猫じじいのブログ

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佐伯啓思の『「国民主権」の危うさ』は専門家集団の独裁を望んでいるだけ

2021-09-26 15:20:46 | 思想

きのう、佐伯啓思が朝日新聞に『「国民主権」の危うさ』という小論を寄せている。私は、「国民」という言葉には違和感があるが、「国民」を「みんな」と読み替えれば、「みんな主権」に問題を感じない。佐伯がそれを「危うさ」と言うのを聞くと、「頑固じじい」を越えて、「クソじじい」になったのでは、と思ってしまう。

紙版には、デジタル版にない見出しがついている。

《 世論に従う民主主義/そのときの空気で右左/共通の将来像が必要》
《 知識人層は民意に同調せず動かせ》

この見出しは、なんとなく、紙面づくりのために、言葉を縮めたように思えるので、編集員がつけたのかもしれない。それでも、佐伯の小論の要旨にそっている。彼が批判しているのは、じつは「世論や民意に従う知識人」のことである。

しかし、「世論」とか「民意」とかいうものがないとしたら、佐伯の言っていることは意味を持たないのではないか。

佐伯は書く:

《 「国民」という実体はどこにも存在しないからだ。それは、実際には多様な利益集団であり、様々な思想やイデオロギーの寄せ集めであり、知識も関心も生活もまったく違った人々の集合体に過ぎない。》

そうなら、世論や民意はあるはずがない。したがって、「世論や民意に従う」は、自己の正統性を主張するための嘘、「錦の御旗」に過ぎない。だとすれば、「国民主権の危うさ」なんて、変なことを言うより、誰がどんなことを「国民の総意」だといつわっているのか、ハッキリ言った方が良い。

新聞の社説、解説、NHKの時事公論を批判しているのだろうか。あるいは、メディアに意見を寄せる佐伯の同僚なのだろうか。もしかしたら、佐伯は同僚のツイッターのことを言っているのだろうか。

佐伯は書く:

《 現下の日本に目を向ければ、自民党の党首選の真っ最中である。一政党の党首選ではあるものの、ここでも世論が重要な役割を果たしている。候補者の国民的支持率や人気度が間断なくメディアで報じられ、暗黙のうちに世論が影響を及ぼしている。》

代議制民主主義をとっていれば、候補者は、選挙の結果が気になり、多くの投票を得やすい発言をするのは、自然なことである。これ自体は目くじらたてて怒るようなことではない。

佐伯は書く:

《 今日、われわれは1つ1つの政策まで「世論」の法廷に引きずりだし、ほとんど1か月ごとに内閣の妥当性を「世論」の評価にかける。》

「国民」が政権の政策を批判していけないのか。佐伯は頭がおかしくなっているのではないか。インタネットが普及するまえは、私のような普通のものが、自分の意見を言う場所なんてなかった。だから、メディアには、「世論」とか「民意」とかを思いはかり代弁することもあった。それが悪いとは言えない。

佐伯は、福沢諭吉のつぎの言葉を引用する。

《 政府を批判するよりも、衆論の非を改めるほうが大事である。》

そして、佐伯はつぎのように結論する。

《 今日の政治の混迷は、将来へ向けた日本の方向がまったく見えない。》
《 そんな大問題について「民意」がそれなりの答えが出せるはずもない。》
《 将来を見渡せる大きな文明論が必要なのであり、それを行うのは学者、すなわちジャーナリズムも含めた知識人層の課題であろう。》

このクソじじい、私をバカにするのも、ほどほどにしろ。佐伯の望んでいるのは、専門家集団による独裁制にすぎない。

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