今日は春を感じる大きな根っこです。
うまい棒の会社。漬物も作ってるんですね。
前回の東京オリンピック、ロシアが国としての参加を認められませんでしたね。ロシアのスポーツ選手が国家ぐるみでの集団ドーピングを行っていたとして、ロシア国選手としてのオリンピック参加を認められず、ロシアオリンピック委員会(ROC)所属での出場になったのです。形としては、ほぼ個人参加と言っていいでしょう。
ドーピングの真偽やその当否、そしてロシアに対する処罰の是非や軽重といった議論が当然あるわけですが、それは置いといて、僕はこの個人参加ってけっこういいことなんじゃないかって思うんですよね。ロシアだけでなく、すべての国のすべての選手を個人参加にしてはどうか、と思うのです。
それというのも、国を代表することの弊害があまりにも大きすぎると思うからです。
オリンピックは、国威発揚の場になります。国民は自国の選手の勝利に歓喜する。それによって、国民の意識統合がはかれるし、経済効果も大きい。だから国は、選手の勝利を強く願う。
それが行き過ぎるとドーピングしてでも勝て、ということになるわけです。今回のロシアのような悲劇になる。もちろんロシア国家じゃなくてロシア国民に同情してるんですよ。
「国を背負う」ことで実力以上の力が生まれることもまた事実。国民の歓声に後押しされ、自分史上最高の結果が出せた、という選手は少なくないでしょう。
しかし、弊害もある。そして現在では、むしろ弊害のほうが大きくなってしまっているような気がするのです。
日本ではよく、有力選手を「金メダル候補」とか「メダル確定」とか、大会前からすでに勝利が決定づけられたかのような言い方をします。そして、その選手がメダルを逃すと、あらん限りの罵倒でもって迎える。
今はそれほどでもありませんが、ひと昔前までは、メダルを獲れなかった有力選手に対する中傷が酷かった。オリンピック前までの親しい態度が嘘であるかのような、極端な手のひら返しをもって選手の帰国を迎えたのです。それは実に醜いものでした。
僕は、バカじゃなかろうかと思っていました。100パーセントメダルが獲れるのであれば、それは公正なスポーツではありません。八百長です。
スポーツは、勝つか負けるかわからないものです。実力差はあるにせよ、やってみないとわからない。勝負に絶対はないのです。それがスポーツです。
実力者が油断や作戦ミスによって負けることもあれば、格下に見られていた選手がアップセットを起こすこともある。そういうことがつねに起こりえるのです。言い換えれば、それこそがスポーツの醍醐味のはずです。
そんなこともわからない人が、「勝って当然」などと安易に断定し、負けた選手を痛罵する。一体何を考えているのでしょう。自分が観ているのはスポーツだということがわからないのでしょうか。
勝つか負けるかわからないからこそスポーツ観戦はドキドキします。そのドキドキが面白さであるはずです。もしスポーツではなく八百長を観ているのだとすれば、結果はあらかじめわかっているのだから、ちっともドキドキせず、楽しめないはずです。
「金メダルを獲って当然」などと決めつけている人は、そんなつまらないものを観たいのでしょうか。手に汗握るスポーツ観戦をしたいのではなく、感情がまったく動かない八百長観戦をしたいのでしょうか。
このように考えれば、「勝って当然」という言い分がいかにバカげているかわかるはずです。
しかし残念なことに、この程度の簡単な理屈すら理解できない人が大勢います。彼らはこれからも、メダルを逃した有力選手に中傷を繰り返すでしょう。
だからすべての選手を個人参加にしてはどうか、と思うのです。
個人参加にすれば、国を背負わずにすみます。それによって失われるものもあるでしょうが、様々なプレッシャーから逃れることができる。
メダルを獲れなかった時の誹謗中傷も、なくなりはしないでしょうが、減らすことはできる。何か言われたとしても、「僕、日本背負ってないんで」ってかわすことができます。
国が選手にドーピングを強いることも、「負けたら帰国後強制収容所送り」みたいなこともなくなるはずです。国を背負うことの理不尽さ、問題点から逃れられる。
国を背負わないと実力以上の力が出せなくなるのではないか、と思われるかもしれませんが、個人参加だからといって、何も背負っていないわけではありません。選手は、「チーム」を背負っています。選手の周囲には、コーチやトレーナー、栄養士など、身の回りの世話をしてくれる人が何人もいます。選手によっては、弁護士や税理士やスポンサー、それに白木善次郎が派遣した取り巻きなんかも抱えているでしょうか。
それがチームです。選手はチームを背負うことで、実力以上の力を出すことができるでしょう。
もちろん、必ずしも個人参加はいいことばかりとは限りません。個人参加にも、長所と短所、両方あるはずです。しかし一度全員個人参加にしてみれば、国の代表になるのと個人参加と、それぞれの長所と短所がはっきりするでしょう。
だから、「これからずっと」ではなく、「試しに一度だけ」全員個人参加にしてみるのはどうでしょうか。そのうえで、どちらが選手にとって望ましいかを比較検討すればいいのです。
僕は、選手にとっては個人参加のほうが利点が多いと思います。何せ今のオリンピック、利権が肥大しすぎてますから。
うまい棒の会社。漬物も作ってるんですね。
