先日、妻の本棚から、榊原洋一の『アスペルガー症候群と学習障害』(講談社+α新書)、岡田尊司の『パーソナリティ障害がわかる本』(ちくま文庫)を見つけた後、つぎつぎと同種の本が見つかった。
斎藤環の『社会的ひきこもり 終わらない思春期』(PHP新書、初版1998年、第25刷2003年)、笠原嘉の『精神病』(岩波新書、初版1998年、第13刷2005年)、中井久夫の『最終講義 分裂病私見』(みすず書房、初版1998年、第14刷2005年)、斎藤環の『生き延びるためのラカン』(木星業書、初版第1刷2006年)。
私が会社を定年退職したのが2007年の暮れである。中井久夫の『最終講義』に息子の手紙がはさまっていた。「迷惑をかけてごめんなさい」で始まる一枚の走り書きである。息子が苦しんでいた問題の本質が書かれていた。
「自分が人間でないことに気づいても、なかなか、人間になろうと思えない。約20年生きていたことを全否定して、新しいことをするなんて、ものすごい決意がいる。」
「毎日、自分を否定しつづけるのは辛い。人間になれなくて本当にごめん。」
べつに「人間」になるのに自分を全否定する必要がない。苦しむ必要がない。薬を飲んだからといって「人間」になれるわけではない。誰がオカシナことを息子に吹き込んだのだろうか。和光高校か?河合塾大検コースか?妻か?
当時、息子は和光高校に通えず、出席日数が足りず、2年留年して中退した。河合塾大検コースを妻が見つけてきて、息子はいやいや千駄ヶ谷の校舎に通った。そこで、プロテスタント牧師と称する男の主催する課外活動(畑を耕す)に参加した。ある日、突然、息子からの「追われている」との電話を私が受け取った。その畑から逃げているというので、私は妻と迎えに行った。渋谷か新宿で落ち合ったと思う。
なぜ、この手紙を妻が私に見せなかったのか。たぶん、当時、私は、世間と闘っていると、妻や息子に恐れられていたのだろう。妻や息子と意志疎通がとれていなかった。私の大失策である。
啓蒙書など一人で読んでも役にたたない。出版はビジネスである。精神科医やカウンセラーも職業である。自分の頭で考えない限り、知識は役に立たない。人間関係はいつもユニークな出来事で、マニュアルで扱えない。
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