徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

ブルボン ホワイトロリータ

2022-09-23 22:10:02 | 
今日は白い幼女です。




特定の性癖を有する人は口にするのを躊躇してしまうでしょう。
ロリコンの語源となったウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』。僕も読んでみましたが、10分の1くらいで投げ出しました。いくら名作と呼ばれていようと、自分がつまらないと思ったら読まないのです。
ナボコフは言葉の魔術師って呼ばれてますけど、それは原著で読んでこそで、翻訳されちゃうと魔術師っぷりは味わえないわけですよね。訳すると魔術が解けてしまう。僕に原著を読めるだけの語学力があればねー。
ヒロインのドローレス・ヘイズは幼女ではなく12歳の少女であるのは有名な話。それを根拠とした「その年頃の女の子が性的対象なのは決して異常なことではない」という議論をよく見聞きします。僕の見解ですか?ノーコメントで。

前回に引き続き、警備員時代の思い出話をします。警備の仕事をしていた時、印象深い出来事がありました。10人ほどで高速道路のパーキングエリアに交通整理に行った時のことです。
その日のリーダー担当の人は、けっこう口の悪い人でした。警備はだいたい無線でやり取りするんですけど、無線でほかの隊員に、強い口調で何度も注意をしていました(無線は全員に通話が聴こえます)。あらかじめ教えてもらわないとわからないようなことまで「何やってんだ」と叱責するので、理不尽な空気が漂っていました。
休憩時間に、ほかの隊員がリーダーの悪口を切り出しました。その人は、60~70歳くらいのけっこうなおじいちゃんで、その日初めて一緒になった人でした。
おじいちゃんは、「あいつは許せない」「態度が悪すぎる」と、だいぶご立腹の様子で、僕も調子を合わせていました。ひととおり怒りを爆発させた後、おじいちゃんは「俺やったら長くは付き合いきらんな、すぐ殺すな」と言い出しました。
腹を立てているだけだと思いながら聞いていると、おじいちゃんは何度も「あいつ殺す」とつぶやいています。
そしてさらに言いました、「俺はやるよ、殺し屋やもん」と。
僕は驚くでも否定するでもなく、どう反応していいかわからないまま、とりあえず頷きながら話を聞くことにしました。
おじいちゃんは、自分はプロの殺し屋なのだと打ち明けました。なんでも、警備の職は世を忍ぶ仮の姿で、殺し屋が本業だというのです。
どこにでもいる、小柄で色黒で、どちらかというとしょぼくれた風采のおじいちゃんだったのですが、殺し屋をしているというのです。
おじいちゃんはさらに、具体的な手口も説明し始めました。自分は拳銃は使わない、中国針を使うのだとおっしゃいました。中国針というのは、20センチほどの長い針で、それをバネ仕掛けのついた筒に入れて使うのだそうです。バネが勢いよく針を飛ばすので、刺さると致命傷になるとのこと。
拳銃は音が大きいのでバレやすいのに対し、中国針は静かなので気づかれにくいのだそうです。
当然「それはほんとの話なのか」という疑問が浮かんだことでしょう。僕にもよくわかりません。そのおじいちゃんが殺しを行う瞬間を見たわけでも、中国針を見せてもらったわけでもありませんから。
ただ、ひとつはっきり言えることがあります。その話をしている間、おじいちゃんの目はマジでした。少なくとも、嘘をついている様子はなかった。
しかし、じゃあほんとに殺し屋なのかというと、引っかかる部分があります。
ひとつは、中国針などという道具は、見たことも聞いたこともない、ということ。
もしそのような殺しの武器が存在するとしたら、これまでに一度くらいは「中国針による殺人」を報道で見聞きしているはずです。でも、そんなの聞いたことがない。きわめて嘘くさいものなのです。
もうひとつは、殺し屋というのは依頼に応じて、あくまで仕事として冷静に殺しを遂行するものであって、腹を立てた相手を感情まかせに殺したりするものだろうか、ということです。
腹が立ったから殺しましたというのでは、殺し屋の周辺で不可解な殺人事件が頻発してしまうでしょう。そうしたら当然、警察から目をつけられてしまう。
依頼でもないのに殺すというのは、殺し屋としては合理的な行動とは言えないのです。そこを疑問に思いました。
しかしいずれにせよ、確認するすべがない。僕はとりあえず、おじいちゃんの言い分を信じることにしました。
なぜかって?本当だったほうが面白いからです。
だってねぇ、殺し屋に会ったことあります?皆さん。ないでしょ。
僕はね、そういうフィクションの世界でしか見聞きしたことない人と、ぜひ一度お会いしたいと思ってました。
だから嬉しかったんです。殺し屋に会えて。
警備の仕事やってて一番よかったのが殺し屋に会えたことですね。最大の収穫です。
ちなみに、おじいちゃんと同じ現場に入ったのはその1日だけで、しばらくして警備の仕事を辞めてしまったので、それ以来会っていません。

これはもう10年くらい前の話です。当時でそのおじいちゃんは70歳くらい。だからもうお亡くなりになられているか、ご存命だとしてもだいぶ弱っていらっしゃるはず・・・。
だからこの記事公開しても大丈夫ですよね?口封じに殺しに来る、なんてことはありませんよね?
ねぇおじいちゃん、そんなことしないよね?あの時一緒に悪口言って打ち解け合った仲だよね?そんな仲間を殺したりしないよね?
あ、いや冗談です、嘘々。全部作り話ですよ。おじいちゃんは殺し屋なんかじゃありません。僕の妄想です。
だから殺さないで。命だけはお助けを・・・。
皆さん、もしこのブログの更新が不自然に停止したら、警察に通報してください。

