先日、ふだん会わない友だちが訪ねてきた。総選挙の訪れである。自民党の総裁選でなく、衆議院の選挙である。「10月26日告示、11月7日投開票」あるいは「11月2日告示、11月14日投開票」と見られている。
1週間前の土曜日の朝日新聞の『サザエさんをさがして』のテーマは「選挙カー」であった。
《日本の選挙に欠かせないのが、町の静寂を突き破るかのように大音量で候補者名を連呼しながら駆ける選挙カーであろう。》
私の子ども時代の記憶でもそうである。ところが、私の住んでいる団地では、この10年、選挙カーの連呼を聞いたことがない。この8月の横浜市市長選でも、いつ選挙があったかわからないほど、静かであった。IR招致が争点だったのにもかかわらず、投票率は49.05%であった。
「選挙カー」の記事のつぎの記述にびっくりした。
《公選法では選挙カーに乗って走っている間「選挙運動をすることができない」と規定する。ならば選挙カーは選挙に使えないかというとそうではない。「ただし」として「連呼行為」が認められているからだ。》
選挙カーによる連呼は良いが、選挙運動はいけないという公選法とはなんだろうかと思う。
記事は続く。
《25歳以上のすべての男子に選挙権を広げた1925年に社会主義政党など、当時で言う無産政党の進出を恐れた政府が、候補者が活動しにくいように多くの制限を設けた結果だと言う。》
「選挙運動をまるごと禁止しておいて、その中でやってもいいことを定めている」のが日本の公選法だという。
告示から投票までの期間が2週間もない。この間に選挙運動を限るというのも不思議である。アメリカの大統領選の活動は、予備選も含めると1年近く行なわれている。
また、アメリカで認められている戸別訪問も日本では禁じられている。冒頭の友だちは、とつぜん、懐かしいから会いたいと言って私を外に呼び出す。だから、戸別訪問ではない。
ビラやポスターの枚数も制限されている。したがって、政策として目にするのはキーワードの羅列である。
選挙というものは、お祭りのように、にぎやかでいいのではないか。民主政を支えるのは、ふつうの大衆である。多くの大衆が政治に参加するため、まず、選挙運動に大衆を巻き込まないといけないのではないか。
選挙運動を規制しておいて投票率を上げようというのは無理ではないか。
自民党は有権者の半分しか投票しない選挙で、公明党との連立で、国会の多数派をにぎってきた。そして、選挙で勝ったのだからと、野党とのまともな議論をしない。議論とは対話のはずであるが、形式的に話す時間を割り振っているだけで、一方的である。
大衆の政治への無関心を利用する政治は もう おしまいにしよう。