猫じじいのブログ

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「民族」は「人種」と同じく人間集団を差別するための言葉

2020-09-10 20:55:40 | 思想

小熊英二が、きょうの朝日新聞のインタビューで、「民族」という言葉は英語に翻訳しにくい、明治期中盤に日本で発明された概念だ、と答えていた。《オピニオン&フォラム》の『「有色の帝国」の呪縛』である。

昔、といっても5年前のことであるが、戦後70年安倍談話のなかで、安倍晋三は「民族」という言葉を2度使っている。一度目は、

〈世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました〉

の「民族自決」で、2度目は

〈植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない〉

の「民族の自決」である。

日本語の「民族」は他言語にない概念で訳しにくい。外務省は、これを、どう英語に翻訳するか、私は興味津々であった。外務省が作った英語版の談話は「民族自決の動き」を“the movement for self-determination”と訳し、「すべての民族の自決の権利」を外務省は“the right of self-determination of all peoples”と訳した。

一番目の用例の訳では、意識的に「民族」という言葉は訳していないのである。2番目は複数形のpeoplesを使うことで、民族主義 (nationalism) の匂いを消している。

日本語の「民族」とは独特のニュアンスをもった語で、かつて、西洋(イギリス・フランス・ドイツ・アメリカ)に対抗する大和民族、日本民族という形で使われたものである。しかし、けっして、「イギリス民族」とか「フランス民族」とか「ドイツ民族」とか「アメリカ民族」とはいわない。西洋に対しては、イギリス人、フランス人、ドイツ人、アメリカ人というのがふつうである。

小学館の『新解国語辞典』では「民族」の意味をつぎのように説明する。

〈地域的にも同一の起源を持ち、言語・生活様式・文化・宗教・歴史を共通にする同じ人種の集まり〉

「同じ人種」とはトンデモナイ解釈である。

岩波書店の『国語辞典』では「民族」の意味をつぎのように説明する。

〈人種的・地域的起源が同一であり(または同一であると信じ)、言語・宗教などの文化的伝統と、歴史的な運命を共有する人間の集団〉

これも「人種」という言葉が使われている。

理念で、すなわち、社会契約で個々人の集まりが国を作っているのではなく、地縁、血縁、運命という絆で国を作っているという、当時の現状に合わせた概念である。

小熊は、「民族」という言葉が明治期に発明された背景をつぎのように考える。

「人種」という言葉を使えば、自分たちが、人種差別のなかで、白人より劣るものの中におかれる。自分たちは西洋に負けない、しかも、他のアジアの人びとより優れている人間集団と言いたいばかりに、「民族」という概念を発明した、と説明する。人種差別を否定するのではなく、周りの国の人々を自分より差別するために、わざわざ作られた言葉である。

戦後「チャタレイ夫人の恋人」の翻訳で人気を集めた英文学者伊藤整は、1941年12月8日の真珠湾攻撃に感激し、翌日の日記につぎのように書く。

〈私などは(そして日本の大部分の知識階級人は)13歳から英語を学び、それを手段にして世界と触れ合ってきた。それは勿論、英語による民族が、地球上のもっともすぐれた文化と力と富とを保有しているためであった。(中略)この認識が私たちの中にあるあいだ、大和民族が地上の優秀者だという確信はさまたげられずにいるわけには行かなかった。(中略)私たちは彼等のいわゆる「黄色民族」である。この区別された民族の優秀性を決定するために戦うのだ。〉

そろぞろ、人間集団を差別するための言葉「民族」の使用をやめる時期に来ているのではないか。


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