けさの朝日新聞の教育面に、『AI時代 PISAが問うのは』『OECD・竹内良樹事務次長に聞く』がのった。
PISAというのは、経済協力開発機構(OECD)が3年ごとに行なう学習到達度調査である。コロナで1年遅れに2022年に実施した学習到達PISAでは、日本は81ヵ国のうち「科学リテラシー」が2位、「読解力」が3位、「数学リテラシー」が5位とだったという。「リテラシー」とは基礎能力という意味らしい。
これは、経済力を支える「次世代の労働力」のレベルを問うものであって、社会の文化レベルを問うものでない。通常は、実用的教育に力を入れる産業後進国が上位を占める。したがって、この順位に一喜一憂するものではない。
武内は、「テストだけでなく全体をとらえてほしい」と前置きをして話す。しかし、「全体」とは何のことか話していない。単に、テスト以外にアンケートもとっているという形式的なことをいうだけである。大蔵省で次長、局長をなしてきただけあって、役人根性丸出しだ。
武内は語る。
「その狙いは、これまでの教育政策の『通知表』としてではなく、今後の自国の教育政策に反映してもらうことにある」
「『何を知っているか』より『何ができるか』が問われる。測ろうとしているのはこの力だ」
「『読解力』は、日本では文学を読み、味わう力が重視されるが、PISAでは論理的な文章を認識し、議論を展開する力を見る」
彼の話は、文脈上、「何ができるか」をPISA測って、その力を高めたいとなる。しかし、「何ができるか」ではあまり漠然としている。「読み書き」ができるということなのか。そうではなく、「論理的な文章を認識し、議論を展開する」ことのようだ。
しかし、「認識する」とはどういうことなのか、意味不明である。もしかしたら、understandingのことなのか。そもそも、日本語で論理的な文章を書けるのだろうか。夏目漱石は無理だと言っている。頭の中の論理的なものを文にするには、どうしても、日本語の枠を超えざるをえない。
また、議論では、「文章」ではなく「口頭」でする力が、より重要に思う。国会の政府の答弁は答えになっていない。
コンサル業界では、論理的思考の助けとして、図解を利用する。しかし、企業を助けようと思っても、企業のトップは自分を正当化する言葉を求めているだけで、論理的に思考しようとしない。
私は学校教育からはみ出した子どもたち、発達障害、学習障害、ASD、AD/HD、うつ、躁うつと言われる子どもたちを相手にしてきた経験から言えば、「論理的」理解の前に、自分の気持ちが伝えられる、相手の気持ちが分かることが、とっても大事である。このことがPISAで問題にされないとは、PISAは単なる労働力のレベルアップを狙っているとしか言えない。
ここで、明治政府が「和魂洋才」と言っていたことを私は思い出した。「和魂洋才」とは無理な要求である。「創造的な力」は「批判する力」なしには育たない。そして「創造的な力」や「批判する力」のまえに人間のこころがちゃんと育たないといけない。
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