前回の東京オリンピック、ロシアが国としての参加を認められませんでしたね。ロシアのスポーツ選手が国家ぐるみでの集団ドーピングを行っていたとして、ロシア国選手としてのオリンピック参加を認められず、ロシアオリンピック委員会(ROC)所属での出場になったのです。形としては、ほぼ個人参加と言っていいでしょう。
ドーピングの真偽やその当否、そしてロシアに対する処罰の是非や軽重といった議論が当然あるわけですが、それは置いといて、僕はこの個人参加ってけっこういいことなんじゃないかって思うんですよね。ロシアだけでなく、すべての国のすべての選手を個人参加にしてはどうか、と思うのです。
それというのも、国を代表することの弊害があまりにも大きすぎると思うからです。
オリンピックは、国威発揚の場になります。国民は自国の選手の勝利に歓喜する。それによって、国民の意識統合がはかれるし、経済効果も大きい。だから国は、選手の勝利を強く願う。
それが行き過ぎるとドーピングしてでも勝て、ということになるわけです。今回のロシアのような悲劇になる。もちろんロシア国家じゃなくてロシア国民に同情してるんですよ。
「国を背負う」ことで実力以上の力が生まれることもまた事実。国民の歓声に後押しされ、自分史上最高の結果が出せた、という選手は少なくないでしょう。
しかし、弊害もある。そして現在では、むしろ弊害のほうが大きくなってしまっているような気がするのです。
日本ではよく、有力選手を「金メダル候補」とか「メダル確定」とか、大会前からすでに勝利が決定づけられたかのような言い方をします。そして、その選手がメダルを逃すと、あらん限りの罵倒でもって迎える。
今はそれほどでもありませんが、ひと昔前までは、メダルを獲れなかった有力選手に対する中傷が酷かった。オリンピック前までの親しい態度が嘘であるかのような、極端な手のひら返しをもって選手の帰国を迎えたのです。それは実に醜いものでした。
僕は、バカじゃなかろうかと思っていました。100パーセントメダルが獲れるのであれば、それは公正なスポーツではありません。八百長です。
スポーツは、勝つか負けるかわからないものです。実力差はあるにせよ、やってみないとわからない。勝負に絶対はないのです。それがスポーツです。
実力者が油断や作戦ミスによって負けることもあれば、格下に見られていた選手がアップセットを起こすこともある。そういうことがつねに起こりえるのです。言い換えれば、それこそがスポーツの醍醐味のはずです。
そんなこともわからない人が、「勝って当然」などと安易に断定し、負けた選手を痛罵する。一体何を考えているのでしょう。自分が観ているのはスポーツだということがわからないのでしょうか。
勝つか負けるかわからないからこそスポーツ観戦はドキドキします。そのドキドキが面白さであるはずです。もしスポーツではなく八百長を観ているのだとすれば、結果はあらかじめわかっているのだから、ちっともドキドキせず、楽しめないはずです。
「金メダルを獲って当然」などと決めつけている人は、そんなつまらないものを観たいのでしょうか。手に汗握るスポーツ観戦をしたいのではなく、感情がまったく動かない八百長観戦をしたいのでしょうか。
このように考えれば、「勝って当然」という言い分がいかにバカげているかわかるはずです。
しかし残念なことに、この程度の簡単な理屈すら理解できない人が大勢います。彼らはこれからも、メダルを逃した有力選手に中傷を繰り返すでしょう。
だからすべての選手を個人参加にしてはどうか、と思うのです。
個人参加にすれば、国を背負わずにすみます。それによって失われるものもあるでしょうが、様々なプレッシャーから逃れることができる。
メダルを獲れなかった時の誹謗中傷も、なくなりはしないでしょうが、減らすことはできる。何か言われたとしても、「僕、日本背負ってないんで」ってかわすことができます。
国が選手にドーピングを強いることも、「負けたら帰国後強制収容所送り」みたいなこともなくなるはずです。国を背負うことの理不尽さ、問題点から逃れられる。
国を背負わないと実力以上の力が出せなくなるのではないか、と思われるかもしれませんが、個人参加だからといって、何も背負っていないわけではありません。選手は、「チーム」を背負っています。選手の周囲には、コーチやトレーナー、栄養士など、身の回りの世話をしてくれる人が何人もいます。選手によっては、弁護士や税理士やスポンサー、それに白木善次郎が派遣した取り巻きなんかも抱えているでしょうか。
それがチームです。選手はチームを背負うことで、実力以上の力を出すことができるでしょう。
もちろん、必ずしも個人参加はいいことばかりとは限りません。個人参加にも、長所と短所、両方あるはずです。しかし一度全員個人参加にしてみれば、国の代表になるのと個人参加と、それぞれの長所と短所がはっきりするでしょう。
だから、「これからずっと」ではなく、「試しに一度だけ」全員個人参加にしてみるのはどうでしょうか。そのうえで、どちらが選手にとって望ましいかを比較検討すればいいのです。
僕は、選手にとっては個人参加のほうが利点が多いと思います。何せ今のオリンピック、利権が肥大しすぎてますから。
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