GOKIGENRADIO

バーボングラス片手のロックな毎日

ウカールとキットカット

2016-12-13 22:58:57 | Talk is Cheap
カールの受験生応援版「ウ・カール」

キットカットは「きっと勝つと」(なぜか九州弁)

トッポ(TOPPO)なんてトッパをもじってトッパ(TOPPA)

なんなんだ、このダジャレのような商品名は。これらの商品はもう毎年恒例なのだが、大事な受験シーズンを控えた受験生がこのお菓子を食べて喜ぶのか?ナーバスになってる子供に息抜きさせてあげようと親が買うのか?だいたい、いい大人が企画会議で「これで受験生や親の購買意識を上げよう」なんて真剣にかたってたりするのかと想像すると、ちょっと不気味なのだが。

関西圏ではダジャレを言う人は嫌われる。
関西においてはたまたま会話で偶然ダジャレのようになった時に「今のってダジャレのつもり?」ってネタを振られてボケたり突っ込んだりするためのものであって、ダジャレそのもので笑いを取れるものではない。よほど深夜のナチュラルハイになっている時か、酔っ払ってる時の愛想笑いなら別だが、ダジャレで笑わそうとしても無理だ。もしあなたがダジャレを言って誰も笑わなかったとしても、それはユーモアが理解できないのではなく「ダジャレで笑わそうなんて、レベル低!」とか「だから何?オチは?」っと思われてるだけなのだ。あなたが関西圏以外の人なら、ダジャレを言うたびになぜか寒い目で見られたり、「あぁまた言ってるな」くらいの扱いを受けること間違いなしなので気をつけてくれ。

したがって関西圏ではラップミュージックがあまり流行らない。
いくら韻を踏んでリリックだ、ライムだってカタカナで言ったところで所詮はダジャレと変わらない。「マッチが街でマッチ売りの少女にマッチョと間違われた」くらいのレベルだ。「坊主が屏風に上手に絵を描いた」とか「東京特許許可局の局長、今日京都から帰京せず」などの早口言葉と変わらない。ラップバトルにしても、そこら辺で日常茶飯事で行われてるおばちゃんのマシンガントークの応酬に比べりゃチャチイもんだ。「Yo!」のところを「Yan!」にしてくれて構わないくらいだ。帽子まっすぐかぶり!とかズボンちゃんと履き!と叱られるかもしれないが。
しかも関西の会話はどんだけ怒っていようと、それが政治の批判やただのご近所噂話であろうとも、最後には必ずオチがある。この言葉の文化圏でダジャレ程度で笑わそうなんて無茶もいいところだ。したがってJRのICOCAはちょっと笑えない。「ほな行こか」って関西弁でダジャレ語呂合わせにしたんだろうが、これはちょっと安直すぎる。

それでも日本人はダジャレ好きだ。特におっさんになればなるほどダジャレを言う。本人もウケようと思ってないのかもしれないが、とにかくダジャレを言おうとする。
これは多分、語呂合わせの文化のせいかもしれない。

語呂合わせとダジャレとは違うのかもしれないが、本質は一緒だと思う。
710年に平城京ができたのをなんと綺麗な平城京と覚え、794年に平安京ができたのは鳴くよウグイス平安京と覚える。いったい誰が言い出したのかわからないが、とにかく年号は語呂合わせで覚える。いい国つくりをしたかどうか不明だが、1192年の語呂合わせで覚えた鎌倉幕府設立。最近では1192年じゃなかったとか言い出して変えられたみたいだが、これを超える語呂合わせができないからか浸透しない。
化学記号(元素記号?)も水兵リーベ僕の船(H,He,Li,Be・・・)と覚える。
数学のルートも「富士山麓にオウム鳴く」とか「一夜一夜に人見頃」と呪文のような語呂合わせで覚える。世の中には円周率を覚えたりじゅげむを覚えたりする人がいるのだから、語呂合わせじゃなくても覚えられるとは思うんだが、なぜか語呂合わせで覚えようとさせる。

語呂合わせの文化。これは今に始まったことじゃない。
戦国時代にも合戦前には鮑・栗・昆布で「打ち(あわび)、勝ち(栗)、喜ぶ(昆布)」の料理を出したらしい。おせち料理だってよく似たようなもんだ。
だいたい言葉を操る作家の名前でさえダジャレみたいな語呂合わせの人が多い。
江戸川乱歩(メガネかけた少年探偵じゃないよ)もエドガー・ア・ランポーのもじりだし、半村良もイーデスハンソンのダジャレみたいなもんだ。ギャンブル作家の阿佐田哲也も「朝だ、徹夜だ」かららしいし、漫画家の大暮維人も「オー!グレイト」だ。柴門ふみもポール・サイモンからだったかな。

携帯電話やスマホの普及で電話番号を語呂合わせで覚えなくなった。だから最近は誰の電話番号も覚えちゃいないが昔、語呂合わせで覚えた電話番号は未だに覚えてるのにね。年号や元素記号も未だ覚えてるからなぁ。
ダジャレや語呂合わせは日本人のDNAに含まれてるのかな。