(前編からの続き)
では、父権社会が成立するための基盤は何か。
日本は、大昔からずーっと男尊女卑だった、という指摘があるが、これは誤りで、実際は歴史の中で、父権的だった時代もあれば、母権的な時代もあったらしい。
次に引用するのは、史上初のSF小説と呼ばれる、1818年に発表された『フランケンシュタイン』の作者、メアリー・シェリーに関する記述である。
近代科学において、人間が理性の力で自然環境を制御することは、男性が女性を無理やり性的に屈伏させるというイメージで頻繁にとらえられてきたのだった。『フランケンシュタイン』の作品解説によれば、ハンフリー・デイヴィー[引用者注・メアリー・シェリーと親交があった化学者]は化学の未来を展望してこう語ったそうである――「(元素の化合をめぐる)神秘的で精妙な過程はベールで隠されている。われわれはそのスカートをめくりあげただけにすぎず、肝心の光景はいまだ目にしていない」
(中略)
しかし彼女[メアリー]は、周囲の進歩主義者たちの言動から、理性と科学を賛美する姿勢の背後に「自然=女性への凌辱志向」が存在すること、また世界を犯して支配したがる点で、進歩主義は破壊的な性格を秘めていることを察知したのであろう。[夫の]パーシーと[その友人の]パイロン卿が長時間にわたって議論を交わす際、彼女はいつも熱心に耳を傾けた一方、会話に加わることはほとんどなかったというが、それはあながち遠慮のせいばかりではあるまい。推測するに彼女は、進歩主義の理想に頭では共感しつつも、この理念が自分の「肌」(=身体ないし生理)に文字通り合わないと感じて口をつぐんでいたのだ。
(佐藤建志『未来喪失』東洋経済新報社)
近代科学が、斯様な性格を秘めていたとするならば、その近代科学に裏打ちされた、「進歩主義」を旨とする近代という時代そのものが、多分に父権的であった、ということだろう。
であれば、どこの国であっても、どの文明圏に属していようとも、近代化を迎えた時点で、その社会は少なからず父権化することになる。
むろん日本も例外ではなかった。
しかるに今、近代という時代も、進歩主義という思想も、行き詰まりを見せている。
高度資本主義による環境破壊と資源の枯渇、グローバルスタンダードによる文化・文明の消失、一部の人間が資本を独占することによる富の偏在、等々。かつて、明日は今日よりも良くなる、と信じられていた進歩主義の理念は、ほとんどの人にとって疑わしいものとなってしまった。
かかる時代の変化によって、何が生じるか。
それは、ファルスの失墜、ないしは無効化である。ファルス自体が効力を失うか、さもなくば、それを羨んだり嫌ったりする人(主に女性)が少なくなるわけだ。
最近「〇〇女子」という言葉をよく聞くが、その中の一つに「爬虫類女子」がある。蛇を含めた爬虫類を怖がることなく、むしろ可愛がって、鑑賞したりペットにしたりする女性のことを指す。この爬虫類女子がどれくらいいるのかは定かではないのだが、このようなムーブメントの発生が、ファルスに対する嫌悪が薄れつつある流れに影響を受けているのではないだろうか。
この「〇〇女子」なる括り、代表的なところでは「カープ女子」や「プロレス女子」なんかがあるわけだが、そもそもこの括り自体に、「これまで女性が愛好してこなかったものを趣味としている」という含意がある。だから、「〇〇女子」の〇〇に代入される事物は、多かれ少なかれファルス的要素を孕んでいるはずである(なので、「お料理女子」とか「生け花女子」などとは言わない)。
ついでに言うと、「イクメン」や「お弁当男子」は、「〇〇女子」の裏面の現象だと思う。だとすると、女性は若い世代ほど蛇が平気で、逆に男は若い世代ほど蛇が苦手であるかもしれない。
小生の母と祖母は、共に男尊女卑の顕著な時代に生を受けている。対して「爬虫類女子」は、父権社会が失墜しつつある時代に現れた。
ファルスを通して考えると、女性の蛇嫌いは一応理論的な説明がつく。でも、ちょっとわかりやすすぎるというか、平明すぎて、逆に理論の正しさが不安になる。
何より、母と祖母と「爬虫類女子」だけでは、サンプルが少なすぎる。「女性の全世代を対象とした蛇好感度アンケート」でもあればいいんだけどな。
小生の、蛇に関する探究は、まだまだ続く。
オススメ関連本・石田浩之『負のラカン――精神分析と能記の存在論』誠信書房
