きのう、11月9日、大口病院で点滴に消毒液を混入して3人の入院患者を中毒死させた元看護士に、横浜地裁は無期懲役の判決を言い渡した。
私は、遺族の復讐感情に安易に応じて死刑判決を行うことに、反対であるから、死刑の求刑に対して、無期懲役の判決に賛成である。罪を償うために死ねというのは、あまり、正しいとは思えない。見せしめは、損得の判断ができる人にしか効果がない。
しかし、判決文の要旨を読むと、なにか、すっきりしない。本裁判は、裁判員裁判であるから、本当のところは、裁判員たちが弁護側の主張を聞いて同情すべき余地があると感じて、死刑にするには忍び難く、無期懲役にしたのではないかと思う。判決文の要旨では、裁判員たちの思いが読み取れない。
大口病院では不審死が続発していたから、もしかしたら、この3人だけが元看護士による中毒死でないかもしれない。あるいは、大口病院は終末医療を行っていたから、検察のいう通り、この3人だけかもしれない。大口病院の死因にたいする医学的な検死が、普段から、ちゃんとしていたのだろうか、という疑問を持つ。
もう1つの疑念は、元看護士の言動が普段からおかしくなかったか、である。弁護側の精神鑑定医が文春オンラインで語っていることを読むと、元看護士は被害妄想があるし、幻聴がある。問題となる幻聴は、誰もいないのに人の声が聞こえるだけでなく、その声が自分の悪口を言っていたり、命令しているときである。このことを、精神鑑定医は元看護士が統合失調症的と言っている。そして、元看護士は、拘留中に、向精神薬を与えられている。
だとすれば、大口病院での看護士の振る舞いに奇異なところがあったはずである。毎日、看護士のミーティングをもち、その日の介護に改良点がなかったか、を話し合っていれば奇異な言動に気づくはずである。また、看護士研修を毎月もち、終末患者に対する奉仕行為について話し合えば、看護士のこころの変調に気づくはずである。
毎日のミーティング、毎月の研修は、介護業務などで行われている、虐待予防の標準的手法である。
大口病院はたぶん人手不足で、そのようなミーティングや研修をもてなかったのではないか。大口病院だけでなく、新型コロナがなくても、多くの病院で人手不足で、看護士のこころの健康に気をくばることができていないのではないか。
判決文要旨では、争点を犯行当時の被告の責任能力の程度とし、検察の「軽度の自閉スペクトラム症で うつ状態」か「統合失調症による心神耗弱」かに絞り、検察の鑑定にもとづき、「弁識能力と行動制御能力は著しく減退してはおらず、完全責任能力が認められる」とした。
このくだりで、判決文が「検討すると、被告は、複数のことが同時に処理できない、対人関係の対応力に難がある、問題解決の視野が狭く自己中心的といった、自閉スペクトラム症の特性を有し、うつ状態だったことが認められる」と言うのは、納得できない。「複数のことが同時に処理できない」や「問題解決の視野が狭く自己中心的」は別に「自閉スペクトラル症の特性」ではない。自閉スペクトラル症でなくても、ありうることである。
父親のブッシュ大統領は、歩きながらチュインガムが噛めないと言われていた。また、問題解決の視野が狭く自己中心的の人はあまたといる。
大事なことは元看護士が「うつ状態」だったことである。「うつ状態」が重ければ、被害妄想があったり、幻聴があったりしても、おかしくない。そして、だれもが、「うつ状態」になりうる。
元看護士は、もともと看護士になる強い意志をもっておらず、周囲に押されて看護士になり、終末医療で働く前に、老人保健施設でこころを病んで精神科クリニックを受診し、3か月休職している。
したがって、病院側に、看護士のこころの健康に注意し、適切な対応すべきだったと言える。この点に裁判員たちは同情したのでないかと思う。
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