2002年の映画「ギャング・オブ・ニューヨーク」の原題は、Gangs of New Yorkで、ギャングでなくギャングズである。
タイトルからは暴力団抗争のように聞こえるが、アイルランド系移民と星条旗に忠誠を誓う者たちの抗争である。この2つに、ニューヨークのスラムに住む人々が分れて抗争していた1840年代から1863年が映画の舞台だ。
もっとも、この抗争がフィクションか歴史的事実か、私にはわからない。
しかし、アメリカが移民からの搾取で繁栄してきたのは、今も変わらない事実だ。また、この時代には、アイルランドで飢饉が起きて、大量の移民がアメリカに来て、最下層をなした。
この映画について日本のインタネットの書き込みを見ると、アイルランド系移民とWASPの抗争であるとか、WASPではなくスコットランド人との抗争だとか、プロテスタントとカトリックの抗争とか、色々な見方が書いてある。また、あらすじの書き込みさえも、同じ映画をみたはずなのに、互いに矛盾している。
確かに分かりにくい映画で、レオナルド・ディカプリオが出ている割には、ヒットしなかった。
この映画のテーマは、ニューヨークのスラムに住む人々が、移民であることを引きずって生きるか、星条旗のもとにアメリカ人として生きるか、に分断されていること、と私は思う。この抗争は、あくまでスラムの住人のなかでの抗争で、ニューヨークには、別に、金持ちと政治家とが特権的な暮らしをしている。その様子も映画で描かれている。
ディカプリオがアイルランド系移民派のリーダを演ずるので、移民派に、つい共感してしまうが、アメリカに次々と色々な国から移民が押し寄せるのだから、同郷意識だけでは、排他的になり、未来がない。本当は、自立したコスモポリタンとして、すべての人間と連帯するか、そうでなければ、星条旗をかかげるアメリカ人になるかしかない。
ダニエル・デイ=ルイスの演じるザ・ブッチャーは星条旗をかかげ、アイルランド系移民であろうとなかろうと、自分の手下に吸収していく。
そして、ディカプリオの移民派とデイ=ルイスの星条旗派の最終的決闘が行われる、その日に、南北戦争(American Civil War)のための徴兵に反対する暴動がニューヨークで起きる。特権階級は暴動を鎮めるため、スラムの住人をみさかいなく、艦砲射撃で殺していく。
ディカプリオとデイ=ルイスは艦砲射撃に吹き飛ばされ倒れるが、気づくと互いにすぐそばに倒れている。
ナイフで刺し合うが、デイ=ルイスが死に、ディカプリオが生き残る。
ディカプリオがヒロインのキャメロン・ディアスとともにニューヨークを去ろうとするシーンで映画が終わる。
スラムを二分して貧民同士が殺し合うより、愛し合うカップルとして生き残る方がましであるというのが、マーティン・スコセッシ監督のメッセージであるようだ。私は単に「ましである」だけだと思う。
いまのアメリカ国民の分断は、新しいアメリカが生まれるための必要なプロセスだと思う。2001年9月11日、同時多発テロの後、街頭で星条旗をふる群衆が現れたが、それは、いずれ、普遍主義に乗り越えられる、と信じている。