マルタイ 長崎ちゃんぽん

2022-09-16 23:00:40 | 
今日は江戸の仇ならぬ長崎ちゃんぽんです。




カップ麵の中で一番おいしいちゃんぽんだと思います。マルタイは乾麵を数多く製造しており、俗に「棒ラーメン」と呼ばれるマルタイラーメンが有名。なぜ棒ラーメンなのかは画像検索してもらえればわかります。2食入りで100円ちょい、安くておいしい袋麵なのです。ちゃんぽんとともにご賞味ください。
ただ、マルタイは福岡の会社なので全国販売はしていないのかもしれません。九州外の人は九州のアンテナショップに行くか、ネット通販で捜してみてください。

今日も今日とて思い出話。僕は以前、警備の仕事をしていました。車の誘導なんかを行う、あの警備ですね。
警備員はとにかく、つねに自分の安全を確保しろとやかましく言われます。それは、車道とか工事現場とか、事故が起こりやすい場所での仕事が多いから、というのもありますが、警備の特徴として、「自分が消えてしまいがち」だからです。
自分が消えるとはどういうことか。聞いた話ですが、バックしてる車を「オーライ、オーライ」と誘導しながら、その車と壁の間に挟まれてしまった警備員がいたらしいのです。
自分でオーライと言いながら誘導していたのに、その誘導していた車に挟まれてしまったのです。傍から見ていたら、まるで自分から挟んでくれと頼んだようにしか思えないでしょう。マヌケと言えばあまりにマヌケな話ですが、しかしこれ、実は人間心理の落とし穴で、誰にでも起こりうることなのです。
なぜこんな珍事が起こるのかというと、誘導に集中しすぎると、意識の中から自分の存在が消えてしまうからなのです。
警備員は、誘導してる車がスムーズに動けるか、車が周囲のモノにぶつからないか、に心を砕きます。車と、その周囲のモノに注意が向かう。
その際、集中力が強すぎると、意識の対象が「車」と「周囲のモノ」だけになってしまう。自分自身が意識の中から抜け落ちてしまうのです。
警備員は、車やその周囲のモノのみならず、自分の身の安全も守らなければならない。それは誰しもわかってはいるのですが、油断すると、守るべき自分の体の存在が、意識の中から消えてしまう。
自分自身が透明になり、あたかもそこにいないかのように感得されてしまう。体を失った意識そのものが、車を「オーライ」と誘導するのです。あたかも『不思議の国のアリス』に出てくるチェシャ猫のニヤニヤ笑いのように。
だから、自分が誘導している車に轢かれてしまうという、一見理解不能なことが起こってしまうのです。これが警備の、そして人間心理の恐ろしさなのです。
だから自分の身の安全は必ず確保しろと言われるのです。それはつまり、誘導に集中しすぎるな、ということです。つねに意識を分散させ、車にも自分にも、それ以外の物にも同時に注意を払う。それが警備に求められる態度なのです。
集中しすぎると自分が消える。これは警備のみならず、どんな仕事でも起こることでしょう。ただ、警備だとその現象が命の危機に直結してしまうのです。
意識の中から自分の存在が消えると、仕事の効率が高まります。「我を忘れる」「没頭する」などと呼ばれる状態は、仕事をこなすペースが最も早まっている状況を指しているはずです。おそらくそれは、労働の成果を拡充させるための、人類の進化によって引き起こされた現象なのでしょう(人間以外でも同じような心理の働きがあるのかもしれませんが)。
その能力のお陰で今日の人類は繁栄を築きました。しかしその代償として、迫りくる身の危険に鈍感になってしまった。車と壁に挟まれてようやく自分の体がそこにあったことを思いだすという、弱肉強食の自然界ではおよそ通用しそうにない脳天気さ。
いい面も悪い面も両方ある能力なのですね。皆さん、命の危機が高まる状況に陥ることがあれば、自分の体を意識から消さないよう注意を払ってください。

ひとつのことに集中しすぎない。意識を複数のモノに分散させる。
これって、けっこういろんな現場に適用すべき姿勢なのではないでしょうか。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
最近はそうですね、人の間の距離が近くなってるようにかんじますね。ちょっと前までソーシャルディスタンスってやかましく言われてましたけど、その規範意識がやや緩み、行列の間隔が短くなってるように思えるんですよね。あくまで印象論ですが。
あ、規範意識が緩んでるっつーのは、ソーシャルディスタンスが不必要になってるってことじゃなくて、「そこまで気にしなくていいんじゃない?」という空気が拡がりつつある、ということです。
僕はコロナが社会に与えた影響は大きく、ちょっとやそっとじゃ元に戻らないだろうと思っていたのですが、そうでもないようですね。それよりも、元々の社会感覚のほうが強く、危機意識が弱まれば、慣性の法則のようにそちらに帰っていく・・・。
そのへんはそんなに心配しなくていいのかもしれません。あとはマスク外せなくなる人がどれくらい出てくるかですね。聞いた話では、お互いの素顔を見たことがない若いカップルがいるそうです。