きのうの新聞に、全国学力調査で理科の正答率が低下したというニュースがのっていた。特に「科学的に探究する力」の育成を踏まえた出題で正答率が低かったという。しかし、正答を記号で選ぶ問題で、そんな「探究する力」が測れるのか、と私は考える。したがって、学力調査で一喜一憂しても仕方がない。それより、「科学的に探究する力」とは何なのか、議論することのほうが重要だと思う。
そして、さらに重要なのは、子どもたちが理科が好きになって、日常生活に習ったことが使えるものがないか、と考えだすことである。それを学力テストで測定できるだろうか。
中3の学力調査の理科の問題は、磁気ばねの縮みは力に比例するのか、の実験の結果のデータを解析することであった。「磁気ばね」をテスト問題にしたのは、たぶん、普通のばねの伸び縮みは力の比例にすると教えているからであろう。教科書の法則を否定すると文句をいう人がいるからだろう。本当は、伸び縮みが力に比例する「ばね」というのは特別に作られた物であって、それでも、伸び縮みの範囲が大きくなれば比例しなくなる。特に自分で針金からばねを作ると、金属の塑性変形という問題に直面する。
理科のテスト問題で調査したのは、日本語の問題文を理解する能力の測定であり、いわゆる「要領のよさ」を調べているのにすぎない。工場での品質改善運動の話をきいているような気がする。そんなテスト問題から、将来「独創的な研究」をする力を測れることはありえない。
学校教育で教えていることは、自然についての仮説であり、近似である。4年前にノーベル賞を受賞した本庶佑が教科書に書いてあることを疑わない子どもは科学をする見込みがないというようなことを言っていた。
したがって、ある法則はどこまで適用できるのか、確かめるにはどうしたらよいのか、法則がなりたつものにはどんな特徴があるのか、法則がなりたたなければ、法則をどう拡張したらよいのか、を考えるのが「科学的に探究する力」であろう。
学校で、用意された器具を使い、マニュアルに従って実験をやったからといって、そんな力はつかない。実験は自分で目的を設定しデザインしないと意味がない。私は物理を専攻したが、大学での物理実験ほど「面白くない」ものはなかった。それは、単に実験ノートをつける訓練にすぎなかった。
「科学」とは、自然を人間が理解し、自然の恩恵を受け入れられるようにすることである。「霊感商法」に騙されないことでもある。
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