では、父権社会が成立するための基盤は何か。
日本は、大昔からずーっと男尊女卑だった、という指摘があるが、これは誤りで、実際は歴史の中で、父権的だった時代もあれば、母権的な時代もあったらしい。
次に引用するのは、史上初のSF小説と呼ばれる、1818年に発表された『フランケンシュタイン』の作者、メアリー・シェリーに関する記述である。
近代科学において、人間が理性の力で自然環境を制御することは、男性が女性を無理やり性的に屈伏させるというイメージで頻繁にとらえられてきたのだった。『フランケンシュタイン』の作品解説によれば、ハンフリー・デイヴィー[引用者注・メアリー・シェリーと親交があった化学者]は化学の未来を展望してこう語ったそうである――「(元素の化合をめぐる)神秘的で精妙な過程はベールで隠されている。われわれはそのスカートをめくりあげただけにすぎず、肝心の光景はいまだ目にしていない」
(中略)
しかし彼女[メアリー]は、周囲の進歩主義者たちの言動から、理性と科学を賛美する姿勢の背後に「自然=女性への凌辱志向」が存在すること、また世界を犯して支配したがる点で、進歩主義は破壊的な性格を秘めていることを察知したのであろう。[夫の]パーシーと[その友人の]パイロン卿が長時間にわたって議論を交わす際、彼女はいつも熱心に耳を傾けた一方、会話に加わることはほとんどなかったというが、それはあながち遠慮のせいばかりではあるまい。推測するに彼女は、進歩主義の理想に頭では共感しつつも、この理念が自分の「肌」(=身体ないし生理)に文字通り合わないと感じて口をつぐんでいたのだ。
(佐藤建志『未来喪失』東洋経済新報社)
近代科学が、斯様な性格を秘めていたとするならば、その近代科学に裏打ちされた、「進歩主義」を旨とする近代という時代そのものが、多分に父権的であった、ということだろう。
であれば、どこの国であっても、どの文明圏に属していようとも、近代化を迎えた時点で、その社会は少なからず父権化することになる。
むろん日本も例外ではなかった。
しかるに今、近代という時代も、進歩主義という思想も、行き詰まりを見せている。
高度資本主義による環境破壊と資源の枯渇、グローバルスタンダードによる文化・文明の消失、一部の人間が資本を独占することによる富の偏在、等々。かつて、明日は今日よりも良くなる、と信じられていた進歩主義の理念は、ほとんどの人にとって疑わしいものとなってしまった。
かかる時代の変化によって、何が生じるか。
それは、ファルスの失墜、ないしは無効化である。ファルス自体が効力を失うか、さもなくば、それを羨んだり嫌ったりする人(主に女性)が少なくなるわけだ。
最近「〇〇女子」という言葉をよく聞くが、その中の一つに「爬虫類女子」がある。蛇を含めた爬虫類を怖がることなく、むしろ可愛がって、鑑賞したりペットにしたりする女性のことを指す。この爬虫類女子がどれくらいいるのかは定かではないのだが、このようなムーブメントの発生が、ファルスに対する嫌悪が薄れつつある流れに影響を受けているのではないだろうか。
この「〇〇女子」なる括り、代表的なところでは「カープ女子」や「プロレス女子」なんかがあるわけだが、そもそもこの括り自体に、「これまで女性が愛好してこなかったものを趣味としている」という含意がある。だから、「〇〇女子」の〇〇に代入される事物は、多かれ少なかれファルス的要素を孕んでいるはずである(なので、「お料理女子」とか「生け花女子」などとは言わない)。
ついでに言うと、「イクメン」や「お弁当男子」は、「〇〇女子」の裏面の現象だと思う。だとすると、女性は若い世代ほど蛇が平気で、逆に男は若い世代ほど蛇が苦手であるかもしれない。
小生の母と祖母は、共に男尊女卑の顕著な時代に生を受けている。対して「爬虫類女子」は、父権社会が失墜しつつある時代に現れた。
ファルスを通して考えると、女性の蛇嫌いは一応理論的な説明がつく。でも、ちょっとわかりやすすぎるというか、平明すぎて、逆に理論の正しさが不安になる。
何より、母と祖母と「爬虫類女子」だけでは、サンプルが少なすぎる。「女性の全世代を対象とした蛇好感度アンケート」でもあればいいんだけどな。
小生の、蛇に関する探究は、まだまだ続く。
オススメ関連本・石田浩之『負のラカン――精神分析と能記の存在論』誠信書房