きのう、東京地裁が、池袋暴走母子死亡事故 の90歳の被告に、禁錮5年の実刑判決をくだした。私は他と比べて量刑が重いのではないかと思う。
東京地裁は、「ブレーキとアクセルの踏み間違いに気付かないまま車を加速させ続けた」と過失を認めている。それなのに、本件は執行猶予なしの禁錮5年の実刑判決である。理由は、90歳の老人が踏み間違いを認めず、謝らなかったからだ。
1981年に、母親に暴力を振るう息子を父親が殺した。東京地裁は、これに、懲役3年執行猶予5年の判決を言い渡した。
これは極端なケースかもしれないが、最近、交通事故のような過失に対しても、社会は、厳罰を求めるようになっている。
いっぽうで、福島第1原発事故を起こした東京電力や原子力政策を強引に進めた経済産業省の官僚や政治家の誰も、罰せられていない。政府が関与した過失や犯罪は罰せられないように見える。安部晋三が関与した森友学園事件では、公文書の書き換えをめぐって自殺者まで出ているが、誰も罰せられていない。
権力者の誤りを誰もとがめず、「ブレーキとの踏み間違いに気付かないまま、アクセルを最大限踏み続けて加速させ、事故を起こした」老人のみが責められ、それで日本人が満足するなら、日本人はクソではないか。
きょう、菅義偉は自民党内の総裁選に出馬しないという報道が駆け巡っている。菅から人心が離れたのは、新型コロナ感染対策の不手際である。菅の誤りは、感染対策より経済対策に固執したからである。メディアが菅の対策を批判できたのは、専門家会議が、そして、それが解散させられると、分科会が、公然と、政権の感染対策を批判した。メディア自身の力ではない。
ところが、菅が総裁選に出ないとなると、メディアは、総裁選を、国盗り物語のように、お祭りのように、報道している。新型コロナ対策の不手際の問題はどこかに吹っ飛んで、野望と野望のぶつかりをショーとして、見世物として、自民党内の総裁選を報じている。
まやかしである。
死に体のはずの政権内から、GOTOキャンペーンの再開が論じられている。そして、緊急事態宣言を出さないで済むように、緊急事態の基準の書き換え、新型コロナの感染症の分類の変更が聞こえてくる。自民党が経済優先であることは、総裁の首を変えても同じだ。
こうなると、日本人がクソなのか、それとも、日本のメディアがクソなのか、を問いたくなる。
[蛇足]
いま、テレビで、「すごいぞ日本、メダルラッシュのパラリンピック」の声がした。
すごいのは、選手個人であって、日本ではない。それに、新型コロナ禍の東京でオリンピックやパラリンピックをすれば、地元の選手が有利になる。メディアの人間は何を考えているのだろう。