小池栄子の意見や指摘を聞いて、波留に気に入られるためこれらを「わざと」やろうとする。
第1話で、大野が「牛乳なんておいしくない」と言った時、波留が「風呂上がりには牛乳、飲めば元気が出ます」と言ってたのを思い出し、落ち込んでる波留を元気づけようと“たまたま”置いてあった牛乳を飲んだ。
社員の朝の挨拶に挨拶を返すようになる。「挨拶されたら挨拶を返すのは当然だ」と嘯く。意見を聞いてくれるようになる。食事を一緒に食べようとする。
今までの社長の行動とは違うギャップに戸惑う社員の慌てぶり。必死に頑張る大野くん。波留は以前をよく知らないからか、基本スルーしてる。大野くんのギャップ演出に気がつかないっていうのもまたギャップだね。

そして2話目では王道の捨て犬を拾うパターンが登場。
拾う、飼う。世話をする。散歩をする。でも気がついてくれない。この思惑違いがまたいいね。
休日出勤の波留と偶然会えて(待ち伏せしてた)せっかく「名前を一緒に考えてくれ。ただし誰にも言うな。極秘プロジェクトだ。」ってなったのに、飼い主が見つかり取り戻されておじゃん。ちょっと残念。

次はどんな手を見せてくれるのかな。来週も楽しみだ。

余談だがこの犬、飼い主からはぐれたんだったっけ?子供が騒いで大野くんが見つけた時は、段ボールに捨てられてなかったか?大野くんがはぐれ犬を見つけて、この演出のためにホテル横のダンボール箱に入れ、捨て犬に見えるように置いてたのか?ここだけはよくわからんかった。