きょう、次の予約者がいるので、エリック・R・カンデルの『芸術・無意識・脳』(九夏社)を図書館に返した。やはり、2週間では読み切れない。すぐに予約をいれたが、横浜市の図書館に1冊しかないので、次に読めるのは、はやくても、1か月後である。
著者は、本書で、絵画へのヒトの反応を中心に、脳の機能の、最新の生物学的理解を述べている。Random Houseから2012年3月に出版されたが、最新の論文引用は2009年である。
私のように、脳の機能の生物学的理解に興味ある向きには、第3部「絵画に対する視覚反応の生物学」から読みだすのがおすすめかもしれない。基本的な、かつ、最新の脳科学の解説が、視覚反応に限られるが、この第3部、第4部で与えられる。
私は、NPOで、いわゆる発達障害の子どもたちと接しているで、第25章「鑑賞者の役割の生物学的な基盤:他者の心のモデル化」での「社会脳」のトピックに特に興味をいだいた。
「社会脳は大まかに分類して5つのシステムをもつ、階層性のあるネットワークであるとわかってきた。」
とすると、5つのシステムのいずれかに機能欠陥が生じれば、子どもたちの社会的ふるまいに病的なところが出てくるはずである。そして、脳システムの機能欠陥の場所が異なれば、支援的介入の仕方を変えていくのが効果的である。
米国精神医学会の最新の診断マニュアルDSM-5は、政治的理由で、症候群「自閉スペクトル症」を1つにまとめているが、効果的支援のため、ふたたび細分化する必要があるだろう。
著者カンデルが「社会脳」として取り上げている機能欠陥は、視覚的に他者の心を読むことができない、ということだが、「自閉スペクトル症」のなかには、言語的な理解の問題もある。心を読むには、相手の目や口の動きから、取得するだけでなく、声の調子などもある。
また、現在のDSM-5は「異様なこだわり」をも強調してるが、これが適切な診断基準なのかも、問題になろう。「社会脳」とは関係ないように思える。
このように、「社会脳」の生物学的理解に応じて、DSM-5の「自閉スペクトラム症」を書き直す必要性が出てくるが、DMS-5は、医療保険業界、医薬品業界、患者団体、精神医療業界の微妙な力のバランスの上に出来上がっているので、非常に難しいだろう。現実的には、最新の研究成果を精神医療業界や支援者・患者団体に啓蒙していくしかないと思う。
いっぽう、一般的読者を相手しているためか、本書の脳機能の生物学的システム説明に不十分な感もある。
コンピュータでは、情報をビット列として、記憶し、また、処理機構に送ることができる。脳では、ビットもビット列もなく、興奮が神経回路(ニューラルネットワーク)のなかに広がり、そして、収束していくのである。
訳では「表象」という語が頻繁に使用されるが、もとの英語では何であったか知りたい。この収束先の1つ1つを著者が「表象」と呼んでいるようである。
記憶は神経回路の変更として表現され、興奮が再び神経回路をながれることで、記憶が現在の認知や情動に影響するのである。神経回路が統合のような演算を行うには、同期の問題がある。異なる軸索から神経細胞が受け取る興奮が適切に同期していないと演算が行われない。
調整システムが同期に関与しているのではないか、とも思う。この同期の問題のため、脳はかなり冗長性の多いシステムではないか、とも思う。

きのう来日したドナルド・トランプ大統領の今回の接待に、わたしは何とも言えない居心地の悪さを感じる。1つは異様なおもてなし、1つは異様に好意的な報道、1つは異様な警戒体制である。
安倍晋三首相がトランプ大統領に取り入って何か解決するはずがないのに、安倍が日本のために頑張っているかのような報道がなされている。
きょうも、つまらなそうに大相撲千秋楽を見るトランプ大統領の横で、安倍が笑顔をつくって話しかけるさまが、テレビに映し出された。炉端焼きの店でもそうだった。
きのうは、トランプ大統領が、アメリカ大使館に、トヨタ自動車の豊田章男社長やソフトバンクグループの孫正義社長ら企業経営者ら、およそ30人を呼び集め、これまでの日米貿易は公平でなく、日本ばかりが得をしている、と文句を言った。
日本の支配層が、自分たちのお金儲けのために、トランプ大統領に異常に卑屈になっている。被支配層の私たちまで、卑屈になる必要があるのだろうか。報道は、支配層の代弁者なのか、それとも、私たち国民の代弁者なのか。
かって、中国の習近平も、大統領になったばかりのトランプを招いて破格のおもてなしをしたが、現在、貿易問題で、トランプ大統領に追い込まれている。
いっぽう、トランプ大統領と喧嘩わかれしたドイツのメルケル首相は、トランプ政権にかき乱されない、国内体制を築きつつある。
トランプ大統領は、自らをビジネスマンと言っているように、一時的なおもてなしではなく、実質的な利害で動く。彼をおもてなしで騙せる、と考えるよりも、なにが公正なのかの原則に立ち、長期的視点で、日米政府は、交渉続けなければならない。
一時的にドナルド・トランプに嫌われても、日本政府は、損得の正直な話をするしかない。しかも、彼だけが、アメリカ人ではない。
アメリカにもいろんな考えの人がいる。いろんな政党がある。いろんな会社がある。
それにしても、今回の異様な警戒体制は、安倍晋三が首都圏非常事態の練習を行っているのではないか。
被支配層の私たちとしては、もっと、柔軟な考え方をすべきであろう。
アメリカ人すべてが、別に、日本人に卑屈な態度を求めているわけでない。
卑屈さ、劣等感は憎しみに転化し、無意味な暴力へと導く。
国益を考えるのではなく、国家や民族の幻想をすて、個人として自分の頭で人類普遍な価値を求めるべきである。
そして、大相撲、炉端焼き、令和、天皇だけが、日本ではない。おもてなしよりも、日米両国民の互いの信頼と友情を育てよう。